icon

グラシデアをきみへ


 風が甘い香りと花弁を運び、咲き誇る花たちを揺らす。故郷と同じように花と風に愛された町でもこんなにも違うものなんだなと、アネモネは町のいたる所に咲く花たちを見て表情を綻ばせた。
 ここはシンオウ地方の鮮やかに花香る町、ソノオタウン。
 昔は荒れ果てた丘しかない場所だったが、現在は花が溢れた平和な町になっている。決して大きな町ではないが、町の北部に広がっている広大な花畑や、花から採ったあまいミツを使ったご当地グルメが人気を呼び、ちょっとした観光名所としても有名だ。

「はぁ、幸せだ……」
「うふふ。アネモネくん、シンオウに行くなら絶対にソノオタウンに行きたいって言ってたものね」
「うん。それもあるけど、誕生日の旅行でフウロと一緒にこの景色を見られたから、かな」

 アネモネがそう言うと、フウロは頬を花弁のように染めて微笑んだ。
 フウロの笑顔を花に例えるとしたら、以前のアネモネだったら大輪のヒマワリを連想していた。大空に咲く太陽のように、見る人の心まで明るくしてくれるような、そんな笑顔だ。
 しかし、想いが通じあった後によく見せてくれる微笑みは、桜のように可憐で幸せが滲み出るような、恋をする女性の笑みだ。
 アネモネの誕生日にシンオウ地方へ旅行に行くと決まってから、真っ先にソノオタウンへの観光を提案してくれたのもフウロだ。旅行の計画を進める間もずっと、フウロは嬉しそうに笑っていた。
 その笑顔が自分だけに向いている幸せを噛み締めながら、アネモネはフウロの手を取った。

「フラワーショップいろとりどりにも行けたし、休憩しない?あっちであまいミツを使った料理を売ってるみたいだよ」
「うん!行きましょう!」

 ふたりはソノオタウンの北部へと足を進めた。そこには色とりどりの花たちが一面に咲き、鮮やかに花香る町というフレーズに相応しい景色を作り上げていた。
 花畑の脇に停車しているワゴンには、あまいミツを使った様々な料理が売られている。軽食系やデザート、ドリンク類まで様々だ。

「フウロは何にする?」
「うーん、どれも美味しそうで迷っちゃうな。アネモネくんは決めた?」
「小腹が空いてきたから、おれはトーストにしようかな」
「えっ、待って待って〜!えっとね」
「ゆっくりでいいよ」

 どれも甘くて美味しそう。でもたくさん食べたら太ってしまう。うんうんと悩みながら選んでいるフウロの姿を微笑ましく思いながら見守ること数分後。
 アネモネの手にはあまいミツがたっぷりかけられたトーストが、フウロの手にはあまいミツがたっぷりかけられたソフトクリームがあった。ソフトクリームにはミツハニーの形をしたチョコレートのトッピング付きだ。
 花畑の中の、花が咲いていない場所を選んでふたりは腰を下ろした。

「じゃ、食べようか」
「うん!いただきまーす!」

 フウロはソフトクリームの先端をパクリと口に含むと、蕩けるような表情をして片手を頬に当てた。

「おいしーっ!」
「ははっ!フウロが食べてると余計美味しそうに見えるよ」
「アネモネくんも食べてみる?」
「じゃあ、お言葉に甘えてひとくち」

 付き合いたての頃は間接キスをするだけでもドキドキしていたのに、最近は慣れてきたものだとぼんやり思いながら、アネモネはフウロが食べたところからソフトクリームにかぶり付いた。
 あまいミツと言うからには胸焼けするほどの甘さを予想していたが、そうでもなかった。ミツ自体は甘いが、滑らかで口当たりの良いソフトクリームはさっぱりとしていて絶妙なハーモニーを生み出しているのだ。

「ん。うんまい!」
「でしょう?アネモネくんもトースト、食べてみて」
「うん。あー……」

 アネモネはトーストに齧り付こうとした、が。

「「え?」」

 トーストには見事な歯形がついていて、すでに半分以上がなくなっていたのだ。

「アネモネくん、いつトースト食べたの?」
「食べてない食べてない!」
『あー。美味しかったでしゅ』

 聞こえてきたのはお互い以外の声だった。高い声と拙い喋り方は幼い少女のようにも聞こえたが、周りを見渡しても誰もいない。
 その時ふと、花畑の中の一角が揺れ動いた。地面が小さく盛り上がったかと思うと、ひょっこりと顔と手足が現れたのだ。
 花畑に擬態していたそのポケモンは、フウロに近寄り靴の先に前足をのせる。

『そっちのソフトクリームもちょうだいでしゅ』
「あ、うん。どうぞ」
『ありがとうでしゅ』

 フウロがソフトクリームを近付けると、そのポケモンは小さな体に似合わない大口を開けてソフトクリームを飲み込んだ。残ったのはコーンだけだ。
 トーストとソフトクリームの大部分を食べられてしまったということよりも、アネモネもフウロも目の前のポケモンに興味津々だった。

