05.Madness

この国の夜は昼間よりも活気があるな、とファイは思った。活気があるといっても、サイバースペースにアクセスしている人数の方が圧倒的に多くはあったが、昼間の殺風景な様子は感じられなかった。
毒々しいサイバーカラーをしたネオンの光が爛々と光り、街中にテクノミュージックが溢れている。まるで街全体が一つのダンスフロアのようだ。

「賑やかだけど、住みやすいってわけじゃなさそうだねぇ。治安も悪そうだし」
「レン、一人で大丈夫かな」
「大丈夫とは思うよ。彼女、強いし。まあ、それと心配する、しないは別だけど。あとからお説教タイムだね」
「ファイ、こわーい」
「ほら。モコナはコートの下に隠れてて。誰かに見つかれたら大変だよ」
「うん」

この国において魔法生命体は嫌悪の対象であり、見つかってしまえば即刻処分されてしまうらしい。なんでも、人間を脅かす存在になりうるからだそうだ。この国に残る魔法生命体たちは人間の目に触れないところでひっそりと暮らしており、それを狩ることを仕事としている人間もいるらしい。
おかしな話だ。魔力が込められたアンドロイドや電子ペットはそこら中に溢れていて人間の手足となって働いたり可愛がられたりしているというのに。それは、人間に刃向わないようプログラミングされているからだろうが、それでも。

(おかしな話だよねぇ)

モコナがコートの下に身を隠したことを確認したファイは、歩く速度を速めた。モコナが見つからないうちに早いところレンと合流し、帰らなければならない。それならばモコナを置いてくれば良かったのだが、この国で一人になり言葉が通じなくなってはいざというときに厄介だからついていくと、モコナが言ってくれたのだった。レンはというと、いざというときは記憶の中からこの国の記憶を引っ張り出しさえすればこの国の言葉もわかるので、モコナがいなくても支障はないはずだ。

(さあ、急がないとね)

この国には至る所にワープパネルがあり、様々な場所に一瞬で行けるようになっているのだが、ファイ達はその機能をあまり使用していなかった。便利ではあるが、ただでさえ便利なこの世界で人間が動く必要はあまりないというのに、歩くことさえしなくなってはこの国にいる間に体が退化してしまいそうだからだ。
しかし、さすがに今は使おうかとファイは思った。レンは13ゲート付近にいると言っていた。今ファイがいる場所とは正反対の場所である。歩いて行っては一日あっても足りない。

(うーん。でも、どれに乗ればいいんだっけ)

目の前にずらりと並ぶワープパネルを眺めつつ、半分思考を手放す。ワープパネルにはいくつか種類がある。特定の場所にしか移動できないパネルもあれば、座標コードを指定すれば好きな場所に移動できるパネルもある。
今、ファイの目の前にあるパネルたちは後者の機能を持っている。サイバースペースに簡易アクセスして座標コードを調べればいい話なのだが、その座標コードを調べるページをまたサイバースペース内で探さなければならない。
全く、便利なのか不便なのか。ファイ達がこの国に来てからまだ数日しか経過しておらず、彼らは未だこの国の機能を完全に把握出来ていない。

(誰かに聞くのが一番早いよね)

と言っても、この国の人は基本的に他人に無頓着であるため、話しかけてもスルーされることが大半だった。声をかける人は選ばなければならない。

(というか、歩いてる人はみんな片手にサイバースペース簡易アクセスしてるよね。そんなに、常時気にしてなきゃいけないような情報でもあるのかなー。ああほら、よそ見してるからぶつかって言い合いになる……)
「何かお困りですか?」
「え、ああ。実は……!」

立ち尽くしていたファイに声をかけてきた銀糸の髪と金の瞳を持つ少女を見て、ファイは目を見開いた。正確には、彼女の隣に立っている男性を見て、だが。すらりとした長身と、金の髪と青い瞳を持ったその男性からはどこか冷たい印象を受ける。しかし、ファイが気にしているのはそういうことではなくて、彼が自分の恋人であるレンの元恋人――シュードと同じ外見をしていたからである。同じだけれど違う人物。そんな言葉がファイの脳裏をよぎった。

「あの、実はオレ13ゲートに行きたいんだけど、座標コードがわからなくてー」
「それでしたら、ワープパネルの脇にある機械で調べられますよ。テラーはお持ち……ですね」

平静を装ってファイは頷いた。じゃあ大丈夫ですね、と少女は笑った。

「あ、でも、操作の仕方が不安だから、ちょっと最初だけ教えてくれるかなー?」
「良いですよ。シュードさん。ちょっと待っててくれますか?」
「……ああ」

ああ、やっぱり彼か、とファイは思った。名前だけではなく声も、ビフレスト国で聞いた時のものと同じである。
しかし、同じところばかりではない。違うところも少なからず存在する。それは、この国の彼からは魔力が感じられるということと、彼の隣にいるのがレンではないということもそれに含まれている。

(同じ魂を持っているからって、似たような人生を送っているとは限らない、か)

そう結論付けることにしたが、どうも落ち着かなかった。なるべく、レンとは会わせたくないなと思った。

「……で、ここに行きたい場所の名前を入力したら、座標コードが調べられるので」
「それを、パネルに乗るときに指定すればいいんだねー。りょうかーい。ありがとう」
「いいえ。でも、ワープパネルの使い方をご存じないなんて珍しいですね」
「オレ、少し前に違う国からこの国に来たばかりだから」
「そうだったんですね。では、お気をつけて」

