12.Hope

「君がNo.A1509……?」
「アオイ」
「え?」
「私の名前はアオイ。その名前、嫌いなの。私は人間。モノじゃない」
「……そうだね」

No.A1509という記号名を持つ少女――アオイは、男が消えてその場に一つ残っていたナイフを拾い上げ、こびりついた血を拭った。そこで、ファイは思い出した。彼女は数日前にリアルワールドで出会った少女であるということと、彼女はこのナイフをとても大切にしているということを。

「ごめんね。オレを助けてくれたせいで、それ、汚しちゃったね」
「いいの」
「でも、大切なものなんでしょう?」
「そう。とても大切なもの。でも、これで貸し借りはなし」

次の瞬間、ファイの頬を風が切った。血筋がツウッと顎へと垂れていく。アオイはナイフを振り、新しく濡れた血を絨毯に飛ばした。

「私は何があっても優勝しなきゃならないの。手段は選ばない。どんなに卑劣な手を使っても、勝つ」
「……本当に怖いねぇ、このゲームは」

あんなに儚く笑っていた少女を、こんなにも冷徹に変えてしまうのだから。

「っ!」

ファイは本棚の影に身を隠した。アオイが羽根ペンを飛ばしてきたからだ。本物の武器を得るまではこの屋敷にあるありとあらゆるものを武器にするしかない。アオイが投げてきた羽根ペンは殺傷能力こそ低いが、刺さればそれなりに怪我をするし刺さる場所によっては致命傷になる。

(彼女もこの宝箱が目的、かな。確かに、どこに隠してあるのか分からないものを探すより、人から奪った方が早い。でもそれは、自分の戦闘能力に自信がある者の話だ。だとしたら)

ファイは本棚を盾代わりにしながらアオイの攻撃を避けていく。羽根ペン、鉄矢、ダーツの矢などを飛ばしてくるあたり、どうやら彼女は飛び道具が得意分野らしい。

(彼女も相当な実力者ってこと。リアルで会ったときは普通の女の子に見えたけど)

くらり、眩暈がした。血を流しすぎていることはファイも自覚している。正面から向き合ったところで、今のファイでは恐らくアオイには勝てない。ならば、逃げるしかないのだ。
ファイは図書館を飛び出して廊下を駆けた。足はさすがにファイの方が速い。右へ左へ、窓を飛び越えて渡り廊下を渡り、別の棟へ。

暫く全力疾走したところで、ファイは立ち止まり息を整えた。振り向いてもアオイはいない。どうやら、うまく撒いたらしい。思わずほっと息を吐いた、が。

「っ!?」

ファイの肩に鉄矢が刺さった。幸いそれは小さかったので大事には至らなかったが、ファイを動揺させるには十分だった。アオイが追い付いてきたのだ。
それから、ファイがいくら走ってもアオイは彼の行く先を知るかのように先回りし、立ちはだかる。次第に、ファイの顔に疲労の色が滲んできた。

(なんだ?ただ血の跡を追いかけているだけじゃない。オレの動きを読んでいる……?いや、まだテラーやその類の力は規制されているはず。だとしたら、どうやって……?)
「もうそろそろ、チャックメイト」
「……それは、困るねぇ。オレも、願いがあるからね」
「願いの強さなら、負けない」

アオイが投げた鉄矢が刺さる前に、ファイはそれが刺さる以上に強烈なダメージを右脇腹に受けた。そのまま壁に叩きつけられながら、あれ、以前にもこんなことなかったっけ、確か高麗国で。と、半分自暴自棄になりながら痛む後頭部を押さえて体を起こす。何してるんだこの男は、という目でレンはファイを見下ろしていた。

「可愛い女の子と追いかけっこ?」
「ちょとー、蹴り飛ばすなんて何事?もうちょっと優しく助けてくれてもよかったんじゃない?」
「手段を選んでたら今頃ファイの額には鉄矢が刺さってたけど?」
「それはそうだけどさぁ。ほら見てよ、オレこんなに重症」
「胸を張って言うことじゃないわね……?」

