icon

秘めたるアネモネ


花のような人に、恋をした。

風に乗って遠くまで飛ぶ姿はタンポポの綿毛。
射抜くような眼差しでバトルする風格は気高いカトレア。
丁寧だけど親しみやすい話し方はチューリップ。
眩しい太陽を思わせる笑顔はヒマワリのような。

そんな彼女に、恋をしたんだ。


* * *


 風が花を集める街──フキヨセシティ。空と風に愛されたこの街で、風の花という名前をもつ自分が花売りの仕事をするようになったのも必然かもしれない、とフラックスの髪とターコイズグリーンの瞳を持つ男──アネモネは思った。

 アネモネというこの男は、一般的な男性よりは花について詳しい部類だ。花屋に勤めているのだから当然と言えばそうかもしれない。しかし、彼は花の育て方はもちろんのこと、フラワーデザイナーの資格を取得したり色彩検定で色の組み合わせを学んだりと、花に関してのスキルを高めることに余念がない。
 理由はとても単純だった。花や植物が好きだから。ただ、それだけのことだ。

 花屋の朝は早い。まだ夜が明けないうちから市場へ向かい、厳選した生花を仕入れると、その足で店に向かい仕入れた花達をオープンまでに店頭へと並べる。
 店がオープンしたあとは接客、販売、花束作りなど世間が花屋としてイメージを持つ仕事をこなしつつ、店内の花達に気を配ることも忘れない。水の入れ換えや茎のカットなど、花達を常に美しく咲かせるために、花それぞれに合った手入れは欠かせないのだ。他にも配達業務で店を空けることもあるし、ネット注文された花を発送したりもする。
 閉店したあとはレジ締めと売り上げの確認、翌日の業務確認やミーティング、清掃などを行いようやく一日が終わる。母の日やクリスマスなどの繁忙期には深夜まで業務に終われることもある。花売りは華やかに見えて、体力と気力が必要な仕事なのだ。

 花屋の業務は多岐に渡るが、なにもアネモネ一人だけで店を回しているわけではない。他にもスタッフはいるし、彼の手持ちのポケモン達だって一匹一匹が貴重な戦力だ。
 目利きが出来る仕入れの達人のリーフィア。綺麗好きでいつも店内を掃除してくれるジャノビー。愛嬌のある丁寧な接客が得意なシキジカ。力仕事はお手のものなキノガッサ。花束作りのセンス抜群なロズレイド。空を飛んで花を配達してくれるワタッコ。みんな、アネモネにとっていなくてはならないポケモン達なのだ。

 ポケモン達に助けられているとはいえ、早朝出勤も残業も、力仕事も手荒れも、理不尽なクレーム対応も、辛くないと言えば嘘になる。そんな仕事をなぜ続けられるのかと問われたら、やはり花が好きだからとアネモネは答えるだろう。それが一番当たり障りのない、正直な回答だからだ。
 しかし、アネモネにはもうひとつ仕事を続ける理由があった。その瞬間が、もうすぐ訪れようとしている。

 花達に霧吹きで水を吹き掛けつつ、時計を見上げる。この動作を何度繰り返しただろう。何度見ても時計の針が進む速度は一定なのに、それでも視線を向けてしまう。蔓を伸ばしてガラスケースの拭き掃除をしているジャノビーも半ば呆れたような表情だ。
 でも、もうすぐ。きっと、もうすぐ……やってくる。

「こんにちは!アネモネくん」

 アンティーク調のドアベルが優しい音色をたてた直後に聞こえてきた弾むような明るい女性の声は、幼い頃から聞き慣れていたものだった。それなのに、突風が吹いたように心を揺さぶられてしまうのは、アネモネが彼女に抱いている想いが関係している。
 跳ね上がった心臓を落ち着かせるため、一呼吸置いて顔を上げると、長いまつげに縁取られたクリッとしたコバルトブルーの瞳と視線が合った。青空に映えるようなストロベリーレッドの長い髪は両サイドを垂らし、残りは高い位置でプロペラのような髪飾りでまとめられている。水色の飛行服と青いベルトに身を包んだ体は、やや日に焼けている。
 フキヨセシティの住民ならばもちろんのこと、イッシュ地方でも彼女を知らない者はいない。

