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ナデシコは微笑む


『そげん好いとるなら告白するとよかたい!』

 通話相手のアネモネの親友──シズイは竹を割ったようにサッパリと言い切った。あまりの声量にアネモネは思わずスマホを遠ざけ、更には通話音量を最小まで下げた。仕事の昼休憩に電話をしたいからと近くの公園まで足を伸ばしたのだが、これでは誰にも聞かれないようにわざわざ仕事場を離れた意味がない。

「シズイ!声が大きい……!」
『ん?ああ、すまんの』
「それに簡単に言わないでくれよ……言えてるならこんなに悩んでない」
『なんでじゃ?』
「だって、相手はあのフウロだ。ジムリーダーでありながらフキヨセシティが誇るパイロット。ちょっとしたアイドルよりファンの数は多いんだぞ?」
『ほう。じゃが、それとアネモネがその子を好きなことと何か関係があるんか?』
「……フウロを好きになる男はたくさんいる、ってこと。それなのに、敢えておれを選ぶとは思わない」
『アネモネは難しいことばっか考えるけん、いかん!ロズレイドもそう思わんか?』

 アネモネの隣で上品にポケモンフーズを口に運んでいたロズレイドは「全くだ」と言わんばかりに首を縦に振った。ロズレイドは仕事に対してとても真摯な頼りになるポケモンなのだが、ジャノビーと同じで昔から主人に対しても容赦がない。

『好きなら好きっち言う!ダメだったら好きになってもらうごつ努力する!それだけじゃろ?まずは言ってみらんと!』
「シズイみたいに前ばかり向ける性格ならよかったんだけどな……」
『後悔するくらいならまずはやってみる!それがおいの信条じゃけんの!怖がっとったらなんも始まらん!石橋を叩きすぎて壊してしまうと渡れるもんも渡れんくなるけん』
「……」

 シズイの言葉はあまりにも的を射ており、アネモネは昼食のサンドイッチを咀嚼するフリをして沈黙する。アネモネは自分自身でこの厄介な性格を理解しているのだ。
 『失敗すること』を恐れてしまうアネモネは、いつも自分の全力の一歩手前を生きてきた。難関のスクールに進学して必死に勉強についていくより、ワンランク下のスクールで主席をキープする。足を引っ張られる恐れがある集団スポーツより、自分の実力で確実に勝利できる個人スポーツの部活に入る。そして、受け入れてもらえるかもわからない告白をするくらいなら、自分を好きと言ってくれた子と付き合う。
 そうやって、常に『成功するように』自分の立ち位置を調節しながら生きてきたのだ。無様に這いつくばらないように、敗者にならないように。
 傷つかない、ように。

 そうやって生きてきた。だから、いつの間にかそこにあった「フウロが好き」だという想いは胸に秘めたまま、いつか消えていくのを待つつもりだったのだ。まさか、大人になった今も消えないなんて。消えるどころかどんどん加熱して、こうして誰かに相談しなければおさまらないほど大きくなっていたなんて。

「とりあえず、おれなりに頑張ってみるよ」
『おー!応援しとるぞ!』
「そっちこそ。今度ジムリーダー試験を受けるんだろ?方向は違うけどお互い頑張ろうな」
『そうじゃそうじゃ!おいも頑張らんとな!とりあえず泳ぎに行くか、アバゴーラ!んじゃな!』

 ジムリーダーになるための試験準備を頑張ることと泳ぎに行くのとはなにか関係があるのだろうかとアネモネが疑問を口にする前に通話は切れた。相変わらず忙しない親友だ。しかし、自分にはない前向きな勢いと明るさを持っているシズイと話すと不思議と気分が晴れてくる。それでも。 

「努力してもどうにもならないことだってあるだろ……?」

 どれだけ血反吐を吐くくらいの努力しても、叶わないことだってある。それを間近で見てきたからこそ、アネモネは『失敗すること』を恐れるようになり『確実に成功する道』を選ぶようになったのだから。
 シズイが画面から消えたスマホに視線を落とすと、デジタル時計が13:05を表示している。

「やば、休憩時間過ぎてた……ってロズレイドいないし!?先に戻ったのか!?本当にワーカーホリックだな」

 さすがは仕事一筋のポケモンだ。仕事が好きで真面目なのはいいことだが、主人を置いていくほどなのだからもはや中毒に近いのかもしれない。
 残りのサンドイッチを無理やり口の中へ詰め込み慌てて店へと戻る。休憩交代するスタッフにお詫びの缶コーヒーを渡し、エプロンを付ける。頭を仕事モードに切り替えて店に続く扉を開く。

