07.Resolution

バトルロイヤルが開催される当日の朝。小狼は黒鋼達よりも早く起きて近所を散歩していた。
早朝、街の機能は完全に停止しており、人の気配すらせず、まるで街全体が眠っているかのようだった。今夜から始まるバトルロイヤルのために今のうちから体を休めているのだろうか。バトルロイヤルはいったん始まると優勝者が決まるまで延々と続くという。最長で一ヶ月ほど続いたこともあったそうだ。
バトルロイヤルの様子は、サイバースペースを通じて全世界に中継され、人々はそれにかじり付く。バトルロイヤル開催中は仕事を休みにする企業も多い。といっても、バトルロイヤルを見ること以外のサイバースペースへの簡易アクセスが一般人は不可能になるので、何もすることが出来ないのだ。
よって、人々は前日までにサイバースペースから強制的にログアウトされるので、食材や生活用品を買い込み長期に渡るバトルロイヤル観戦に備えるべく現在睡眠をとっている、ということだ。

(とうとう、始まるのか)

噴水がある広場まで着た小狼は、その縁に座り目を閉じた。

(おれは人を殺めたことはない……いや、玖楼国で閉じられた時間の中にいた人も含めたら……それでも、直接的に殺めたことはない)

両の掌に視線を落とす。これまでに幾度となく剣を振るってきた。強くなるため、前に進むため、守るべき者を守るために。それでも、その剣で誰かを貫き命を奪ったことは、なかった。

(今回は誰かの死を避けられない。出会す参加者、全員を殺さなければ勝ち残れない。サイバースペースでの死がリアルワールドに繋がる可能性は少ない、けれど)

もし万が一、自分が斬った者がリアルワールドで死を迎えてしまったら。そこまで考えた小狼は首を横に振った。

(決めたんだ。罪を背負ってでも前に進む。もう一人のおれにまた会うって。そのためなら、犠牲は問わない。必ず、取り戻す)

そのとき、小狼の耳に音が届いた。静寂を優しく裂くようなその音色は弦楽器特有のものだと、音楽の知識に乏しい小狼でも理解出来た。
音色に導かれるように足をそちらに向ける。噴水から少し離れた広場の隅で音を奏でていたのは、銀髪に金の瞳を持った少女だった。
小狼の記憶に間違いがなければ、あれはヴァイオリンと言う楽器だっただろう。この国の音楽家は機械を使って音を奏でている者が多いのに彼女は違う。自ら楽器を操り、感情のこもった音色を生み出している。

しばし、小狼は時間が経つのも忘れてその音楽に聞きほれた。すると、少女はふと弦を動かす手を止めて小狼を見つめてきた。

「すみません」
「え?」
「煩かった?」
「あ、いや。そうじゃないんだ。音がとても綺麗だったから、つい」
「!ありがとう。貴方、名前は?」
「小狼」
「……本名を教えて大丈夫なの?」

少女は怪訝そうに眉を寄せ、小狼はしまったと内心冷や汗を流した。この国の人間には二つの名前がある。一つが記号名。もう一つが真名だ、例えば、ファイだとファイという名前は後者に当たる。そして、記号名というのがこの国に住む者全員に与えられるもので、ファイの場合はNo.F0125という記号名で住民登録されているのだ。
公の場で人は記号名で管理され、親しい者以外に真名を教えることはない。真名とは一種の暗証番号のようなものであり、他人に知れ渡れば犯罪に巻き込まれる恐れもあるからだ。
一般的に真名は肉親や親しい者以外に教えられることはなく、その日会った人物に教えるなど普通は有り得ない。だからだろう、少女が怪訝そうな顔をしたのは。

(何か怪しまれたか……?)

