04.Moon

薄暗い部屋にサイバーグリーンのライトが浮かんでいる。カウンターで頬杖を突きながら、レンはBGMに耳を傾けた。完璧な音だと思う。しかし、それに感情だけがこもっていない。それも当然だと思った。
この国は音楽まで電子機器で生み出されているらしい。人が楽器を弾いたり歌を歌うと、その時々の状態によって音は変動するが、この国の音楽にはそれがない。いつでも完璧な音が聴けるのである。プログラミングされたとおりに機械が音を出すのだから当然だ。
場合によっては、機械に感情のこもった歌い方や弾き方をさせることも可能らしいが、それが人間のものか機械のものかくらい、聴く人によれば分かるだろう。歌と共に生きてきたと言っても良いほど音と触れ合ってきたレンは、どうもこの国の音楽が好きになれなかった。

『レンレン。わがまま言わないで帰ってきなさい』
「帰るわよ。帰るけど、もうちょっと現実逃避させてよ」

レンは深く溜息を吐いて、バーのライトと同じ色をしたカクテルを傾けた。あまりにも食欲を失うような蛍光色をしているから、どのようなものかと興味本位で頼んでみたが、意外とあっさり飲めた。
レンの右目部分には小型のモニターが浮かんでおり、その内側にはファイの姿が映っている。テラーを使って遠距離にいる相手と話すことが出来るという、サイバースペースを簡単に使った通信方法だ。

『レンレンだけ参加を取り消す?』
「ううん。別に、バトルロイヤルに参加することは良いの。ただ、そうすると絶対、主催者に会うことになるでしょ……それが嫌なのよ」

ファイと通話しているモニターの隅に、レンは別の映像を映し出した。人同士が剣を交え、技を放ち、ミッションに参加している一連の流れが20秒ほど流れる。その途中には人が悲鳴を上げる姿もあった。壮大なSF映画のようにも見えるそれは、全てノンフィクションである。過去のバトルロイヤルを利用したCMだった。その最後には、主催者と思われる男性からのメッセージが流れた。
その男性がレンを憂鬱にさせているのだ。銀の髪と、闇に近い色をした蒼の瞳の男は、レンの躰の親であり、レンの魂の子と言える歪な存在――アダムと同じ姿をしている。
彼の背後には全く同じ姿をした二人の男性が控えていた。唯一、垂れ目かつり目かという些細な違いはあるが、二人を構成するものは全くもって同じで、対なる色をした服でしか二人を判別出来ないほどだ。その姿から、ビフレスト国にいるレンの実兄――アベルと同じ魂を持つ存在だと分かった。

「あり得ない。まさか、また会うなんて思ってなかったわ」
『別人だよ?』
「分かってる。分かってるけど……すんなり受け入れられないじゃない」
『後ろの人はアベルさんにそっくりだね。二人いるけど』
「たぶん、もう一人はカインって名前よ。アベル兄さんの双子の兄、カイン兄さん。例の件でアベル兄さんは幽閉で済んだけど、虹を持って生まれてきたカイン兄さんは『私』の怒りに触れて即殺されたから」
『ああ……そうだったね。ここまで来ると、レンレンと同じ魂の存在もいるのかな』
「いるかもね。会いたくないけど」
『というか、分かってるんでしょ?』
「うん。いないわよ。この世界の私は死んでるから」
『死……?』
「そんなに重く考えないでよ。私じゃないんだし」
『そうだけどさ……それにしても、その世界のことが分かるって便利だよねぇ』
「意外と大変なのよ?イリスと記憶を共有しているとはいえ、私の躰のスペックは人間と同じだから、無限の記憶の中から目当てのものを探し出すの、結構大変なんだから。イリスなら瞬きする時間で出来るだろうけど」
『探したってことは、気にはなってたんだ?』
「これだけ自分と関わりのある人たちのそっくりさんがいたら、気にするでしょ」

残っていたカクテルを、レンは一気に喉奥へと押し込んだ。カウンターの向こう側にいる黒髪と赤目を持つ男性へと目くばせする。男性は目線だけで頷き、追加のカクテルの準備を始めた。

