恋人が雷電将軍になっていた件
 『光華容彩祭』。稲妻に古くから伝わっている最大の祭典である。
 稲妻にはかつて詩歌が達者な五人の歌人――五歌仙がいた。五歌仙は毎年五人で歌集を作り、そのうち一人が稲妻城に赴いて将軍に歌集を献上していた。後世の人々は彼らを題材とした物語を、歌、小説、俳句、絵画など、様々な形で作った。それはやがて一つの祭りとなり、人々は創作の喜びを分かち合い楽しむようになった――それが光華容彩祭が生まれた経緯だ。
 しかし、永遠を求めた稲妻が国を閉ざすと、人々は創作から遠ざかってしまった。今年の光華容彩祭は、復興の第一歩として娯楽小説を中心とした文化交流会を開催することになっている。鎖国が解かれた稲妻からモンドや璃月の創作家に招待状を送り、光華容彩祭に招くことで、他国との交流と祭りの復興を同時に行おうという計画だった。
 祭りの主催はもちろん社奉行だが、この祭りに関しては八重堂の編集長でもある八重神子も主催者の一人であり、勘定奉行と天領奉行も協同して運営を行うことになっている。何ヶ月も前から祭りの準備を計画し、数日間かけて会場である離島を祭り仕様に飾った。
 そして、光華容彩祭がとうとう幕を開けたのだ。

(離島がこんなふうに賑やかになるなんて……なんだか不思議だな)

 万国商会の前の広場――五歌仙広場をゆっくりと歩きながら、トーマは様々な音に耳を傾けていた。同人誌や新刊を販売する作家たちのどこか緊張した声と、目当ての本を手に取った客の嬉しそうな声。人気の娯楽小説のキービジュアルが描かれたのぼりの前でシャッターを切る音。会場限定の食べ物を片手に舌鼓を打つ人の笑顔。
 かつてこの地は、異国から来た者を監視するための場所だった。それが今は、異国からの客をもてなし、国籍など関係なくみんなが楽しんでいる。モンド人の母と稲妻人の父のハーフであるトーマにとって、これほど嬉しいことはなかった。神里家の家司だけでなく、離島での顔役という身分を併せ持つ身としても、この地が賑やかになることは大歓迎だった。
 しかし、今は祭りの期間。トーマは離島の顔役としてではなく、稲妻幕府を支える社奉行として祭りのサポートにあたっている。困っている人には声をかけ、本を買うために並んでいる客列を整え、ゴミが落ちていれば清掃し、不審な人物がいないか見回りを欠かさない。全ては社奉行、神里家のために。特に今回の祭りは当主である神里綾人が直々に出向いて公務にあたっている。なおさら、間違いがあってはならない。人当たりのいい表情を浮かべて祭りを楽しむ人々へ気さくに声をかけながらも、トーマは社奉行の一員として様々なところに目を光らせていた。

(特に問題はなさそうだ。そろそろ昼のピークが過ぎた頃だし、休憩しても大丈夫だろう)

 祭り期間中の食事はトーマの楽しみの一つで、会場限定の様々なメニューを仕事の合間に堪能していた。特にセーリングブリーズ商店と八重堂が共同開発した『お願いっ! 私の仙狐宮司』のドリンクは見栄えが良く味も絶品だった。豆アレルギーである荒瀧一斗がそれを飲んで倒れてしまったという事態だけは想定外だったが、本人は無事に回復し、アレルゲンとなった豆乳を取り除かれたドリンクを飲んで満足そうにしていた。
 今日は何をいただこうかと考えながら歩いていると、会場の一角に一軒の食事処を見つけてその足を止めた。

「ここは……木漏茶屋が出店している食事処だったっけ。そういえば、せつなは絶対に来ないでほしいと言っていたけれど……どうしてだろう」

 トーマが祭りのサポートスタッフを任されているように、せつなにも仕事が与えられている。それが、目の前の食事処だ。祭りとなると食事をとる店は何店舗あっても足りやしない。実際に、昼時は連日どこもかしこも店の外まで列が連なっていた。そこで、社奉行が経営している木漏茶屋から何人かが出張し、臨時で食事処を開くことになったのだが。

『あの、えっと、トーマさん。祭り中はお客様がたくさんいらっしゃると思うので……』
『ああ。もちろんわかってる。お店に行くのは控えておくよ』
『はい。絶対に、ぜったいに、ですよ?』

