「トリック・アンド・トリート!」


「ハッピーハロウィーン!」

 デュースはハロウィーンの決り文句を口にすると「Boo!」のポーズをとり、植物園を出ていくゲストを見送った。
 はじめは慣れない衣装を着て気恥ずかしい気持ちが大きかったが、それも最初のうちだけだった。ハロウィーン実行委員会という名誉あるメンバーに選ばれ、ナイトレイブンカレッジのハロウィーンを円滑に進めるために死力を尽くすことは、なんとも優等生らしいことだとデュース自身満足していた。
 それに、何よりも楽しいのだ。ナイトレイブンカレッジのハロウィーンは生徒たちの衣装や校舎の飾り付け、寮ごとの催し物など何もかもが本格的で、訪れるゲストの笑顔を自然と引き出している。それを見ていると、自分まで笑顔になってしまうのだ。
 ハロウィーン実行委員会はただハロウィーンを楽しむだけではなく、準備を含め大変なことも多々あるが、それでもデュースはこの日を待ちわびていて、そして充実したハロウィーンウィークを過ごしていた。
 さて。そろそろ正門でスタンプラリーの台紙を回収する当番の時間だ。同じハーツラビュルのハロウィーン実行委員会であるケイトにひと声かけ、デュースが植物園を出たそのとき。

「トリック・アンド・トリート!」

 目が覚めるような明るい声とともに、デュースの目の前に現れたのは制服姿のエリィだった。
 今日はハロウィーンウィークの一日目。日曜日だ。ハロウィーン運営委員以外の生徒は普通の休日を過ごしているはずだが、このお祭り騒ぎに便乗しない生徒の方が少ない。エリィもそのうちの一人だろう。ナイトレイブンカレッジで過ごす初めてのハロウィーンを楽しもうという気持ちがその表情から溢れ出ている。
 しかし、先ほど聞こえた「ハッピーハロウィーン」とはまた違うハロウィーンの決り文句は、少々おかしなところがあった気がする。言い間違いだろうと大して気に留めなかったデュースは、キャンディバケットからカラフルなペロペロキャンディを取り出した。

「ほら、お菓子だ」
「やった〜! ありがと、デュース。ハロウィーン運営委員のお仕事、お疲れ様!スケルトンの衣装すごく似合ってるね!」
「ああ、ありがとう。エリィは? ハロウィーンを楽しんでいるか?」
「うん! オンボロ寮がディアソムニアのスタンプラリー会場になっちゃってるから、お客さんがたくさん来て飽きないし、魔法で浮いてる飾りを見られるし、すごく楽しいよ!」
「エリィらしいな」

 自分が寝泊まりしているプライベートな場所にゲストが押しかけたら、たいていの人は気疲れしてしまうことだろう。しかし、何事もプラスに考えるのがエリィのモットーだ。どんなことでも前向きに、自分が楽しく笑顔でいられるように物事を変換させる。その考え方がエリィの持つ最大の魅力であり、いつも向日葵が咲くように明るい笑顔ができる秘訣なのだろう。

「えっと、トリートはもらったから〜。次はトリックね!」
「え?」
「さっき言ったじゃん。トリック・アンド・トリート! って」
「ちょっと待て! それって……」

 にたり。エリィは笑った。それは裏表のない天真爛漫なものではなく、思わずドキリと胸が鳴るような小悪魔めいた笑顔だった。

「お菓子ももらうし、イタズラもしちゃうよってこと!」
「わっ!?」

 エリィはデュースの目の前にマジカルペンを突き出した。デュースは反射的にギュッと両目を閉じ、両腕で顔を覆い隠した。
 しかし、待てども待てども、何も起こらない。クラッカーのように大きな音が鳴るとか、虫がどっさり降ってくるとか、そういう子供のようなイタズラを予想していたがどうやら違うようだ。それとも、イタズラをするつもりが、魔法が不発したのだろうか。
 腕を退かしながら恐る恐る目を開ける。エリィはデュースの顔を覗き込んだかと思うと、満足そうに笑った。

「イタズラ完了! じゃあね、デュース! あとからサバナクローの会場も見に来てね!」
「お、おい!? イタズラって……」
「怒られる前に、にっげろ〜!」
「……行ってしまった」

 まるで背中に翼でも生えているかのように、エリィは軽やかに駆けていった。
 イタズラのあとのあんなに無邪気な、嬉しそうな笑顔を見てしまっては怒る気にもならない。それに、ハロウィーン期間中はイタズラなんて挨拶のようなもの。怒るのも野暮だ。
 そもそも、デュースはエリィのイタズラが何かわかっていない。マジカルペンを出していたから何か魔法を使ったのだと考えられるが、体に違和感はない。魔法を使ったように見せかけて、脅かすことがイタズラだったのだろうか?
 考え込みながら歩いていると、あっという間に正門まで辿り着いてしまった。デュースはスタンプラリーの当番をしているエペルに声をかける。

「エペル、待たせたな! 交代の時間だ」
「あ、デュース……クン……?」
「ん? どうしたんだ?」
「デュースクン……だよね?」
「そうだが……?」

 エペルはなぜか、デュースがデュースであることを疑っているようである。しかし、デュース本人だと確認できると、エペルはダークカラーのリップで色付いた唇を上げてクスクス笑った。

「それ、エリィサンの仕業、かな?」
「えっ!? やっぱり、僕はどこかおかしいのか? エリィがイタズラをしたらしいんだが、どこをどうイタズラされたのかわからないんだ」
「ふふっ。はい、これ」
「手鏡……?」
「うん。ヴィルサンから、常に持ち歩いて身だしなみに気を遣えって言われてるんだ。邪魔だなぁと思っていたけど、役に立ちそう、かな?」

 エペルは小さな手鏡をデュースに差し出した。
 まさか、顔に何か落書きをされたのだろうか? スートを描き替えられているのでは?
 手鏡を受け取ったデュースは、意を決して自分の顔を鏡に写した。
 そこに映っていたのは、眩しいほどの――金だった。

「目の色が変わってる!? この色は……」

 涼し気な目元の真ん中に嵌っているデュースのピーコックグリーンの瞳は、眩しいサンライトイエローに輝いていた。
 デュースの身近でこの瞳の色を持つ人物を、彼は一人しか知らない。そしてその人物は、つい先程デュースにイタズラをしたと宣言した。

「……エリィの瞳の色だ」

 イタズラをされたというのに、怒りも、呆れも、嘆きも、そんな感情は一切浮かんでこない。寧ろ……微笑ましいといえばいいのだろうか。思わず表情が綻んでしまうくらいだ。
 この感情の名前は、なんだろう。デュースはまだその名前を知らない。熱くもなく冷たくもなく心地よい温度の、優しい気持ちになることができるこの感情の名前を、知らない。
 ただ、イタズラに変わってしまったこの瞳の色が、今はとても、大切なもののように想えたのだ。



2021.10.31
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