08.Clown

昇る、昇る。天へ突き刺すようにそびえ立つ摩天楼の最上階へ向かう。
フィラ・デル・フィアの建物は基本的にどれも高いのだが、今日バトルロイヤルが開催されるこの摩天楼はその中でも群を抜いて高い。地上が遠ざかって、代わりに空が近くなる。星が見えない。
今日の天気は曇りか、と黒鋼は眉間にしわを寄せた。天気までも人工的に管理することが出来るのだから、この国の科学技術には底が見えない。便利な技術力もここまで来ると恐ろしくも感じる。

他の国で言うエレベーターに近いこの空間の中には、黒鋼達以外にあと三人がいる。白髪と黒髪に紫の瞳を持つ恐らく双子であろう少女たちと、黒髪と暗い青瞳を持つ少年である。外見年齢的には小狼よりやや年上と言ったところだろうか。
何度問いかけたかわからない問いを、黒鋼は自身に問う。こんな少女たちが命をかけてまで願うことはなんだろうか、と。

「……ユイ。やっぱり辞めましょう」

しんとしていたその空間だったが、白髪の少女が黒髪の少女――ユイに話しかけたことにより沈黙は破られた。と言っても、黒鋼達と彼女たちは現時点で他人であるので会話に参加するのもおかしいのだが。ユイは若干、頬をふくらまして黒髪の少女を見つめ返した。

「ルイ姉様。今更、だよ!」
「まだ間に合います。棄権しましょう」
「いーや!」
「っ、どうして、そこまでしてバトルロイヤルに参加したいんですか!?」
「だから、欲しいものがあるの!」
「僕があげますから」
「姉様じゃ無理だって。だから、ユイはゲームに参加してマザーにお願いを聞いてもらうの」
「……」

双子の少女たち――ユイとルイの言い合いは徐々にヒートアップしていったが、傍にいる少年はただ傍観しているだけだった。彼女たちに関心がないということではなく、彼はもともと無口なのかもしれない。先ほどから表情を崩さずに視線だけを二人の間で行き来させている。
小狼はその空間に若干、居心地の悪さを覚えたが、だからと言って自分に何が出来るでもないので視線を外に向け続けた。

「僕が、こんなに頼んでもダメなんですか……っ。行かないで、死なないでって、何回言っても聞いてくれないんですか……っ!」
「ユイ、死なないよ。だって、サイバースペースのことだよ?ちょっと痛いだけだって」
「過去に亡くなった人がいます!」
「大丈夫だって!重傷を負わなければいいんでしょ?やられるときは一気にズバッと!そうすれば、リアルワールドの躰の負担は少ないんだったよね?ゼロ」
「……確か、そう」

初めて、少年――ゼロが口を開いた。しかし、ユイの言葉を肯定した彼はまた口を真一文字に閉じて二人の言い争いの行方を見守ることにしたようだ。

「簡単に言わないでください!痛いんですよ!?」
「もー、姉様しつこいー!分かってるもん!でも、どうしても欲しいんだもん!林檎が一生生り続ける木!」

鈍い音が室内に響いた。小狼がガラスに頭をぶつけた音と、テラーのない人物でも使える通信用のモニターを黒鋼が落とした音だ。その他、ファイは目を細めたまま硬直していたし、レンはどこか遠い目をしているようである。恐らく、このようなことを考えているのだろう。バトルロイヤルって命がけの願いの為のゲームじゃなかったっけ、と。

「ちょっと、そんなに大きな声で言って……あの方々、くだらないって呆れてますよ……」
「くだらなくなんかないもん!だって、一生だよ!?一生林檎が食べ放題なんだよ!?きっとマザーも叶えてくれるよね!」
「というか、そんなくだらない願いの為にゼロさんまで巻き込んで!」
「くだらなくないもん!それにユイ、自分で頼んだんじゃないもん!ゼロが自分から手伝ってくれるって言ったんだもん!」
「そうだね」
「ゼロさんっ……!」

ルイがゼロの方を勢いよく振り向いたとき、黒鋼はあることに気が付いた。ルイは右目に眼帯のようなものをしているのだ。隻眼なのか、それとも他に理由があるのか。他人のことであるはずなのに、黒鋼にはなぜかそれが気になって仕方なかった。

「あのー」

ファイの声が張りつめていた空気を緩ませた。

「最上階、着いたよ。君たちも参加するみたいだね」
「うん!ユイ、負けないよ!」
「あはは。うん。参加者の受け付けはあっちみたいだよ」
「本当だ。ゼロ、行こう!」
「うん」
「ユイっ!」

ファイ達三人の後に続くユイの背に向かってルイは手を伸ばしたが、彼女が振り返ることはなかった。ゲートの向こう側に転移していく姿を、ただ見るしか出来なかった。その代わりに、ゼロが一瞬だけ振り向いて。

「……大丈夫、死なせない。守るから、絶対」

そう言って、彼もユイの後を追った。困ったのは残された黒鋼だった。ルイはボロボロとその場に泣き崩れている。普段の彼ならば他人事だとスルーしたかもしれない。
しかし、今そうする気になれなかった。それは、大切なものに残されて待ち続けるしか出来ない自分とルイを重ねているからかもしれない。そうでなければ、他に何か理由があることになるのだが、黒鋼にはそれがわからなかった。とりあえず、声をかけてみることにした。