結局、ファイはシュードと言葉を交わさずにワープパネルに乗った。というより、話さないようにしていた。違う人物とはいえ、かつて自分の恋人が心から愛していた者と同じ外見の持ち主なのだ。平静を装い続けていられる自信はなかった。

ワープパネルを降りると、そこには巨大な満月が浮かんでいた。レンの言うとおりだった。この場所からは月がとても大きく美しく見える。ネオンの光がなければさらに美しく見えるだろうし、星だってもっと見えるに違いないと思った。

「あ、ファイ」
「レンレン」
「ここまで来てくれたんだ。早かったのね」
「うん。まあね」
「……どうしたの?」
「え?」
「怒られると思ったのに、なんか元気なくない?」
「そうかな?」
「うん。そう。元気がないというか、なんか疲れてる?」
「うーん……」

言えばレンはどんな反応をするだろうか。会ってみたいというのだろうか。会いたくないというのだろうか。そもそも、もしかしたらレンはこの国にシュードがいることをすでに知っているかもしれないのに、ファイの気分は晴れなかった。

「ごめんって。そんなに落ち込まないでよ。もう一人で夜遊びしないから。浮気とかしてないから」
「……」
「……」
「……何してるの」
「ファイの頭を撫でてるの」
「なんで」
「なんとなく。元気出るかなーと思って」
「……あははっ。やっぱり、レンレンはレンレンだねぇ」
「なにそれ」
「うん。もう大丈夫だよ。帰ろう。お説教は帰ってからね」
「いやよ。眠いもん」
「ダメですー」

あはは、と笑う二人の声が夜の街に響いた。どうやら元のファイに戻ったようだ。何があったのか、レンは探らないし探るつもりもない。気にはなるが、彼女はファイを信じている。一緒に悩めることなら悩むが、ファイがそれを望まなければ変に干渉したりはしない。話してくるときは話を聞けばいい。今はただ傍にいればいいのだ。

「そういえば、ファイは一人で来たの?」
「ううん。モコナも一緒に……あれ?」

コートを翻して内ポケットを除くも、そこにモコナの姿はなかった。サァッと二人の顔色が変わる。もし、この世界の住人に見つかれば、魔法生命体であるモコナも例外なく処分の対象となってしまうのだ。







「さっきの男」
「はい?」
「ミヤビを見て何の反応もしなかったな」

車を運転し宙を走らせながら、シュードは助手席に座る少女――ミヤビに話しかけた。

「フィラ・デル・フィアでのミヤビの地位は高いし、顔も知れているのに、敬語ですらなかったし」
「あの人、この国に来たばかりって言ってましたから。私のこと知らないんだと思いますよ」
「この国を担う三大良家の一つである星の一族の娘だということを?」
「はい。というか、それをいうならシュードさんだって敬語じゃないじゃないですか。呼び捨てだし」
「オレはミヤビの家庭教師だ。ミヤビが教え子でいるうちは、オレの方が立場は上だ。本当、キミは手のかかる教え子だよ。今日だってボディーガードもなしで一人で出かけようとしていたし」
「うっ……別にいいですけど、子ども扱いはしないでください!」
「ははっ」

ファイを前にした時の彼と同一人物とは思えないほど、シュードは穏やかな表情をしている。信頼している者の前でだからこそ、見せる表情であることをミヤビは知っていた。だから、嬉しかった。自分は彼にとって『輪』の中にいられる数少ない人物の一人だと、そういうことだから。

「楽器を見ていたら少し遅くなったな。急ぐか」
「はい。ユナも心配しているかもしれませんし、早く帰らなきゃ」
「そうだな。ミヤビは本当に姉が好きだな」
「だって、私の姉さんだから」
「……そうだな」
「シュードさん」
「なんだ?」
「本当にバトルロイヤルに出るんですか?」
「……ああ」

穏やかな表情をしていたシュードだったがミヤビの一言で、先ほどファイを前にしていた時のようなシビアなそれへと戻ってしまった。

「私が止めてと言っても出るんですか」
「……ああ」
「……そう、ですか」
「……これしかないんだ。縋れるのは、これしか」
「死者を生き返らせるのはマザーでも無理だと聞きました」
「それでも、可能性があるのならかけたい」
「……そんなに、亡くなった恋人のことが大切ですか」
「ああ。君が姉を大切だと思うくらい」
「……大切なのはユナだけじゃないです」
「え?」
「なんでもありません」

にこりと笑った後、ミヤビは真剣な眼差しをシュードに向けた。運転しているので彼女の表情を正確には読み取れなかったが、二つの視線だけはしっかりと感じていた。

「でも、ひとつだけ約束してください。何があっても生きるって」
「ああ。もちろんだ。必ず優勝して帰ってくる」
「……少し、眠いです。音楽を流していいですか?」
「ああ。家までもう少しあるから眠っていると良い。ついたら起こす」
「シュードさんが作った曲が良いです。ピアノをモチーフにした音」
「分かった」

シュードが脇にあるスイッチを押すと、ピアノの音を表した電子音が車内を満たした。まるで深い海の中にいるような、そんな音色だった。ミヤビは目を閉じて背もたれへと体を預け、シュードがいる方とは逆に首をひねり、眠りの態勢に入った。「みんな、私の傍からいなくなっていく……」どこか不安定な音をした彼女の小さい声が、彼まで届くことはなかった。










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