鳥籠の金糸雀

 風は、自由は、いつも変わらずそこに在った。それなのに、自ら鳥籠に閉じ籠って、安全な場所で、遠い空を見上げ続けていた。
 飛行には向かない服や髪型だから。包帯をまだとることができないから。そんな飛べない理由ばかりを探して、恐怖と向き合おうとしなかった。
 でも、勇気を出してもう一度翼を広げた瞬間に、溢れる涙を堪えることができなかった。

 ――飛ぶことが、好き。

 恐怖を乗り越えて、想いを打ち明けたとき、神はカナリーの勇気を認めて『自由』の証を授けたのだ。

「ミカくん、こっち!」

 『暴徒化したヒルチャールを退治してほしい』
 冒険者協会から依頼を引き受けたカナリーは、すぐにミカと一緒に現場へと向かった。岩の盾を持ったヒルチャール暴徒が一体と、弓矢を持ったヒルチャールが三体いる。
 きっと、以前のカナリーだったら、一人で相手をすることは難しかった。しかし、今は違う。ここにある風元素の神の目と、初めて単身で攻略した秘境で手に入れた鳥籠型の法器が、カナリーの強い味方となる。

「ミカくん。私、行ってくる!」
「わかった。でも、サポートは僕に任せて」

 そう言うと、ミカはクロスボウを照準モードにして、ヒルチャール暴徒に狙いを定めた。

「立ち去ってください」

――スターフロストスワール

 流霜の矢先がヒルチャール暴徒めがけて発射されると、矢を受けたヒルチャール暴徒のみならず周囲にいた三体のヒルチャールに氷の破片が突き刺さり、ダメージを与える。
 ミカの存在に気付いたヒルチャールたちが立ち上がり、武器を構えるよりも先に、カナリーが前に進み出て、右足で地面を蹴った。同時に、ふわり、とワンピースが揺れる。落下の傷跡を隠していた右足の包帯は、青いリボンに変わっていた。

「行くよっ!」

 ミカの元素スキルの加護を得て、より速く、飛ぶ。法器に元素力を込めると、鳥籠から翼が生えて風元素を放出する。風は刃となりヒルチャールたちを怯ませ、その間にカナリーはいち、に、さん、とステップを踏むようにヒルチャールたちの周りに風の種を撒いた。そして。

「飛んでいっちゃえ!」

――ファラウェイ・スカイ

 カナリーが合図を送ると、風の種から強風が吹き上げてヒルチャールたちを吹き飛ばした。三体のヒルチャールはそのまま宙で塵になり、風にさらわれて消えていった。しかし、ヒルチャール暴徒はまだ倒れておらず、その巨体と盾を持ってカナリーめがけて突進してきた。

「カナちゃん!」

 一瞬、反応が遅れて吹き飛ばされるも、すぐに風を集めてクッションを作ることで衝撃を軽減させる。そして、軽やかに着地したカナリーを取り囲むように、光の粒子が集まってきた。

「治療は僕に任せて!」

――スカイフェザーソング

 ミカが総合型前進測量装置を開き元素力を爆発させると、氷の羽根がカナリーの傷を癒す。青白い冷たい輝きを放っているというのに、ミカの元素力が生み出した羽根は仄かにあたたかいような気がした。羽根はそのままカナリーに寄り添い、彼女を守り、そして護る。

(ミカくんの力は優しいなぁ……)

 そっ、とカナリーは羽根を撫でて、ヒルチャール暴徒を見上げた。ミカが傍にいてくれている。それだけで、もうなにも怖くない。

「もう一度、羽ばたいて!」

――バード・イン・ケージ

 鳥籠のような空間を形成して敵を閉じ込め、竜巻を発生させる。ヒルチャール暴徒の体は宙に舞い上がり、風の刃に切り刻まれて消えてしまった。
 終わった。そう思った瞬間に、身体が一気に疲れを訴え始めた。カナリーが神の目を授かってしばらく経つ。法器を使った戦闘だってだいぶ回数を重ねたが、自分のものとするにはまだ実戦が足りない。
 ふう、とカナリーが呼吸を整えていると、ミカが走ってくる音が聞こえて振り返った。

