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キーラローズの恋


 その日の店は世間でいう休日ということもあって雑然としていた。客足が途絶えることがないため、スタッフもポケモンも総出で接客にあたっている。
 慌ただしい店先とは打って変わり、裏の作業場は静かだった。時計の針が時を刻む音と、ハサミの刃が擦れる音だけが響いている。

「……いや、これ自惚れじゃないよな」

 花の茎を適切な長さにカットしていたリーフィアは、思わず主人を見上げる。主人、つまりアネモネは手先こそ休む間もなく動かしてアレンジメントを作り上げていっているが、その表情は心ここに有らずというようにぼんやりしている。惚けている、とでも言うべきか。

「だって、好きでもない男を飛行機に載せたり、昔みたいに呼んで欲しいなんて言ったりしないだろ?普通」
「フィー」
「そう思うよな?リーフィア」
「リッ!リッ!」
「いや、でもあのフウロだしな……悪意や嫌悪っていう感情を知らないくらい真っ直ぐだからな……嫌いな人間なんていないだろうし、告白したところで「アタシも好き!アネモネくん、昔から仲良くしてくれてありがとう!」なんて言われるのがオチというか……」
「フィーアッ!」
「いてて!わかった!仕事に集中するから引っ張るなって」

 リーフィアに前足で小突かれたアネモネはようやく目の前の作業に意識を集中させる。こうなってしまえばあとは早い。周りの音さえ聞こえなくなってしまうほど集中してアレンジメントを作り上げていく。
 出来上がったいくつかのアレンジメントを持って店頭に出ると、客でごった返す店の中で一際目を引く赤を見付け、思わず目尻が下がる。花を見ていたフウロは、アネモネに気付くと同じように目元を緩ませた。

「こんにちは!アネモネくん」
「フウロさん……じゃなくて、フウロ。いらっしゃい」

 約束していたように、昔と同じ呼び方で名前を紡ぐ。物心ついた頃から呼ぶことをやめて、長い間呼んでいなかった呼び方だったが不思議と違和感がなく、むしろそう呼ばれるのを待っていたかのように耳触りが良かった。

「なんだか今日は忙しそうね」
「まあね。もうすぐクリスマスだから」
「そっか。あ、アタシのことはお構いなく!お花が決まったら声をかけるわね」
「あ、うん」

 少々名残惜しく感じつつ、フウロの気遣いを受け入れたアネモネは作業へと戻る。しかし、作ったばかりのアレンジメントを棚に陳列しながらも、片思いの相手が同じ空間にいるとどうしても気になってしまうものだ。
 ふとした時に横目でフウロの方を見ていたアネモネは、あることに気付く。花屋に訪れる客はその殆どの目的は花の購入で、花の種類だったり花の色だったり、花顔を見て決めることが多い。しかし、フウロが見ているのはそれよりも下だった。

(花……というより、ネームプレートを見てるのか……?)
「すみませーん!このプリザーブドフラワーをください」
「はーい、ただいま!あ、リーフィアは温室で観葉植物の剪定を頼んでいいか?」
「リィ!」

 指示を受けたリーフィアは剪定に使う自慢の尻尾を振りながら温室の方へと向かい、アネモネは客からプリザーブドフラワーのアレンジメントを受け取りレジへと入る。
 不思議なもので、ピーク時に一度レジに入るとなかなか抜け出せなくなってしまうのは、サービス業ではわりとよくあることだ。花を選んでいた客が同じタイミングでレジに向かってくる様は、打ち合わせでもしているのかと疑いたくなるほどである。
 たっぷりと10組近い客の会計を済ませただろうか。レジに並んでいた最後のひとり、フウロの番になったときアネモネはすでに疲労しきっていた。

「お待たせしました……」
「捕まっちゃってたね」
「あはは……」
「本当に忙しそうね。こんな時間に来てごめんなさい」
「全然!気にしないで。フウロはお客さんなんだからいつ来てくれても大丈夫だよ」

 客だからではなく「好きだからいつでも来て欲しい」と言えない自分自身の意気地のなさに心底呆れ返ってしまう。あれほど自惚れじゃないと言い聞かせたばかりなのに、慎重を通り越して臆病ともとられるこの性格を呪いつつ、フウロから花を受け取る。

