黄花色のつけぶみ
『どーも。特別に用意した品、入荷してますけど』
目が覚めて、枕元に置いてあった手紙を開くと、見慣れた文字でこう書かれていた。丁寧なのにどこか気怠い話し方で脳内再生されて、思わず小さく笑う。
隣に並べられている布団は半分に畳まれていて、そこで眠っていた人物はどこにもいない。制服も長靴も帽子も見当たらなかった。
今日はなにか特別な日だったかしら? と考えながら、絹の白生地で仕立てられた寝間着を脱ぐ。仕事が休みの今日、手に取るのはイチョウ商会の制服ではなく、普段着として着ることができる着物だ。
青みがかった黒地に、目が覚めるような黄花玉簾が咲いている。控えめでありながら華やかなこの着物は、コトブキムラにしばらく拠点を置くと決めたときに呉服店でギンナンさんから見立ててもらったものだ。
イチョウ商会の一員であることを実感できる制服も好きだけれど、休みの日だからこそ着ることができるこの着物をわたしはとても気に入っていた。
着物に合わせて見立ててもらった帯を締めて、手作りしたかぎ針編みの肩掛けを羽織り、帯と同じ柄の草履を履く。手紙は懐にそっと忍ばせておいた。
まだ眠っているリオルを起こさないように、そっと戸を開けて宿舎を出た。向かうのは、荷車を停めているギンガ団本部の前だ。
休みだというにも関わらず、ギンナンさんは制服姿だった。いつもどおり荷車の前で椅子に腰掛け、視線だけをこちらに向けた。
「どーも。おはようございます、可愛らしいお嬢さん」
「ふふ。お嬢さんなんて言われる年齢じゃありませんよ」
「おれにとってルテアは、出逢った頃と同じでいつまでも可愛らしいお嬢さんだよ」
素の話口調になってしまったことに気付いたギンナンさんは「んんっ!」と誤魔化すように喉を鳴らすと、商人としての顔付きに戻った。
「お嬢さんの美しさをさらに際立てる特別な品が入荷していますが、どーしますか?」
「そうですね。せっかくですから、試してみてもよろしいでしょうか?」
「さすが、お目が高い」
ギンナンさんは満足そうに笑うと、わたしの目の前に小さな桐箱を差し出した。箱の表面には花の紋様が施されている。それを受け取り、鈴紐を解いて蓋を開けると、桐の香りがふわりと解き放たれた。
「これは、簪……?」
中に入っていたのは簪だった。一つ一つ丁寧に作り込まれたつまみ細工の花は、おそらく着物と同じ黄花玉簾だ。花から白露が落ちるように垂られた小さな藍玉は、光を閉じ込めて控えめに輝いている。
ギンナンさんは桐箱の中から簪を取ると、わたしの髪にそっと当てた。
「やっぱり、ルテアによく似合ってる」
表情が乏しいギンナンさんがわたしの前で見せてくれる柔らかな眼差しに、心の中が解されていくのがわかる。甘やかされてばかりではいけないと思うけれど、それでもやっぱり彼の優しさに甘えてしまうし、この温かさを知ってしまったらわたしも同じように返さずにはいられない。
「ありがとう……ございます」
誰も心の中に踏み込ませない能面のような微笑みを、ギンナンさんの前では外すことができる。わたしがわたしとして、心から微笑むことができる。ギンナンさんがいるから、わたしは人間らしく生きていられるのだ。
「どーしますか?」
「ふふ。こちら、いただきます」
「どーも! 素敵な笑顔のお礼に、お代は結構ですので」
「まあ、ありがとうございます」
商人と客の真似事をしていることが可笑しくて、二人で顔を見合わせてクスクスと笑った。
何でもない日の贈り物が、彼の隣に妻としていられる事実が、身に余る幸福としてわたしに降り注ぐ。それはまるで、この黄花玉簾と同じ色をした銀杏の葉のように。
黄花玉簾(ステルンベルギア・ルテア)の花言葉『安息、期待』
2022.02.14