枯れない花束
世の中には太陽信仰という言葉がある。太陽に近付きすぎた英雄が地に墜とされたという神話を聞いたこともある。しかしアネモネにとって、太陽は聖域でも信仰の対象でもないし、ましてや神のような存在でもない。
アネモネにとっての太陽とは、柔らかく、暖かく、すぐ傍で陽だまりの笑顔を見せてくれる。まるで、風にのって空を舞う花のように身近な存在だった。
「はー……いくら確信を持っていても緊張するな……」
すでに気持ちも覚悟も固まっている。迷いはない。それでも、手が震えるほど緊張してしまうのは、それだけ真剣に彼女のことを心から想っているから。
お守り代わりに腰に付けたモンスターボールたちが一斉に揺れる。ジャノビー、ロズレイド、ワタッコ、キノガッサ、シキジカ、リーフィア。アネモネはモンスターボール越しに一匹ずっと目を合わせる。
「わかってる。ちゃんと伝えるよ。フウロも伝えてくれたんだから」
最後に時間を確認して、アネモネは待ち合わせ場所へ向かう。何度も何度も、言葉にするべき6文字の気持ちを脳内で繰り返しながら。
* * *
『会って話したいことがある』というメッセージを、フウロがアネモネから受け取ったのは3日前の夜のことだった。指定された場所と時間を確認すると、フウロはすぐに了承の返事をした。
(改めて話って……この前のことかな)
いつも素敵な花束を作ってくれるお礼に。そう言ってフウロが渡したのは、今までアネモネの店で買った花で作った押し花のリースだった。
生花を押し花にするタイミングとしてベストなのは花弁がふんわりと自然に開いた頃だ。花を購入したらその時期を迎えるまで花瓶に挿して花咲く姿を楽しんだ。そのあとは、花と茎を切り分け、本に挟んで押し花を作った。事前に野花で練習をした甲斐があって、薔薇などの押し花にするのが難しい花もなんとか形にすることができた。
(もしかして、アネモネくん……気付いてくれたかな)
使った花は、近日にアネモネと思い出を紡いだ6種類の花。それから、サービスと言っていつもアネモネが添えてくれていたカスミソウだ。その6種類の花に、フウロは密やかな自分の想いを込めていた。
もし、その想いに気付いてくれているのだとしたら。向かった先で聞かされるのは、きっとその答えだ。
約束の時間までまだ30分はある。それでも、いても立ってもいられない2本の足は約束の場所へ向かってしまう。緊張と期待。それ以上に、純粋に逢いたいと想う気持ちがフウロをそうさせている。
(ふふ、こんなに早くに向かってるなんて、アタシは本当にアネモネくんが……)
紡いでいた思考が途切れる。待ち合わせ場所の、風が吹く小高い丘にはすでにアネモネの姿があったからだ。約束の時間より早くに向かった自分以上に早くその場所を訪れてくれている。その事実に、どうしても期待してしまう。
「フウロ」
芽吹いた小さな命のようなターコイズグリーンの瞳がフウロを捉えると、アネモネは花が咲くように唇を綻ばせた。その微笑みを見てフウロは、風にのった花弁が胸の奥にふわりと落ちたような、そんな感覚を改めて感じた。
あれは、アネモネが花屋になったばかりの頃だっただろうか。初めてアネモネの店に行ったフウロは、店先から中を覗き込み、花を見つめているアネモネの横顔を見つけたのだ。あのとき初めて見た彼の柔らかい横顔を今でも覚えている。幼い頃から知っていたはずの彼が、全くの別人のように見えた。
そして同時に──恋に落ちる、音がしたのだ。
「アネモネくん。久しぶり」
「久しぶり。最近は店に来ないからどうしてるかなと思ってたけど、元気そうで良かった」
「うん。アタシは元気よ。心配かけてごめんなさい。お店に顔を出さなかったのは……えっと……」
いつもだと真っ直ぐ目を見て話すのに、それが出来なくて斜め下ばかりを見てしまう。いつも空を見ている自分らしくないと自覚している。それでも、不安と緊張からどうしても目線が落ちてしまうのだ。
「フウロ」
「は、はい!」
「押し花の答え、ちゃんと見付けてきたんだ。聞いてくれる?」
弾かれるように顔を上げたフウロの目の前に、ふわりと、恋の色をしたフラワーアレンジメントが差し出された。枯れない加工が施されているそれに使われている6種類の花。
アネモネ
ナデシコ
タチフウロ
ガーベラ
スズラン
キーラローズ
そしてもちろん、いつも主役の花を際立たせるために寄り添っていたカスミソウも忘れずに使われている。フウロが花に込めたメッセージは、確かにアネモネへと届き、そして、返される。
「おれも『アナタが好き』だよ。フウロ」
ああ、よかった。伝わっていた。それだけで充分だったのに、同じ想いを返してくれたことがどうしようもなく嬉しくて、好きの気持ちが溢れ出て瞳を濡らしてしまう。
風が花を運ぶ丘の上で、重なった想いはアネモネが作った枯れない花束のように決して色褪せたりしない。何年も何十年も、ふたりの傍で咲き続けるのだ。