タンポポに見守られて
僕はワタッコ。フキヨセシティで花屋を営んでいるアネモネくんという男のポケモンだ。身軽な体と綿毛を使って風に乗り、花を配達する仕事を任されている。
僕は普通のワタッコと違って桜色の体を持っているいわゆる『色違い』という個体らしい。配達をしていると物珍しいからか、人間はもちろんポケモンからもよく注目される。
でも、僕はこの体の色が好きだし、注目されるのも嫌いじゃない。僕を捕まえようとする人間もたまにいるけど、そんなやつらはバトルで追い返してやった。よく「可愛い」なんて言われるけれど、それだけじゃないってことはアネモネくんが一番よく知っている。だから、僕に花の配達を任せてくれるのだ。
普段は朝から遅くまで忙しくしている僕たちだけど、今日はお店の定休日。そして、ここは稲妻きらめく輝きの街、ライモンシティだ。
毎日着ている仕事着とは違って、アネモネくんはジャケットとデニムパンツを纏っている。いつもより念入りにセットした髪が気になるのか、待ち合わせ場所に向かうまでに、何度ショーウィンドウに映る自分の姿を確認していたか。
僕はアネモネくんの肩に乗って急かしてやった。
「わっ、ワタッコ?なんだよ。見た目を気にしてる暇があったら早く行けって?」
わかってるじゃないか、アネモネくん。うんうんと頷くと、アネモネくんはひっそりと息を吐き出した。
「待ち合わせまでまだ30分もあるし大丈夫だよ……緊張するな。告白してから初めての、フウロとのデートだもんな」
アネモネくんにはつい最近、恋人ができた。フキヨセシティのジムリーダーであり、大空のぶっ飛びガールという異名を持つ、ひこうタイプ使いのフウロちゃんという女性だ。明るく前向きで、人間にもポケモンにも分け隔てなく優しく接することができ、ポケモンバトルの強さと親しみやすい性格と笑顔でフキヨセシティ、いや、イッシュ地方でもかなりの人気を持っている子だ。
そんな子にアネモネくんが片思いをして早何年経っただろう。自分には無理だと傷付く前に予防線を張っていたアネモネくんは、フウロちゃんからの秘められた想いに気付いてようやく『あなたがすき』と告げることができた。両片思い状態だったふたりが、ようやく両想いになれたのだ。
だからといって、すぐに恋人らしいふたりになったかと言えばそうじゃない。アネモネくんの仕事はこの季節は繁忙期で、なかなか休みが取れなかったのだ。もちろん、その間も連絡は欠かさず取っていたようだし、フウロがちゃんがアネモネくんの店を訪れて花を買っていくことも以前と変わらず続いていたけれど。
それでも、ようやく訪れた休みにアネモネくんはフウロちゃんをデートに誘った。フウロちゃんは「疲れてるでしょう?ゆっくり休んでもいいのよ?」と心配そうにしていたけれど、アネモネくんは「フウロと一緒に過ごしたい」とはっきりと口にした。片想い状態のときと比べたら大きな成長だった。フウロちゃんも、気を利かせつつもやっぱりその言葉が嬉しかったらしく、笑顔で頷いていた。
そして、今日。アネモネくんの提案により、ライモンシティの遊園地でデートをしようということになり、待ち合わせ場所に向かっている最中だった。
「今日は楽しく過ごせたらいいな……できたらキスくらいしたいよな、うん」
そういう下心は心の中に留めておいてほしい。今まで何度かチャンスはあったようだけど、結局できずじまいになっているみたいだから、その気持はわかるけれど。
そんなことを話していると、待ち合わせ場所のゲート前に到着してしまった。
「……フウロ」
アネモネくんは道の反対側を見つめて固まってしまった。その視線を追うと、その理由がすぐに分かった。フウロちゃんが僕たちと同じように、待ち合わせ場所に向かっているところだったのだ。
赤い髪はふわりと降ろされていて、プロペラにも花にも見えるバレッタは耳より少し上で留められている。大きめのサイズのニットが女性らしさを引き立てている一方で、ショートパンツから伸びた健康的な足の先はヒールの低いブーツで覆われていて、遊園地デートという場に合わせた動きやすさも考えられているように感じられた。
視線を上げたフウロちゃんがこちらの存在に気付く。すると、パッと花が咲いたように笑って小走りに近付いてきた。
「アネモネくん!」
「フウロ。早かったんだね」
「うん!楽しみすぎて早く着いちゃった」
「……うん。おれも」
「ワタ〜!」
「あ、ワタッコも連れてきたのね。アタシも連れてきたの」
「コッコ〜!」
フウロちゃんの頭に乗っていたのは、彼女のワタッコだ。僕たちはすぐに並んで飛んで、手を繋いだ。アネモネくんとフウロちゃんが恋人同士になるずっと前から、僕とフウロちゃんのワタッコは恋人同士なのだ。