「こんにちは、フウロさん」

 フキヨセシティが誇る若き女性パイロットであり、大空を舞うポケモンと共に挑戦者を迎え撃つジムリーダー──フウロ。
 アネモネが想いを寄せる相手。

「お仕事お疲れさまです!今、大丈夫?」
「大丈夫だよ。フウロさんはいつもお客さんが少ない時間に来てくれるから」
「……」
「な、何かな?」
「『フウロさん』って、なんだか他人行儀だなって。アネモネくんのお姉さん、エイルとアタシは幼馴染みで、アネモネくんとアタシも幼馴染みのようなものなんだから、昔みたいに『フウロちゃん』とか『フーちゃん』とか呼んでくれていいのに」
「それは、まあ、ほら……もうお互い子供じゃないんだし、昔のままってわけにもいかないよ」

 幼馴染み、という言葉に少しだけ胸が苦しくなる。二人の関係を示すその言葉は、まるで薔薇の棘が指先に触れたように、小さくて見えない痛みを残した。
 そう、子供ではない。子供ではないからこそ、この感情の名前に気付いてしまったのだから。

「それはそうと、今日はどうする?」
「うーん、そうね。どうしようかな。アネモネくんのお店のお花はどれも綺麗でいつも迷っちゃう」

 週に一度ほど、アネモネの店を訪れたフウロは花を買っていく。フウロが花を選び、それを二輪手に取る。受け取ったアネモネはその二輪の花にカスミソウを添えて、小さなブーケにするのだ。
 二人で決めたわけでもないのに、いつからか習慣化されていたこの日を、花が好きなアネモネはいつも待ち遠しく思っていた。今日、フウロが選ぶのはどの花だろうか、と。
 それがいつしか、フウロ自身が店に来るのを待っていたのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。

「このお花は?」
「これは……アネモネだね」
「本当?アネモネくんと同じ名前なのね」
「そう。別名、風の花っていうんだ。フウロさんみたいに綺麗な花だよね」

 コバルトブルーの瞳がパチリと瞬いた。しまった、と思ったがアネモネは顔色を変えず、何でもないように再度口を開き、言い直す。

「フウロさんの髪の色と同じで綺麗な色の花だよね」
「なーんだ!うふふ、ありがとう。アネモネ……うん!髪の色を褒めてもらっちゃったし、これにします!」
「かしこまりました。少し待ってて」

 フウロが選んだアネモネの花を二輪受け取り、背を向けたところでようやく表情を緩められた。どうやら上手く誤魔化せたようだとホッと息を吐く。何でもない相手に本性を隠すのは容易いが、心を許している相手には思ったことをわりとすぐに口に出してしまう。姉のエイルと同じ、アネモネの癖だ。変なところが似たものだと少し恨めしくも思う。
 一番大切な想いも素直に伝えられたらいいのに、と何度思ったことか。

「はい。いつもありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。いつも可愛いカスミソウまでサービスしてくれちゃうんだもの。気前が良いよね」
「……でも」

 こんなことをするのはフウロだけだ、と。勇気を出してそう言おうとしたとき、フウロのスマホが鳴った。何も操作せずとも画面に出てきたポップアップメッセージを見たフウロの表情が、一段と眩しく輝く。

「ごめんなさい!チャレンジャーが来たみたい。ジムに行かなくっちゃ」
「あ、うん。ジム戦、頑張って」
「ありがとう!今日もぶっ飛んじゃうよ!」

 ごめんと言うわりには、フウロは嬉しさを隠せないようだった。理由は単純。アネモネが花を好きなように、フウロはポケモンとポケモンバトルが何より好きなのだ。

 ジャノビーが蔓を伸ばしてドアを開けるとカランとドアベルが鳴る。「お見送りありがとう」と笑顔を残してその向こう側へ消えたフウロの姿を追いかけるように、アネモネはしばらくドアを見つめていた。
 想いを伝えるのは簡単だ。しかし、フウロが言うようにアネモネはフウロの親友の弟であり幼馴染み。それ以上でもそれ以下でもない。想いを伝えて実ればいいが、折れてしまったときのことを考えるとどうしても臆病になる。この店にフウロが訪れ、二人で花に囲まれ談笑する時間がなくなるかもしれないのは、とても悲しい。

「我ながら女々しいったらないな……こんなに惚れてるくせに」

 フウロのことが好きだ、と。秘めやかな恋心は、春を待つ蕾のように今日も花開く日を待っている。



アネモネ
花言葉『きみを愛す』2020.03.22(2020.12.10)





PREV INDEX NEXT

- ナノ -