24.Precious

深い海のような色をした瞳の奥に、ルナは幼い日の記憶を映し出した。太陽と月の両家が、共に国を導いていた頃の記憶だった。一人っ子だったルナは、歳が離れたルカを良く慕い、ルカもまたルナのことを妹のように可愛がった。
まるで本当の兄妹のようだった二人が対立を始めたのが、十年ほど前のことだった。サイバースペースが急速に普及し出し、文明は異常なまでに発展した。文明の進化をますます推進させるよう動いたのが、当時ルナの両親がトップを担っていた月の一族が率いる組織。反対に、進化しすぎる文明に危機感を覚えたのが、当時ルカの両親がトップを担っていた太陽の一族が率いる組織だった。
前者は、ありとあらゆるものをデジタル化し、サイバーペースでの生活を主体にますますの便利化を図った。後者は、昔ながらの暮らしを残すことも大切で、植物や動物など人間以外の命あるもの全てを大切にすべきだと訴えた。太陽と月のトップがルカとルナに変わってからも、二つの意見が交わることはなかった。互いに、自分が正義だと信じて疑わなかったから。

「いつから、こんなことになったんだろうね。ルカ」

血だまりの中に伏しているルカを見下ろし、問いかけても、返事はない。ただ、血と同じ色をした赤い瞳に睨み返されるだけだった。

「る、な」
「真昼に共存している太陽と月のように、昔は太陽の一族と月の一族も共存していた」
「……は、なせ」
「フィラ・デル・フィアの繁栄のため、手を取って協力しながらこの国を導いてきた。それなのに」
「っ、アリスを、離せ!」
「ルカ様!」

ルナに捕えられたアリスの首元には、チャクラムがあてがわれている。ルナが少しでも力を籠めれば、その白い肌に赤い線が入ってしまうことは確かだろう。守ると言ったって、現実はこのざまだ、とルカは自身を罵った。

「結局、私達が正しかったんだよ。ルカ。今、この場に立っているのは私だ。この事実が、全ての証明だよ」
「いえ!まだルカ様は負けていません!」
「んー。威勢のいい子は嫌いじゃないけど、君は自分の立場をもう少し自覚したほうがいい」
「「!」」

アリスは表情を歪め、ルカは目を見開いた。チャクラムの刃が微かに皮膚を裂き、血がアリスの首筋に伝ったからだ。ルカは太陽の頂点として、いつも凛としていた。どんなときであろうと己の正義を疑わず、そんな彼だから多くの人望に支えられていた。しかし、彼も一人の男だ。愛する者の危険と、自らの信念。天秤にかけられれば、揺らいでしまう。
正しいのは君達でいい。僕達の負けだ。だから、アリスを離してくれ。そう言おうと、ルカは必死に顔を上げ、声を出そうとした。しかし、全てを見通したかのようなアリスの声に、阻まれた。

「どんな状況になろうと、ルカ様は諦めたりしません。どんな時でも、ルカ様は自分を信じて前だけを見つめていました。その背中を守るのが、私達の役目です」
「あ、りす」
「ルカ様。私は信じています。どんなことがあっても、貴方は自分の力で輝く私達の太陽だと。そして、私達を裏切るようなことはしないと。だから」

アリスの言葉は、最後まで続かなかった。チャクラムの刃が、その柔らかな肉を裂き、横へと滑ったからだ。ルカの目には、それがまるでスローモーションのように映った。アリスの首から大量に吹き出す血が、彼女とルナを濡らしている。ルナが手を離せば、アリスは壊れた人形のように崩れ落ち、べしゃりと音を立てて自身が流した血だまりに伏した。

「……アリス?」

ルカの呼びかけに、答えはなかった。

「アリス!!」

体の奥底から力を振り絞り、ルカはアリスの元に駆け寄った。血まみれになった体をぎゅっと抱きしめる。まだ、微かに息はしている。しかし、アリスの命の音は確実に途切れようとしている。

「ルカが消えない、ってことは、まだ死んでないね。彼女。まぁ、時間の問題かな」
「……」
「分かったでしょう、ルカ。正義はどちらだった、っ!」

視界の隅に光を見つけ、ルナは反射的に背後へと飛びのいた。ルナの頬に一筋の傷が出来た。ルカが振り上げた剣が、彼女の頬を掠めたのだ。アリスの体を床にそっと横たえて、ルカは両手で大剣を握った。ルナは冷静だった。冷静に、怒りに身を蝕まれつつある男の姿を、見ていた。だから、ルカの目に涙が浮かんでいるのにも、気付いていた。