「こんにちは、アネモネくん」

 そこへ飛び込んできたフウロの笑顔に、文字通り心臓が飛び出しそうなほど動揺したアネモネは段差を踏み外して盛大に尻もちをついてしまった。

「大丈夫?すごい音がしたけど……」
「だ、大丈夫だよ……」

 穴があったら入りたい。寧ろ自ら穴を掘って隠れてしまいたい。クスクスと笑ってくれているのが唯一の救いだった。触れられないように気を遣われていたら、逆に羞恥心が湧いて落ち着かなかったに違いない。

「うふふ。今日はナデシコのお花をお願いします」
「ナデシコだね。了解」
「あ。今ね、アネモネくんのロズレイドが準備をしてくれているのよ」
「ロズレイドが接客しててくれたんだね。助かった」

 ブーケを作る作業台の上にはフウロが選んだと思われるナデシコの花が二輪と、カスミソウが置いてある。それから、花に合いそうな色のリボンやフラワーラップが何種類か用意されている。
 ここまでしてくれているのに、実際ブーケを作る役をアネモネに譲ってくれるのだからよくできたポケモンである。好きな相手に渡すものは自分の手で、というアネモネの気持ちを理解してくれているのだ。
 ロズレイドは得意げに胸を張り、客寄せのために店頭に向かう。他には客もスタッフも誰もいない。小さなブーケひとつ作るのに大して時間は必要ないが、この時間が少しでも長く続くようにとアネモネは一つ一つの動作を丁寧にゆっくり行う。

「毎日大変ね」
「なにが?」
「お仕事。朝は早いし力仕事も多いんでしょう?」
「うん。でも、やっぱりおれは花が好きだからさ」
「……そっか。そうだよね。アタシも好き」

 あまりにも柔らかく、愛おしむような声色に、思わず心臓が跳ねる。

「ポケモンと一緒に空を飛ぶことが!だから、ジムリーダーもパイロットの仕事も頑張れちゃう。それと一緒ね」
「そう、だね」

 何を期待してしまったのだろうか。ようやくおさまりつつあった羞恥心が再び湧き出してしまうところだった。
 それでも脳はまた「アタシも好き」と言ったあの声色を繰り返し再生してしまう。視線を落としていたのが残念だった。いったい、どんな表情でその言葉を紡いだのか。知りたくとも、もうそれは叶わない。
 いずれにせよ、それが自分に向けたものではないことは百も承知なのだが。

「アネモネくんってお休みの日は何をしてるの?」
「休みの日?」
「そう。小さい頃は一緒に遊んだりしてたけど、スクールに入ったくらいから全然遊ばなくなったじゃない?」
「ああ、そうだね。勉強が忙しかったから」
「あ……そっか。アネモネくんのお父さん、ちょっと厳しい人だったっけ」
「まあね。お陰でそこそこのレベルのスクールに入って、ずっとやりたかった仕事に就けたんだから感謝はしてるけど」

 少なくとも、アネモネにとってはそうだった。ポケモンの研究職に就いている父親は、アネモネと姉が幼い頃から厳しい教育を施した。自分と同じ研究職の道に進めるように、確実に安定した幸せを掴むことができるように。
 研究職に就きたいと考えたことはあまりなかったが、その教育のおかげで自分の将来の選択肢が広がったことをアネモネは感謝していた。
 あくまでも、アネモネは。

「休みの日はポケモンたちとのんびりすることが多いよ。みんな自然が好きだから森や山に行って自然を楽しんだり……って、仕事してるときとあんまりやってることは変わらないね」

 ロズレイドのことをワーカーホリックだと思ったが、結局はアネモネも変わらなかった。休みの日でも考えてしまうくらい花や植物、自然が好きなのだ。愛情を込めただけ美しく育ち、癒やしを与えてくれるその存在が。

「そうだ!」
「ん?」
「次のお休み、アタシがいいところに連れて行ってあげましょうか?」

 出来上がった小さな花束を渡そうとしていた手を止めて、アネモネは数回瞬く。自分なりに頑張ってみるとシズイには言ったが、案外その時は早くやって来そうだ。


ナデシコ
花言葉『純粋な愛』『無邪気』2020.12.12





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