「じゃあ、おれたちも行こうか」
「ええ」
「……あのさ」
「なぁに?」
「服も、メイクも、似合ってる」
「!……ふふっ。ありがとう」
アネモネくんがぎこちなく差し出した手に、フウロちゃんが嬉しそうに自分のそれを重ねた。女の子と付き合うのは初めてではないんだから、こんなに緊張しなくてもいいのに。それだけ、ふうちゃんのことが好きなんだろうけど。
そのとき、フウロちゃんのワタッコが僕の手の綿をちょんちょんと突いて上の方を指した。意図を理解した僕は風に乗って上昇する。近くにいすぎてふたりの邪魔になったらダメだからね。
アネモネくんとフウロちゃんが楽しい一日を過ごせますように。あわよくば、ふたりの仲が進展しますように。ふたりの初デートを見守るために、僕とフウロちゃんのワタッコはふたりより少し離れたところをふわふわと漂うことにしたのだった。
* * *
日が傾き、青空が夕焼けに染まり始めたころ。アネモネくんはお化粧をなおしに行ったフウロちゃんが戻ってくるのをベンチに座って待っていた。
「はぁ……楽しかったな」
アネモネくんは噛みしめるように、しみじみと呟いた。
確かに、僕とフウロちゃんのワタッコは少し離れた場所からふたりのデートを見守っていたけれど、とても上手く行っていた。アトラクションの待ち時間はアプリを使って飽きさせないよう時間を潰していたし、混雑を避けるために昼食はレストランを予約していたし、フウロちゃんが歩き疲れた頃を見計らってはさり気なく休憩を提案していた。本当に、アネモネくんは石橋を叩いて渡る男だと思う。準備や下調べには余念がない。
ただ。
「楽しかったな、じゃない!キスできてないよな、おれたち!?」
こういうところは、両想いになる前の変な性格が残ったままだ。あと一歩足りないというか、不器用というか、ポンコツというか。好きな子を、フウロちゃんを前にすると知能指数が一気に低下してしまうとかよくわからないことを以前ボヤいていたけれど、今はなるほどと納得するしかない。
「どうするかな……これから遊園地を出て夕食を食べて帰る予定だし、その前に……」
視線を彷徨わせていたアネモネくんの目の動きが、ピタリと止まる。すると、ちょうどそこにフウロちゃんが帰ってきた。
「おまたせ、アネモネくん」
「あ、ああ」
「そろそろ閉園時間よね。アタシたちも出る?」
「その前に、最後にあれ、乗らない?」
アネモネが指したあれ、観覧車を見てフウロちゃんは目を輝かせて大きく頷いた。
二人を乗せたゴンドラがゆっくりと上昇していく。それを僕とワタッコは離れた場所で見ていた。観覧車がどういうものが興味はあったけど、さすがにふたりきりの空間を邪魔するなんて野暮なことはしない。モンスターボールに入っているふたりの他のポケモンたちも、今頃気配を殺しているに違いない。
ゴンドラが夕焼けの空を横切っていく。フウロちゃんの髪の色みたいに赤く染まった景色はとても綺麗で、声は聞こえないけどふたりも窓の外を見ながら楽しそうに話しているみたいだった。でも、いい雰囲気になっているのかと言われたら正直わからない。このまま何事もなく地上に着いてしまいそうにも思える。
仕方ない。ここは僕たちが一肌脱ぐとしよう。
僕はフウロちゃんのワタッコに体を寄せて、ある作戦を提案した。フウロちゃんのワタッコはパッと目を輝かせると、両手をパタパタさせて賛成してくれた。
少し危ないかもしれないけれど、加減を気を付けで。
「ワターッ!」
「コッコー!」
フェアリータイプの技『妖精の風』を繰り出して、ゴンドラを少しだけ揺すった。身を乗り出して景色を見ていたフウロちゃんの体は、バランスを崩してアネモネくんの腕の中におさまった。
うんうん、作戦通りだ。
僕とフウロちゃんのワタッコは急いでゴンドラの屋根の上に張り付いて、窓から中を覗き込んだ。
「ごめんなさい。大丈夫だった?」
「うん。おれは平気だよ」
「よかった。あ、重いよね。すぐ退くわね」
まさか、このままフウロちゃんを離すほどヘタレていないよねアネモネくん?
「フウロ」
「え?」
「……キスしていい?」
その問いかけに、フウロちゃんの頬は夕焼けのように染まって、そして。
「……うん」
とても小さな声で、頷いたのだ。
「好きだよ、フウロ」
「アタシも、大好き」
そこから先がどうなったのかは、ふたりしか知らない。覗き見しては悪いし、僕とフウロちゃんのワタッコはゴンドラの上でハイタッチを交わしていたからね。
ただ、ゴンドラから出てきたふたりはとても穏やかに笑っていたし、繋いだ手にぎこちなさはなく、しっかりと指を絡めあっていた。