 祭りが開催される前に交わした、せつなとの会話を思い返す。あのとき、せつなにしては珍しく強くトーマに念押しをしてきた。そのときは特段何も感じなかったが、この列の先には何があるのだろうという好奇心が、今になって湧いてきた。その結果……トーマの足は列の最後尾に並んでしまったのだった。
 そして待つこと三十分ほど経ったとき、ようやくトーマは店内に足を踏み入れることができた。

「いらっしゃいませ。あら? トーマさんでしたか」

 その瞬間、トーマは硬直した。トーマを迎えてくれたスタッフは彼もよく知る人物――梢だった。しかし、問題なのはその装いだった。普段木漏茶屋で働いているときに着ている和服ではなく、桃色の狐耳をつけて丈の短い巫女装束を纏っている。席へと案内されて冷や水を出されている間も、トーマの脳内は大混乱だった。

「えーっと、その服は……?」
「これですか? これは『お願いっ! 私の仙狐宮司』に出てくる仙狐の仮装――つまりコスプレです」
「……コスプレ?」
「娯楽小説の登場人物に扮したスタッフが接客をする『コスプレ喫茶』。どうやら妾が考えた策は好評のようじゃ」
「わっ!? 神子様いつの間に!?」

 神出鬼没とはこのことだ。突然現れた八重神子は梢の隣に立ち「なかなか似ておる」と満足そうに笑っている。よくよく周りを見渡せば、他のスタッフも不思議な格好をしている。満更でもなさそうなスタッフもいれば、どこか恥じらいを捨てきれていないスタッフもいる。誰もこの案に異を唱えるものはいなかったのだろうかと首を傾げたくなったが、店主である太郎丸さえも背中に龍の翼のようなものを背負わされているのだから、他のスタッフが着ないわけにはいかないのだろう。

「……はっ! ということは、せつながオレに来て欲しくなかった理由ってまさか!?」
「どなたかわたしを呼ばれましたでしょうか?」

 聞きなれた声がトーマの耳を優しく撫でた。声のするほうへと視線を向けると、そこにはおぼんを持ってトーマがいる席へと向かいかけているせつなの姿があった。しかし、ふたりの視線が絡んだ瞬間、せつなは目を見開いて足を止めた。

「と、トーマさん……」
「せつな……その格好は……」

 艶のある宵色の長い髪は後ろで一本の三つ編みにまとめられている。ここまでなら何の疑問も違和感もない。食事処の従業員が髪をまとめるのは然るべきマナーである。
 しかし、視線を落としていくと、せつなも梢と同様にコスプレをしているということが一目でわかった。
 せつなが纏っている艶やかな紫苑色の着物は臀部が隠れるギリギリの丈で、肩口から胸元が大きく開いたつくりをしている。必然的に露になっている太ももや肩、そして胸元が火照ったようにほんのりと色付いているように見えるのは、トーマの気のせいではないだろう。せつなの顔にはみるみるうちに熱が集まり、今にも爆発しそうになっているのだから。

「まさか……せつなが着ているのは……」
「『雷電将軍に転生したら、天下無敵になった』の主人公。つまり、雷電将軍のコスプレです」

 やっぱり。トーマは脳内をフル回転させて考えた。社奉行としてこれを止めるか否か、だ。
 先日、荒瀧派が個性的な装いで祭りに来たときは、祭りの雰囲気を損ねるからという理由で退けることができた。しかし、この空間においてコスプレというものはなにも違和感がない。何せそれが目的となっている店で、従業員がみなそれぞれ物語の登場人物になっているのだから、普通の格好をしているほうが浮いてしまうくらいだ。それに、いくら八重神子とはいえ社奉行の当主である綾人の許可なしで木漏茶屋を好きにしているとは考えにくい。綾人からの許可は降りていると考えるのが妥当だろう。
 綾人の了承を得ており、従業員たちもどこか楽しそうに接客をしている。もちろん、食事に来た客も「帰りに小説を買って帰ろう」「写真を撮ってもいいですか?」と、予想外のサービスに盛り上がっているようだ。この食事処は祭りに大いに貢献しているといえる。
 ならば、トーマにこの営業方法を止める権利はないのではないだろうか。例え、太ももや肩口、胸元が露になった服を恋人が着ることになったとしても、本人が首を縦に振ったのなら。
 ちらり、と視線を落とす。頭一つ分以上背が高いトーマからは、必然的にせつなのことを見下ろす形になってしまう。すると、どうしたって視界に入ってしまうのだ。新雪のような真っ白い肌がつくる、露になった柔らかな膨らみが。顔を真っ赤にしてふるふると震えている、恋人の姿が。