「おい」
「……っ」
「あいつらのこと見守るんだろ?特別観覧席はあっちだ」
「……貴方の仲間もゲームに参加したのに、貴方は冷静なんですね」
「ゲームに参加する者はそれなりの覚悟を持っている。テラーのない俺が何を言ってもあいつらは参加する。なら、信じるしかないだろう」
「……強いんですね、貴方は」
「黒鋼だ」
「……クロガネ、さんは」
「強いとかじゃねぇよ。ただ、自分に出来ることをするしかないだろう」

黒鋼はルイの腕を掴み、弱めに引いた。ルイがびくりと肩を震わせたが、立てと言われているのだと察するとゆっくり彼の意思に従った。

「行くぞ」
「……はい」

ルイの目から流れる涙は止まらなかった。黒鋼が言うことをルイはまだ全て受け入れきれていない。自分の大切な者が死ぬかもしれないという状況を、まだ。
だから、黒鋼が間接的に「傍にいてやる」と言ってくれていると知り、嬉しかった。待っているのは自分一人じゃない。二人ならば、痛みも苦しみも辛さも分けて慰め合えるから。

二人は摩天楼の中にある展望台のような部屋を訪れた。ここに入ることが出来るものは、ゲーム運営の関係者か、ゲーム参加者から申請された特別な者のみである。
この部屋の中には更なる部屋があり、ガラスで仕切られている。中を覗けば、上から下まで操縦席のような椅子がびっしりと浮かんでいた。その中には人が座っている椅子もある。恐らく、ゲーム参加者が座る座席だろう。そうすると、この部屋は外側がゲーム観覧の為の部屋であり、ガラスの内側の何階か吹き抜けになっている部屋がゲーム会場のようだ。
黒鋼達がいる階よりも下の方では、ゲームの参加者が続々と集まって受付を行っている。

『No.Y2109。真名ヲ音声入力シテ下サイ』
「ユイ」
『真名、確認完了。記号名トノ一致ヲ確認。指紋データ、虹彩データ、テラーデータ、完全一致。ヨウコソ、バトルロイヤルへ』

受け付けアンドロイドのチェックを通過したユイは、ゲートをくぐって最終チェックを受け、部屋へと入った。自分の目の前に座席が降りてきたのでそれに乗ろうとしたが、背後から追いかけてきた彼女を呼ぶ声に立ち止った。

「ユイ」
「ゼロ」
「いいの?」
「うん。もう、受け付け済んじゃったしね!」
「泣いてたよ」
「……」

誰が、なんて聞かなくても理解している。自身を傷つけることが自身の片割れを傷つけることになっても、それでもユイは参加を辞めたりしない。一度ゲームに参加すると決めたも者の決意は並ではない。揺るがない。ユイは一瞬だけ目を伏せたが、すぐにいつものようなのほほんとした表情を浮かべた。

「大丈夫!今まで亡くなった人の方が少ないんだもん!大丈夫だよ!姉様ったら心配性だよね!」
「ユイ」
「あ、ゼロは危なくなったらすぐにリタイアしてね!」
「しない。ずっとユイと一緒にいる。守る」
「……ありがとっ!」

最後、自分はちゃんと笑えていただろうか。そう考えながら、ユイは座席に飛び乗った。その瞬間、座席は宙に浮いて上昇し、ゆらゆらと漂い始める。
ユイはぼんやりとしながら上を見上げた。彼女の横を、ゼロが乗った座席が上昇していった。

(ゼロ、あんなに上に行っちゃったぁ。いいなぁ、ユイも上の方が良かったなぁ。あ、でもゲーム中は随時いろいろ移動するんだったっけ?というか、スリープモードに入ったら自分の位置とかわかんないやー)

確か、座席を一定の場所に固定しないことで、参加者の躰を外部からの妨害から守るためだったような気がする。そもそも、警備や受付のアンドロイドがいるので妨害はほぼできないだろうが、念には念をということだろう。

(あ、あそこにいるの、さっき声かけてくれた人だ。優しかったし、戦いたくないなぁ)

そこまで考えて、ユイは首を横に振った。自分以外は全て敵。少し優しくされたからと言って、顔を知っているからと言って、気を許してはいけない。それほどまでに、このゲームは人を変える。
震える拳をぎゅっと握りしめる。怖くないわけがない。それでも、彼女には戦う理由がある。

(馬鹿だなぁ、姉様。ユイ、林檎は大好きだけど、姉様の方が大好きだもん。それなのに、姉様が泣いてるのに、林檎の為にゲームに参加するわけないじゃん)

ユイは無意識に自分の右目を押さえた。彼女自身も無意識の行動であったが、それが彼女の本当の願いを表していた。ユイの本当の願いを知っているゼロは、彼女の仕草を上から見下ろして「守る。絶対に」と、自身にもう一度言い聞かせるように呟いた。









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