小狼は何かうまい言葉を探したが、その前に少女の方がふと表情を弛めた。

「まあいいわ。真名で名乗られたら名乗り返さなきゃね。私はユナよ。よろしく」
「あ、ああ……それはヴァイオリンか?」
「ええ」
「珍しいな。この国の人は機械を使って音楽を生み出すんだろう?」
「そうね。でも、私はこっちの方が好きだから、かな。私に音楽を教えてくれている人も楽器を使うの。機械を使うこともあるけどね。妹も楽器を使うわ」
「そうか。いつもここで弾いているのか?」
「ううん。今日が初めてで、そして最後よ」
「え?」
「私、バトルロイヤルに参加するから」
「!」

小狼は目を見開いた。少女──ユナがバトルロイヤルに参加すると自ら証したということもあるが、自分とそう歳も変わらないような少女が命をかけて手にしたい願いとは何だろうと、思った。

「私のお父様とお母様、私に対してすごく厳しいの。妹には干渉しないくせに、私のことは家に縛り付けようとするの。こんな時間に家を抜け出したなんて知れたらどうなるか分かったものじゃないわ」
「……だから、参加するのか?自由になるために」
「それもあるけれど、一番の理由は……っ」

言葉が途切れたかと思うと、ユナは口に手を当ててその場に座り込み、せき込んだ。ただの咳ではないと、小狼は直感的に感じた。
駆け寄って背中をさすろうとしたが、小狼よりも早く彼女に駆け寄る者がいた。ブロンズの髪と琥珀の瞳を持つ男性は、瞳と同色の逆フレーム眼鏡をかけている。

「ユナ!大丈夫か?」
「ウィリアム、さん」
「薬は」
「ちゃんと、持ってきて、ます。ポーチに」

男性──ウィリアムはユナの腰に下げられたポーチから錠剤を取り出して、彼女に渡した。それを受け取ったユナは数錠を一気に口に含み、上を向いた。喉がコクリと動いて薬が中に入っていったことが分かる。
ユナは深く息を吐いた。薬の効果はまだ出ていないだろうが、落ち着きはしたようだ。

「ありがとうございます」
「ああ。待ち合わせに遅れてすまない……やっぱり、ユナがバトルロイヤルに参加するのは無茶だ。やっぱり俺だけで」
「いいえ。私のことなんだから私が参加します。そうじゃなきゃ、どこにも飛び立てない」
「ユナ……」
「……」
「あ、ごめんね。驚かせちゃって」
「あ、ああ、いや……」
「!」

このとき、ウィリアムは小狼の存在に初めて気付いたようだった。他人の前で真名で呼び合い、バトルロイヤルに参加するということを証してしまい、警戒を隠せない様子。しかし、それを察知したユナはウィリアムの腕にやんわりと触れた。

「大丈夫ですよ、ウィルさん。さっき、私が全部話しちゃいましたから」
「ユナ!知り合いでもないんだろう?何を考えているんだ……」
「分かりません。でも、何故か話したくなっちゃったんです。あ、彼はね、さっき言ってた音楽の先生じゃないけれど、私の家庭教師をしてくれている人で」
「…‥」
「……シャオラン君?どうしたの?」
「……おれは小狼」
「「?」」
「おれもバトルロイヤルに参加する」
「「!」」

今度はユナも目を見開く番だった。ユナも恐らく小狼と同じことを考えただろう。何故自分と歳もそう変わらないような少年が、と。

「これでフェアだ」
「……確かに信頼は出来る相手みたいだな」
「でしょう?ただ、次に会うときは敵同士っていうことは残念だけれど」
「……」
「さよなら。また、がなければいいわね」

ユナは微かに笑ってみせると、ウィルが止めていた車に乗り込んで宙を走っていってしまった。
目を閉じて耳を澄ませば、まだあの旋律が聞こえてきそうな気がした。しかし、実際に小狼の耳に残っていたのはユナが最後に残していった言葉達だった。次に会うときは敵同士。また、がなければいい、と。

(たとえ、ゲームの中で彼女とまた会うことになったとしても、おれは……)

心を鬼にしなければ勝ち残れない。一瞬の時間もゲームでは無駄に出来ない。少しの迷いでも生まれてしまえば、やられるのは自分自身なのだ。自分が傷つく覚悟だけでなく、人を傷つける覚悟を持たなければならない。
恐らく、ユナにだって、ウィリアムにだってその覚悟はある。生半可な覚悟では、このゲームに参加すらしないだろうから。覚悟を固めるようにぐっと拳を握りしめ、小狼は広場に背を向けた。









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