「と、トーマさん……み、見ないでくだ……さい……」

 消え入りるように助けを求める声を聞いてしまっては、それ以上は耐えられなかった。トーマは自らの上着を脱ぐと、せつなの肩にふわっとかけた。

「トーマさん……」
「神子様。せつなには別の衣装を着させてあげてもらえませんか?」
「何故じゃ? せつなのコスプレは特に人気があるというのに」
「それは……彼女は恥ずかしがり屋なんです」
「稲妻の神の姿になれるというのに、何を恥ずかしがることがあるのじゃ? 問題など何もないじゃろうに」

 八重神子は心底不思議そうに首を傾けた。嫌味でもなく、皮肉でもなく、本当に不思議に思っているようだった。人間と生活を共にしているとはいえ、やはり仙狐。価値観や倫理観が、人間のそれとズレている。
 稲妻の神である雷電将軍になりきることができるのだから、一般人にとっては光栄極まりないことなのだろう。下手なことを言っては社奉行の信頼にも関わる。間違っても「胸の谷間が露になる服を着ることが苦手な人間だっているし、自分も大人数の前で恋人に着てほしくない」とは言わないようにしなければ。

「それが、一つ問題が発生したようです」
「若!」

 思考をフル回転させていたトーマにとっては、天からの助けが来たように思えた。食事処の戸が開き、綾人が現れたのだ。

「苦情、というほどのことではないのですが、先ほどご意見をいただきました。『コスプレされている人物が登場する小説ばかり売り上げが伸びて、他の作家は見向きもされていない』と」
「……ふむ。それは想定外じゃった。確かに、コスプレは一種の宣伝とも言えるじゃろう」
「そこで、娯楽小説の登場人物に扮するのは今日でおしまいにして、明日からは別の衣装を用意しましょう。不公平にならないよう、祭りを盛り上げられる案があります」
「お主が言うのじゃから、コスプレと同じくらい祭りを盛り上げる衣装であろうな?」
「もちろんです。それに、誰もが平等に楽しめるものですよ。せつなさん、それでよろしいでしょうか?」
「は、はい。もちろんです。綾人さま」

 せつなの表情が幾分か和らいだ。それを聞いたトーマも、きっと彼女と同じような表情をしていたのだろう。彼のためだけに調色されたような美しい二藍色と視線が絡むと、綾人は少しだけ口元を緩ませて片方の瞼を落とした。

(……若にはお見通しだな)

 夕餉は綾人の好物ばかりにしよう。トーマはこのとき、主への忠誠を改めて確認したのだった。

 ――そして、次の日のこと。正午に昇った太陽が少し傾いた頃、トーマは再びせつながいる食事処へ足を運んでいた。今朝、神里屋敷の廊下ですれ違ったときに『トーマさん! お時間があったら食事を食べに来てくださいね』と、嬉しそうに声を弾ませていたせつなの姿を思い出す。あの様子からすると、綾人が用意した衣装を気に入ったのだろう。トーマとしては、露出度の高いものでなければ何であれ安心できる。

「せつな、いるかい?」
「トーマさん!」

 しかし、食事処の暖簾をくぐった直後、トーマは再び硬直することになった。
 せつなは華やかながら品のある袴を身に纏っていた。その上からはフリルが可愛らしいエプロンを重ねており、同じくフリルがふんだんに使われたヘッドドレスを身に付けている。
 一言でいえば、ただただ、可愛い。しかし、それがトーマにとっては問題だった。

「せつな、その、その衣装は……」
「モンドの『めいど』衣装を稲妻流にした袴です。これならいつも通り接客できます」
「そ、そうかい。それはよかった」
「……あ。さっき、トーマさんと呼んじゃった。今日からここは『こすぷれ喫茶』じゃなくて『めいど喫茶』なのに」

 こほん。咳ばらいを一つ。そして、せつなは極上の笑顔でマニュアル通りの台詞を紡ぐ。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 くらり、眩暈がする。その笑顔と、メイド喫茶の決まり文句の破壊力たるや。
 コスプレとはまた別の問題が発生してしまいそうだと、トーマはまた頭を抱えることになったのだった。



2023.09.13

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