「……驚いた。ルカの涙なんて、今まで見たことがなかったのに」
「あ、ぁぁあ゛ああぁ……っ!!!!」
「哀れだね」

どこか悲しそうにルナは微笑んで、自身を道連れにしようとするルカと最後の戦いを始めた。血だまりに伏したアリスが、動くことはなかった。







目が覚めるような雷撃が、夜を裂く。ビルの間を縫うように飛びぬけながら、小狼とアサヒは電撃を飛ばし合った。電気使い同士、電気による攻撃は効かない。しかし、電子機器に大量の電流が流れればショートしてしまうように、自身の許容範囲以上の電撃を浴びてしまえば、アオイを電撃から守った時の小狼のように微かに隙は生じるし、下手をすれば大電圧により身を焦がすことになる。互いに、それを狙っていた。
メキメキ、と何かが剥がれるような音がした。小狼が背後を振り向くと、橋の柱に使われていた鉄骨を、アサヒが分解しているところだった。磁力をまとわせ、それを小狼目掛けて弾幕のように飛ばす。自身の周囲の磁界を捻じ曲げたり、飛んだりして、それを避けていたが、一つの鉄の塊が避けきれなかった小狼の腹にめり込んだ。壮絶な痛みと吐き気に襲われたのと、彼が宙を落下し出すのは同時だった。ふと我に返った小狼は、再び自身の周りとビルの間に磁場を作り出す。落下は止まったが、彼の体力の消耗は目に見えていた。

「はぁ、っ。はぁ」
「テラーを維持できなくなった時こそが、最期だな」

アサヒの言うとおりだった。彼らはテラーで属性を操ることで、無理やり空中に滞在している。磁場を張る対象がなくなったり、テラーが底をついたりした時こそが、ゲームオーバーだ。
小狼は焦りを感じていた。電気使いとしての能力の応用の仕方が自身よりアサヒの方が遥かに上だということを、感じ取っていたからだ。それでも、負けるわけにはいかなかった。どんな手段を使ってでも、勝たなければいけない。

「おれは……負けるわけにはいかない。貴方がどんなに強い願いを持とうと、おれは」
「願いなんてない」
「!?」
「あるとしたら……ただ、ルナに笑っていてほしい。それだけだ」

アサヒは銃口を小狼へと向けて、そこに電気を集め、一気に放出した。その攻撃を、小狼は避けなかった。全身を駆け巡るこの痛みこそが、アサヒが戦っている意味だということを感じたかったから。そんな状況下で、小狼は刀を構えた。月しか浮かんでいなかった夜空に、黒い雲の塊が立ち込める。それが雷雲だということにアサヒが気付いたのは、小狼が技を放とうとする直前だった。

「……まさか」
「属性を応用して戦っていたら、おれは貴方に勝てないから、こういうストレートなやり方にかけるしかない」
「っ!」
「雷帝招来!!!」

耳を割るような音を轟かせて、雷がアサヒへと落ちた。落雷の電圧は数億ボルトに達することもあるという。小狼と同じ電気使いと言えども、その強大な電圧を受けたアサヒが、無事であるはずがなかった。しかし、それだけの攻撃を仕掛けた小狼のテラーも限りなく少量まで消耗し、空中に浮遊するだけのテラーを維持出来なくなってしまった。体の落下が始まり、彼が向かうは摩天楼の底だ。無意識に伸ばした右手は、彼以外の誰かに掴まれた。

「小狼君!」

レン、だった。エアカーから身を乗り出したレンが、小狼の手を掴んで落下を止めた。

「どうして……!?」
「あのね、あれから私とファイは頑張ってバベルを上り続けたのよ。そりゃあもう足腰ガックガク言わせながら。で、しばらくしたら、私達みたいに誰かがエアカーでバベルに乗り込んだ形跡があったの。エアカーはまだ使えたから、これで一気に頂上を目指そうと思ったんだけど、遠くで小狼君が戦っているのが見えたから」
「そう、だった、のか」
「若干、さっきの落雷で目がやられちゃったけどね。あと、膨張した空気にエアカーは飛ばされちゃいそうになったけど、良かった。間に合って」
「ねぇ。戦っていた彼はどうするー?なんか拾っちゃったけど」

運転席にいるファイは、後部座席を指差した。そこには意識を失っているアサヒが横たわっている。高位の属性使いと言うこともあり、小狼が全身全霊を込めて放った落雷を受けても死んではいないようだった。

「……一緒に連れて行こう」
「いいの?起きたらまた襲われちゃうかもよ?」
「分かっている。でも、彼もおれ達と同じだから」

願いは違えども、大切な者のために戦っていることは共通の事実だから。仕方ないなぁ、とでも言いたげに笑いながら、レンは小狼をエアカーに引き上げた。

「さ、急いでバベルに戻りましょう。一緒じゃないってことは、アオイちゃんがあそこにいるんでしょう?」
「ああ。最上階に行っても、ゲートらしきものは見当たらなかった。きっと、アオイが探してくれているはずだ」
「んー?ねぇ、あれなんだろうね?」

ファイが指差す、あれ、とは巨大なプラズマだった。青とも紫とも表現しがたい色をした核を中心に、繊維状の光を放つ巨大なプラズマボールは、まるで月と対峙するかのようにバベルの上空に浮かんでいた。







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