「デュースを返せ」


 10月31日のハロウィーンパーティをもって、ナイトレイブンカレッジのハロウィーンは終わるはずだった。ハロウィーン運営委員会を筆頭に生徒全員で衣装や会場を一から準備して、ハロウィーンウィーク中の来客対応や、異例ともいえるマジカメモンスター退治、そして最後のパレードなど、大変なことのほうが多かったがパーティーではみんな笑顔を浮かべていた。
 ナイトレイブンカレッジのハロウィーンは最高のまま、幕を閉じるはずだったのだ。このまま11月1日を迎えて、ハロウィーンの思い出を口々に語りながら、撤収作業を行う。誰もがそんな明日を予想して、眠りに就くことを名残惜しく思いながらベッドに入った。
 しかし、ベッドに入っても夜は明けなかった。日付は10月31日のまま、変わることはなかったのだ。
 異変はそれだけではなかった。ナイトレイブンカレッジから半数以上の生徒が消えていなくなり、さらには学園の敷地の外に出ることはできず、ナイトレイブンカレッジは終わらないハロウィーンに閉じ込められてしまった。
 日常とさらわれた生徒を取り返すために、残っていたメンバーはクロウリーにより『ハロウィーン終わらせ隊』を結成させられ、異変の大元になっている闇の鏡の中に乗り込んだ。
 エリィもまた『ハロウィーン終わらせ隊』の一人だった。ドレスコードに則り、サバナクロー寮の仮装テーマである海賊のゴーストの衣装を身に纏い、マジカルペンを剣に変えて、闇の鏡が導く世界――ゴーストの世界へと乗り込んだ。
 エリィはトレイ、ルーク、そしてセベクと行動を共にすることになった。時が止まった音のない空間。亡骸が埋まっていない墓場。鍵となる鏡の欠片を集めながら、不気味な場所をいくつも通り抜けて、辿り着いた先は空間が捻じ曲がった城の中だった。
 そこで、エリィたちを待っていたのは。
 
「怖いよ〜〜!! 助けてママ〜〜〜〜!!」

 顔を涙と涎と鼻水で濡らし、泣き喚きながら全力疾走をしているデュース――正確にいうと、幼い子供のゴーストに取り憑かれた状態のデュース――だった。
 デュースは普段から我慢強く簡単に弱音を吐かないということと、ピーコックグリーンの瞳が不気味なほどに鮮やかなシアンブルーに輝いていることから、エリィたちはデュースがゴーストに取り憑かれたのだと判断したのだが。
 デュースを救い出そうにも、デュースの中に入っているゴーストは身体の持ち主の俊足を惜しみなく使って逃走を図った。さらにはご丁寧に魔法まで撃ってくるのだから、エリィたちは魔法を避けつつデュースを追いかけるという難題を課せられることになってしまったのだ。
 ゴーストが魔法で飛ばしてきた氷の塊を弾き飛ばしたセベクは、奥の歯をギリッと噛んだ。

「くっ! ゴーストとはいえ、子供とは思えない魔力だ……!」
「デュースに取り憑いたということは、デュース以上の力があるのかもしれないな。あるいは、よっぽどデュースが油断していたか、不意を突かれたか」
「いずれにせよ、気が抜けている証拠だ!! 目を覚まさせてやる!!」
「ああ。デュースの心の傷を深めないためにも、早くゴーストを追い出してやろう」

 トレイは「うわぁ〜〜ん!! ママ〜〜!!」と泣き叫びながら逃走しているゴーストを追いかけながら、切実にそう思った。デュースが我に返ったあと、この状況に至った経緯を話さなければならないだろう。それを知らされたときのデュースの心境を想像すると、自分がその立場ならこの手に持っているスコップで穴を掘って自ら埋まってしまうかもしれない、と思うほどの羞恥にかられる。
 ゴーストはまたしても振り向きざまに氷の塊を飛ばしてきた。エリィはそれに剣先を向けて、魔力を込める。氷の塊は剣先にぶつかって弾け飛んでしまったが、その破片がエリィの頬を掠めた。