『とにかく、ヤケ酒はやめて帰ってきなさい』
「大丈夫だって。なんか知らないけどお酒に強くなったし」
『そういう問題じゃありません』
「ファイ、なんだか母親みたい……あー、もう、バトルロイヤル憂鬱ー。そもそも、一回くらいサイバースペースで戦う練習したほうが良かったよね」
『ちょっと。あんまりそういう情報、言わない方がいいんじゃない?誰がどこで聞いてるかもわからないのに』
「誰に何を聞かれようとも関係ないわ。どうせ、バトルロイヤルじゃ、出くわした相手が誰であろうと、戦わなきゃいけないんだから」
『それはそうだけど』
「ああもう、分かったわよ。最後の一杯飲んだら帰るから」
『迎えに行くよ。どこ?』
「13ゲートの近くにあるバーよ。月がとても綺麗に見えるところ」
『分かった』

レンがモニターに触れれば、シュン、と音を立ててそれは消えた。同時に、目の前にカクテルが差し出された。真っ赤な色をしたカクテルだった。まるで、血の色のような。

「マスター。このカクテルの名前は?」
「……『ブラッディ・メアリー』と言います」
「ふーん……」

不吉な名前だ、と思いながらレンはそれを一気に飲み下した。ファイがここに来る前にある程度帰っておかなくては、まだダラダラ飲んでいたのかとグチグチ言われてしまうだろう。電子マネーを機械に通そうとしたら、マスターにすっと制され、思わず疑問符を浮かべた。

「?」
「お代は結構です」
「どうして?」
「今宵は月がとても美しいので」
「……ありがと。じゃあ、お言葉に甘えて。お酒、美味しかったわ。マスター。また来るわね」

バーの出口に向かう途中、背後から「また、があれば良いのですが」と聞こえたが、レンは一瞬だけ眉を顰めさせ、振り返りはしなかった。

(私が参加者だってわかったかしら)

出口のワープパネルに乗ろうとしたとき、ちょうど入口から人が乗ってきたからか、目の前に人が突然現れて、レンは一瞬だけ肩を震わせたあと、その目を見開いた。流れるような銀の髪と、夜空のような青色の瞳をした女性を、思わず凝視する。

「ああ。すみません」
「……」
「……あの?」
「あ、いえ、すみません。知り合いに似てらっしゃったものですから、思わず」

軽く表情を和らげて会釈をし、女性の横をすり抜けてワープパネルに乗ったレンがバーから姿を消すと、「情報代だ」と、マスターが呟いた。女性は微かに首を傾げた後、軽い足取りでカウンターに座った。

「やっほー。アサヒ」
「いらっしゃったのですか……ルナ様」
「二人の時は敬語じゃなくっていいよ。敬称もいらない。私が、情報屋であるアサヒの雇い主ではあるけど、その前に恋人同士なんだから」
「……わかった」

バーのマスター――アサヒはいくらか表情を和らげ、それを見た女性――ルナは満足そうに目を細めた。

「そういえば、さっきのお客さん?」
「ああ」
「なんかすごかったねぇ。何がって、魔力?ああいう人がバトルロイヤルに参加したら厄介なんだろうね」
「まさにその通りだ」
「……え、ほんと?」
「ああ。さっきそう話してた。しかし、サイバースペースでの戦闘経験はないようなことを言っていたな」
「おお、さすが情報屋だねぇ」
「今回、俺は何も聞き出してない……彼女が誰かと通話してたのを聞いただけだ」
「なに?盗み聞き?アサヒのえっちー」
「……」
「ごめんって。そんな本気で傷ついた顔しないでよ」
「……‥もう一つ、前から探っていた情報を掴んだ」
「ん?」
「『太陽』も、やはり参戦するようだ」
「!」
「しかも、あの厄介な能力を持つメイドも一緒だ」
「……へぇ」
「楽しそうだな」
「そりゃあね。これで堂々とあいつを殺せる」
「バトルロイヤルでの死は法に触れないからな。ゲームの参加自体が自己責任だし」
「そうそう。この国の政治を支える太陽と月と星の一族のうち、月の一族のトップである私が太陽のトップを殺したらまず大問題だけど、バトルロイヤルだけは例外。私がゲームに参加する目的はそれだけだよ」

月が妖しく輝くようにルナは笑った。アサヒは微かに目を伏せて、一杯のカクテルをルナに出した。『ブルームーン』、仄かに菫の香が香る薄紫色をしたそのカクテルは、ルナの喉をほろ苦く濡らした。









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