「カナちゃん、大丈夫!?」
「うんっ! ありがとう。ミカくんの元素力のお陰で速く動けたし、癒してくれた怪我も、ほら!」

 手をヒラヒラさせ、さらにその場でくるりと一回転してどこにも傷がないことをアピールする。すると、ようやく安心したようにミカの表情が綻んだ。

「それならよかった。でも、今日は僕が一緒にいたけれど、一人のときも無理しないで」
「わかってるよっ! 一人で冒険するのはもう少し法器での戦いに慣れてからにする。スクロースちゃんやモナちゃんに教えてもらおうかな。ふたりとも法器の使い方が上手……って、いけない! ミカくん、早くモンド城に戻ろう! せっかくの風花祭だもん。一秒でも長く楽しまなきゃ!」

 カナリーはミカの手を取ると、モンド城へ戻るために走り出した。
 今は風花祭の期間なのだ。祭りの間は冒険者協会への依頼が激減するのが毎年の傾向だが、急ぎの事件があれば引き受けるのが冒険者だ。特に今回の依頼は、風花祭に参加するためにモンド城へ向かう人に安全を届けるという意味でも急務だった。
 冒険者協会に復帰したばかりで張り切っていたカナリーが二つ返事で依頼を受けたため、その場に居合わせたミカが慌ててついてきたのだが。

「あの、カナちゃん」
「なーに?」
「冒険者協会に復帰するのはすごくいいことだと思うんだけど、その、それなら昔みたい動きやすい格好がいいんじゃないかなって……ほら、風の翼で飛び回るならなおさら」

 ぴたり、とカナリーは足を止める。ミカの足音もそれに倣って止まった。
 ミカの忠告はもっともである。カナリーは落下事故に遭う前はもっと冒険者らしい服装をしていたし、安全面を考えてもそうするべきなのだ。しかし、飛べないことの言い訳を作るためにいつしかワンピースやヒールばかりを身に付けるようになっていた。
 恐怖を乗り越えて翼を再び広げた今は、もうそうする必要はない。それでも、カナリーが昔のようなスタイルに戻らないのは。

「だって……ミカくんが、似合うって言ってくれたから」

 遠征隊に引き抜かれていたミカが戻ってきて再会したときに、かけてくれた言葉。そして、神の目を授かったあの日に、すっぽりと抱き留められた腕の力強さを思い出す。
 ヒールを履くようになっていたから、わからなかった。同じ目線だったと思っていたミカは、いつのまにかカナリーの身長を追い越して、成長していた。その事実を思い出すと、なぜか頬が熱くなった。

「そ、それなら……これも受け取ってくれる?」
「え?」
「風花祭では大切な人に『風の花』を贈る習慣があるでしょう? だから……カナちゃんに贈るならこれかなって思ったんだ。花の形が鳥みたいで、カナちゃんに似合うと思ったから」

 なぜかミカの頬もカナリーと同じくらい赤く染まり、差し出された手も少しだけ震えていた。手のひらの中におさまっている彼にとっての『風の花』を見て、カナリーは小さく息を呑んだ。蒼穹と同じ色の花がいくつも連なった可愛らしいピアス。その一つ一つが、本当に鳥が翼を広げているような花弁の形をしていた。
 ピアスはすぐにカナリーの手に掬い上げられ、耳元を彩った。どう? と問うように首を傾げて微笑むと、ミカも同じ笑顔を返してくれた。

「可愛い、かな?」
「うん! やっぱり、カナちゃんと今の服に似合うよ」
「……っ、ありがとう! すごく、すごく大事にするねっ!」
「そ、それから、僕はカナちゃんのこと……ずっと昔から……か、可愛いって、思ってたよ」
「え……っ、えっと、それって」
「あーっ!!」

 ビクッ! と、ミカとカナリーの体が同時に跳ね上がった。少女の声がした崖の下を見やると、ひとつの風船が空に吸い込まれようとしていた。きっとあの風船は風花祭を楽しんだ証なのに、このままでは少女の風花祭の想い出は悲しいものになってしまう。
 カナリーはすぐにミカに声をかけようとした。しかし、カナリーが何かを言う前に、ミカは全てを見透かすように微笑んでこう言った。

「いってらっしゃい、カナちゃん」
「ミカくん……うん! いってきます!」

 カナリーは躊躇いもなく地面を蹴って、崖から飛び降り風の翼を広げた。宙を滑空しながら風船を掴み、風を体全体に感じながら空を想う。

 ――やっぱり、風が、飛ぶことが……大好き。

 金糸雀はもう鳥籠の中には閉じ籠らない。自由の翼を広げて、大好きな風と共に生きていくのだ。



『鳥籠の金糸雀』END 2023.08.11