「っ!」
「大丈夫かい? レア・ビースト」
「ルーク、そのレア・ビーストっていうのはもしかしてエリィのことか?」
「ウィ! サバナクローに生息する、小さくも勇敢な珍獣レア・ビースト。今回一緒になってよかったよ。その生態をよく観察できるからね。ふふふ」
「……」
「エリィ、ルークはいつもこうなんだ。あまり気にしないでくれ」
「……を……せ」
「エリィ?」

 何かを呟いた直後、エリィは剣先をゴーストの足元に向けた。足という概念を忘れていたのだろうか。頼りないエリィの魔力による妨害でも、ゴーストは簡単に躓き転んでしまった。
 両手をついて起き上がろうとするゴーストに、エリィの影が被さる。海賊帽の影が落ちていてその表情は読めない。しかし、それが一層ゴーストを恐怖に追い込んだ。

「! こ、こないで! こないでよぉ!!」

 デタラメにスコップを振り回そうとするその腕を掴み、そして――エリィはゴーストを抱きしめた。

「大丈夫。怖くないよ」
「え……?」
「びっくりさせてごめんね。おれたち、きみをママのところに帰してあげたかっただけなんだ」
「……」
「一人で寂しかったね」

 自愛に満ちた眼差しで微笑む、その姿はまるで陽だまりが人の形を成したかのようにあたたかかった。
 ゴーストはエリィの胸に頭を預け、そっと瞼を落とす。

「あったかい……ママ……」

 その直後。白い靄のようなものが、デュースの身体から出ていき、天へと昇っていった。ゴーストに関して知識が乏しいエリィでもわかった。ああ成仏したんだな、と。

「ん……」
「!」

 腕の中から小さな唸り声が聞こえ、抱きしめていた体が身動いだ。エリィがとっさに体を離すと、そこにはピーコックグリーンの瞳があった。

「……ハッ!? 僕は何を」
「っ、デュースーーーー!!!!」
「うわ!? え、エリィ!? な、何をやって!?!?」

 エリィは押し倒してしまうほど勢いよく、デュースに抱きついた。目を白黒させながら顔を赤らめているデュースは現状を把握するため、近くにいるセベクに助けを求めた。
 そんな傍ら、トレイは立ち止まって息を整えながらその様子を見守っていた。

「そうか、子供のゴーストにはエリィみたいに寄り添ってあげたらよかったのか。優しいんだな、エリィは」
「おや。トレイくんは聞こえていなかったのかな?」
「え?」
「先ほどレア・ビーストはこう言っていただろう?」

 冷ややかに、声を低く忍ばせて、しかしその瞳は刃よりも鋭く尖らせて。

『デュースを返せ』

 ぞくり、トレイの背中が粟立つ。それは、普段誰に対しても友好的なエリィが放った明らかな怒りに対してか、それとも隣りにいた自分にすら聞こえていなかった声を拾うことができたルークに対してか。おそらく、どちらもだ。

「ふふ。怒りを封じ、愛に偽装するなんてね。目的のためなら手段を厭わないその姿勢、まさしくサバナクローの不屈の精神だね。ボーテ!」
「……エリィは普通の生徒だと思っていたんだけどな。ジェイドのときといい、どうも思い込みはよくないみたいだ」

 エリィがナイトレイブンカレッジに来たのはいくつもの偶然が重なった結果だが、結局のところ、エリィも闇の鏡が認めたナイトレイブンカレッジの生徒なのだ。力で敵わない相手には頭を使い、ときには自分を偽ってでも勝ち抜く。サバナクローの不屈の精神を、エリィはしっかりと持っている。
 しかし、あのとき微かに見せた冷たさは今やどこにも見当たらない。マブとの再会を心の底から喜びながら、エリィは向日葵のような笑顔を浮かべるのだった。



2021.11.25
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