「今日はこのお花をお願いします」
「ピンクの薔薇か。これはキーラっていう品種だね。かしこまりました」

 フウロが薔薇を選ぶのは初めてだということに気付きつつ、彼女らしい品種だとアネモネは口元を緩ませる。白に近い淡い桃色のキーラローズはたっぷりの花弁を付けて華やかに、愛らしく咲く。そこにいつも通りカスミソウを添えたら、なおさらキーラローズの愛らしさが際立ったミニブーケになる。

「お待たせしました」
「ありがとう!あの、アネモネくん」
「ん?」
「今度、いつもより少し早めにお店に来たいの。できたら、誰もいない開店前が良いんだけど……いい?」
「もちろん。本当にいつ来てくれても大丈夫だから、気にしないで」
「うん。じゃあ、また連絡するわね」

 要件を告げたフウロはくるりと背を向けて店を後にする。その耳元がほんのり赤く色付いていることに、アネモネが気付くことはなかった。


* * *


 フウロと約束を交わしてから1週間後。アネモネはいつもより早く店に来て、開店の準備を済ませると、店先でフウロを待った。
 冬は気温が低く切り花のもちが良い。きちんと水換えや手入れをしてやると2週間ほどもつこともある。だから『明日お店に行ってもいい?』とメッセージが届いた昨日は、今回はいつもよりだいぶ期間が短かったなと疑問に思ったが、それだけ会える時間が早まったと考えられたら嬉しい想定外だった。
 鉢植えの並びを整えていると、背後から「アネモネくん」と声をかけられて胸が跳ねる。名前を呼ばれるだけで喜んでしまう安上がりな心臓を落ち着かせるために深く息を吐き、振り返った。

「おはよう!」
「フウロ、おはよう」
「開店前にごめんなさい。用事が終わったらすぐに帰るから」
「いや、それはいいんだけど、どうかした?売り切れる前に見たい花があるとか?」
「ううん。これ、いつも素敵な花束を作ってくれるお礼」

 そう言ってフウロが差し出したのは小さめの紙袋だった。特にロゴが入っているわけでもないそれを受け取り可愛らしいテープで留められた口の隙間から中を覗くと、これまた可愛らしいラッピングがされた何かが入っている。

「え。おれに?」
「ええ!初めて作ったから歪だけど、受け取ってくれたら嬉しいな」
「もちろん!ありがとう。なんだろ……初めて作ったってことは手作り?開けてもいい?」
「それはダメ!」
「えっ」
「恥ずかしいから、アタシがいないときにして?」
「えー!すっごく気になる」
「ふふっ」
「でも、フウロがそうして欲しいならそうする。帰ってからの楽しみにとっておくよ」
「うん。ぜひそうしてください。じゃあ、アタシはジムに行くね。時間をとってくれてありがとう」

 手を振って、笑顔を残して、立ち去るフウロの後ろ姿を見送りながら、アネモネは今日は良い日だと噛み締める。今日も忙しくなりそうだが一日乗り切ることができそうだ。
 幸せに浸っていると、突然フウロがくるりと振り返ったため緩んでいた表情を慌てて引き締める。

「どうかした?」
「もし、なにか気付いたら教えてね」
「うん?」

 そう言うと、今度こそフウロは振り返らずに、足早にその場を立ち去ったのだった。


* * *


 アネモネが住んでいるのはよくある一人暮らし用の賃貸アパートの2階だ。就職の際に家を出て、実家と同じフキヨセシティに建っているこのアパートを借りたのだ。実家にいた頃は専業主婦の母親に任せっきりで家事ひとつやっていなかったアネモネだが、ひとりで暮らし始めて数年もすればそのくらしもすっかり板につき、働きながら家事をこなすルーティーンもスムーズに行えるようになっていた。
 休みの日に作り溜めていたカレーを温めているうちに、適当に野菜を切ってサラダにする。そして、朝のうちにセットしてタイマーをかけていた白米が炊きあがっていることを確認すると、器によそってポケモンたちと一緒に手を合わせるのだ。
 食事を済ませると風呂に入るのだが、アネモネは専らシャワー派だった。一人しか入らないのに浴槽にお湯を張るのももったいないという理由からなのだが、最近の冷え込み方から冬の間だけでも湯船に浸かろうと決意したアネモネは、服を脱いで洗濯機に放り込み、そのまま洗濯スイッチを押す。そうすると、風呂に入っている間に洗濯が終わっており、夜寝る前に洗濯物を室内干しできるという流れだ。
 一人暮らしを始めて数年。仕事と私生活を両立する上で、このルーティーンが最も心身に負担なくスムーズに行えるとの結論に至っていた。