「ポケモン……だよな?なんで喋れるんだ?」
「もしかしたら幻のポケモンかもしれないわ」
「幻の?この小さいのが?」
『ポケモンを見た目で判断しないでほしいでしゅ!ミーはシェイミ。幻のポケモンでしゅ』
「シェイミ!?」
「フウロ、知ってるのか?」
「ええ」
「さすがジムリーダー。おれは初めて名前を聞いた。見た感じ草タイプ……だよな?」
「そうよ。草タイプだけど……」

 シェイミと名乗った草タイプの幻のポケモンを見て、フウロは口元に手を当ててじっと何かを考えている。アネモネは自分の専門とする草タイプの、初めて見るポケモンを前にして興奮しているようだった。
 アネモネはシェイミを抱き上げて様々な角度から観察している。注目されて気を良くしたシェイミは自慢気に言った。

『美味しい食べ物のお礼をしてあげましゅ!幻のポケモンであるミーになにかしてほしいことはありましゅか?』
「お礼?」
「シェイミは感謝ポケモンって言われているくらいなのよ」
「へぇ。でも、お礼ねぇ」

 急に言われても、アネモネにはなにも思い浮かばなかった。草タイプの幻のポケモンが姿を見せてくれたということだけでも有り難いことで、むしろ感謝すべきはこちらの方だと思うくらいなのだ。
 そこへ、フウロが小さく手を上げた。

「あの、アタシお願いしたいことがあるの。いい?」
「いいよ。おれは特に思い浮かばないし」
「じゃあ、シェイミ。耳を貸して」
『なんにしましゅ?』
「あのね……」

 フウロはシェイミを掌に抱えて、唇を寄せて何かを囁いた。シェイミは「そんなことでいいのか」と言わんばかりに目をパチパチさせたが、すぐににっこり笑った。

『お安いご用でしゅ』
「え?……っ」

 その瞬間、シェイミの体から眩い光が溢れ出した。
 光の中のシルエットが変化していく。短い手足は伸びて、頭には翼のような耳が生え、首元にはスカーフのようなものがはためいている。
 光がおさまったとき、シェイミはその姿を顕にした。やはり、元の丸っこい姿から想像がつかないほどスマートな姿に変化していたのだ。

「姿が変わった!?」
「シェイミはね、普段は草タイプのランドフォルムっていう姿だけど、草飛行タイプのスカイフォルムにフォルムチェンジができるのよ。そして」

 フウロが頷くと、シェイミは空に向かって飛び上がった。跳んだのではない。飛んでいるのだ。そして、高い鳴き声を上げるとそれが合図だったかのように、五つの花弁を持った花たちがシャワーのようにアネモネとフウロへ降り注いだ。
 息を飲むほど美しい光景に手を伸ばす。指先に触れた花を掌の上で大切に受け止めると、アネモネはそれをしげしげと観察した。薄紅色のそれは、良く見ると変身する前のシェイミの耳元についていたものだ。

「これって……もしかして、グラシデアの花!?」
「グラシデアの花は知ってたの?」
「本で見たことがあるだけだよ。実際に見るのは初めてだ」
「そっか。よかった。グラシデアの花はね、感謝の気持を伝えるために誕生日や記念日に贈る花として有名みたいだから」

 フウロは掌に集めたグラシデアの花を、アネモネの頭上に放った。ひらひらと花が舞い落ちる景色の向こうで、フウロが微笑んでいる。花のような可憐な、恋心を滲ませた笑顔だ。

「お誕生日おめでとう、アネモネくん!生まれてきてくれて、アタシと出逢ってくれてありがとう!大好き!」

 誕生日が来るたびに言われきた言葉なのに、今日言われたその言葉は、今まで聞いてきた誰からの「おめでとう」よりもずっと特別のように思えた。

「感謝の気持ちを伝えるなら、おれだって」

 いつだって思っているし、想っている。幼馴染としてずっと一緒に過ごしてきたことも、片想いの間に花を通して密やかな恋心を伝えていてくれたことも、この想いを受けてくれたことも、こうして隣で笑っていてくれることも。
 感謝しても感謝が尽きない。少しでも伝えたくて、アネモネは手にしていたグラシデアの花をフウロの耳元に挿した。
 今から口にするのはシンプルでありきたりな言葉だ。でも、だからこそ、想いを込めやすい。

「いつもありがとう、フウロ。おれもフウロが大好きだ」

 空の遠くでシェイミが高く鳴いた。ふたりの感謝の気持ちを糧に咲いたグラシデアの花は、ふたりを外界から切り離すかのように、いつまでもひらひらとふたりに降り注いだ。



グラシデア
感謝を伝える花 2021.4.4





PREV INDEX NEXT

- ナノ -