レンはアオイの顔を見て、ゲーム開始時のことを思い出した。サイバースペースにアクセスして最初に彼女が部屋にあった古い写真立て。その写真の中で、両親と祖父母に囲まれて幸せそうに笑っていた幼い少女の面影を、アオイは持っていた。

(写真立ての女の子に似てる……?ちょうどあの子が10歳くらい成長したら、彼女のようになる感じ……?)
「!」
「「?」」
「見つけた」

アオイは飾ってある花瓶に向かって鉄矢を投げた。矢が刺さって部分から亀裂が走り、花瓶は割れた。中から現れたのは小さな宝箱。アオイはそれに手を伸ばして躊躇うことなくそれを開いた。
目が眩むほど真っ白な光が彼女を包む。片方の瞳は穢れのない白色になり、彼女が得た属性は光。そして武器は、彼女を囲むように浮かぶ無数のナイフ。
光が消えた時、アオイはもうそこにいなかった。二人の右目をそれぞれ覆うモニターにはまた一人、ミッションをクリアしたというメッセージが流れた。

「アオイちゃんっていうんだって」
「そう」
「なんだか、彼女とはまた会う気がするよ」
「ん。私も今そう思ったの」

レンに手を引いてもらい立ち上がりながら、ファイは額をおさえた。血を流しすぎたのだろうか、どうも意識がはっきりしない。

「宝箱持ってるなら早く次に進めばいいのに。だから狙われるのよ」
「酷いなぁ。みんなと合流しようとオレ探してたのにー」
「小狼君、もう次のステージに進んだみたいだけど?」
「え、いつ?」
「何十分か前に」
「あー、たぶんそのころオレ、アオイちゃんと追いかけっこしてたからねぇ。モニター見てる時間ないよ」
「もう。本当に、こんなに血だらけになって。相変わらずよ、ファイは。みんなのことばかり考えて、優しすぎる」
「そんなことないよ。もしかしたら、一人でいるのが怖いだけかもしれない。一人でいて、みんなが知らないうちに消えてしまうのが」
「今のところ一番消える可能性が高いのはファイなんだけど」
「そうだねぇ」
「へらへらしない。冗談抜きにリアルの体やばいんじゃない?血みどろのぐちゃぐちゃに……ん?」

レンはファイの体を押しのけて、背後にかかっていた絵画に手を伸ばした。先ほど、ファイが衝突した衝撃で絵が歪んでいるようだが、ずれたその裏側に空間を見つけた。
ビンゴ、だ。レンも隠されていた宝箱を発見した。これで、二人がこのファーストステージにとどまっている理由はない。

「発見!」
「よーし。小狼君も次に進んでるなら、オレ達も行こう」
「そんな体で大丈夫?次はどんなステージかわからないわよ」
「テラーを放出出来ないんだから、死ぬ以外にゲームオーバーになれないよ。それなら、進むしかないでしょう」
「……それもそうね。じゃあ、開けるわよ?」
「うん。せーの」

同時に宝箱を開けた二人を包むのは、青色の光だった。等しく青と言っても、レンの青は空のように澄んでいて、ファイの青は彼の瞳のように深かった。結果、レンの左目は鮮やかな水色に、ファイの左目は濃い青色に変化した。

「ファイ、あんまり変わってないね」
「そう?自分じゃ見えないから」
「たぶん氷の属性よ。私、さっき同じ色の人に会ったもの」
「氷かぁ。レンレンは水色だよ。ってことは、水かなぁ」
「ふーん。そういえば、武器は?私、グローブみたい。拳で戦えってことかしらねぇ」
「……」

ファイは中に入っていた武器を無言でレンの目の前に差し出した。笛、だった。小型で不思議な形状をしているが、間違いなく笛だ。そう言う以外に当てはまる名称をレンは思いつかなかった。

「笛?」
「みたい」
「これだけ血みどろになって宝箱を守って、結果、笛……」
「……」
「……」

どうやって戦うのだろうか、と二人は同じことを考えながら次のステージにワープした。『No,L0514、NoF0125、ファーストステージクリア』というメッセージが、現在残る全参加者に伝えられた。







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