「ん〜っ!やっと一日が終わったな」
「フィー」
「リーフィアもお疲れ……さて」

 あとは寝るだけの状態まで心身を整えて、ローテーブルの上に置いた紙袋を引き寄せたアネモネは、迷うことなく中に手を入れる。今日一日はこのために頑張ったと言っても過言ではない。休憩時間も、中身を確認したいという誘惑を振り切って一日我慢したのだ。

「なんだと思う?手作りって言うくらいだからお菓子かな?」

 巾着タイプの袋の口を縛っているリボンをスルリと解く。その瞬間、仄かな甘い香りが広がった気がした。しかしそれは菓子類の甘さではなく、いつもアネモネが触れて大切にしているものと似た匂いだった。

「押し花だ……!」

 小さな正方形の額縁には赤や桃色、白を中心とした花が、押し花としてリース状に飾られていた。所謂、押し花アートというやつだ。近年は押し花やハーバリウムなど花を使った習い事教室も増えているし、それに講師としてアネモネが呼ばれることもあるのだが、誰かの作品をプレゼントされることは初めてだった。
 一般的な男性だと「花をもらったところで」と思うのが大半かもしれない。しかし、花を心から愛しているアネモネは浮かれる心を隠せずにいた。いつもは自分が花を用意してプレゼントする側に近い立ち位置だが、今回は初めて自分がもらう立場に立てた。それがとても嬉しかったのだ。

「うわ……これ嬉しいな……!しかも、これ今までフウロが買っていった花だよな?押し花にするまで大切にしてくれてるんだな……」

 花咲くピークを過ぎてから押し花にしようと思ったら少し遅い。花が自然と開いた頃、つまり花を購入してすぐに乾燥させる必要がある。きっと、花を選ぶ段階から押し花にすることを想像して花を選んでくれていたのだ。そう考えたら胸の中が感謝と愛おしい気持ちで一杯になった。

『もし、なにか気付いたら教えてね』

 ふと、脳裏に浮かんできた言葉に導かれるように、額に顔を寄せる。

「気付いたらって何のことだろ。何か仕掛けがあるとか?」

 フウロはそう言っていた。だがしかし、全体的に特に変わったところはない。メッセージでも挟んであるのかと思ってもそれらしきものはないし、他に考えうるサプライズの内容をアネモネは思い付かない。

「これは、おれが届けに行ったガーベラだろ。この前フウロが買っていったキーラローズもあるな。ナデシコも、スズランも、アネモネもわりと最近買っていったものだし……あ、タチフウロがある!これは一緒に自然保護区に行った時に摘んで帰ったやつかな。ガーベラやバラは花弁が厚くて難しいのによくこんなに……」

 そこまで考えてハッとする。押し花にしにくい花を、わざわざこの中に入れているのには何か理由があるにちがいない。
 押し花アートを入れた額を穴が開くと思うほど凝視する。花の色合い。花言葉。花の配置。どれを考えてもしっくり来るものが思い浮かばない。
 何かないか。このプレゼントに隠された意味を解くための魔法はあるのか。

 凝視すること何分経過しただろうか。ふと、暗闇が晴れてようにアネモネの中のスイッチが入った気配がした。

「……え?」

 ガーベラ、キーラローズ、ナデシコ、スズラン、アネモネ、そしてタチフウロ。混ぜられていたパズルのピースが目の前でカチッとハマった気がする。
 これが偶然だったらとんだ笑い話だ。都合よく解釈してしまう自分自身に呆れてしまう。
 でも、アネモネが気付いたことで間違いがないとしたら。 

「おれ、ちょっと店に戻ってくる」
「リ?」
「やりたいことがあるんだ」

 もしそうだとしたら、一刻も早く、伝えたいことがあるのだ。



キーラ(ピンクのバラ)
花言葉『恋の誓い』2020.12.27





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