03.Pain

「小狼君、レンレン、モコナ、ただいまー」
「おかえりー」
「おう」
「あれー?レンレンは?」
「あそこでサイバースペースにアクセスしている」

小狼はリビングにあるソファーを見やった。レンは一人掛けのソファーに座り、まるで眠っているかのように目を閉じているが、ただ睡眠しているわけではないということが一目でわかる要因がある。それは、彼女の体を覆うものだ。レンの体は淡く発光する薄い膜のようなもので覆われており、それは見た目だけで考えると滑らかで柔らかそうにも見える。
好奇心からか、黒鋼は何も考えずにその膜に手を伸ばした。するとその瞬間、膜に触れた指先から全身へと雷に打たれたかのような電撃に似た衝撃が走った。

「つっ……!なんだこりゃ!?」
「サイバースペースにアクセスしている状態……スリープモードにある無防備な体を守るための、テラーの防御壁だねぇ。スリープモードに入った本体を殺害するって事件もたまに起きてるみたいだから、みんな自分の身を守ってるんだよ」
「本体が死ねば、サイバースペースにいるアバターもその瞬間に消える。そうなれば、本人は自分が死んだことすら気付かないまま、リアルとサイバー、どちらの世界でも永遠に目覚めることはない」
「サイバースペースに入り浸りすぎて、リアルワールドの本体が衰弱していき、それに気付かずに死んでいくケースもあるらしいねぇ」
「こわいね」
「ふん。そこまで危険を冒すくらいなら、いくら仮想空間とやらが便利でも、現実世界を生きりゃいいものを」

黒鋼がそうぼやいたとき、レンの体を覆っていた発光膜が音をたてて弾けた。すると、閉じていた瞼がすっと開き、レンはそのままスリープモードから離脱した。まるで眠っていたかのようにうんと伸びをし、黒鋼とファイにひらひらと手を振る。

「あ、二人ともお帰り」
「ただいまー」
「何してたんだ?」
「ほら、モニターを召喚してリアルワールドからサイバースペースに簡易アクセスして情報を得たりはしてたけど、実際にサイバースペースにアバターを投影して、ってやったことなかったから、ちょっとやってみたの。確かにすごく便利よ」
「どうだったのー?」
「私はサイバースペース内のショッピングモールに行ってきたんだけど、例えば電子マネーで商品を買ってリアルワールドの座標軸を指定すれば、それをリアルワールドの好きな場所に届けられるみたいなの。それを考えたら、家にいても買い物できて、かつ移動の手間も省けて、買ったものを運ばなくて済むから、まぁ実物を見て買いたいって時に便利よね。ただ、商品を買ったっていう感覚が少ないから、借金を抱えて破産する人もいる見たい」
「リアルワールドでも電子マネーがほとんどだよね。今日オレ達が買い物したときもそれを使ったけど、確かに、いくら使ったとかあまり感覚がないかも。気がついたらなくなってるってパターン多そうだねぇ」
「そうそう。確かに便利な世界だけど、それ故の危険っていうのも多そうなのよね。だいたいは自制してれば回避できるものなんだけど、それが出来ない人が破産したり廃人になったりするみたいね。あ、あと」

レンが宙を叩くと、そこにモニターが出現した。繋がった文字が連なって文となり、そこに浮かび上がっている。黒鋼はすぐに意味を理解することを諦めて「読めねぇ」と目で訴えた。

「申し込んできたのよ、バトルロイヤルに。小狼君と、ファイと、私。この国で与えられた記号名、それから真名、虹彩と指紋データ、後はテラーの欠片を昨晩預かってたから、それも全部登録してきたわ。ゲームの受付の時にこれで本人確認をされるから、不正参加は出来ないってこと」
「いよいよ、か」
「三人とも、気をつけてね」
「うん。モコナ、ありがとー」
「おい」

不機嫌そうな声を発した黒鋼に、一同視線を送る。

「俺は?」
「なに言ってんの。出られるわけないじゃない。魔力持ってないから普段もサイバースペース使えないのに」
「言わば、黒様は無能だよー」
「そうそう。不能よ、不能」
「レンレン、その言い方は違う誤解を招くからやめようねー」
「……」
「泣いちゃダメだよ、黒鋼」
「泣いてねぇよ!頭撫でんな白饅頭!」
「でも、実際のところ、全員が参加するのは危ないと思う」

今度は小狼へと全員の視線が集まった。

「このゲームは賭の対象にもなっているらしいから、ある人物を優勝させるよう裏で何かが動いていることもあるみたいだ。過去にも、ゲーム中の出場者の本体が殺害された事例もある」
「そうよ黒鋼。私達、頼りにしてるの。私達の本体をちゃんと守っててね」
「そうだよー。無能って言われた汚名返上のチャンスじゃんー」
「てめぇらがなに言っても何のフォローにも聞こえねぇよ!」
「モコナも一人で待ってるの心細いよ。黒鋼の服の中に隠れてると安心するよ」
「……ちっ。わかった。現実世界のことは何も心配すんな。その代わり、しくじるんじゃねぇぞ」

全く、分かりづらい人だ、とレンは思った。黒鋼は、必ず優勝してこいと言っているのではない。リアルワールドで死に繋がるような怪我だけはするなと、そう言っているのだ。共に過ごすようになって何年が過ぎただろうか。きっと、小狼やファイ、モコナも黒鋼の言葉の真意を理解している。

「心配してくれてありがとねー。不安かもしれないけど、モコナと一緒にオレ達のこと信じて待っててねー」
「心配してねぇよ!つか頭撫でんな!」
「ねぇ。でもでも、優勝者は一人でしょ?それに、リタイアはできないんでしょ?だったら、もし三人が残ったら、三人が戦うの?」
「大丈夫だよ、モコナ。アバターの投影を持続できなくなった、つまりテラーが尽きてもゲームオーバーだからねぇ。そのときはオレ達の誰か二人が適当にテラーを使ってゲームオーバーになるよ」
「誰も死んじゃわない?」
「うん。大丈夫だよ」
「よかった」

そのとき、レンは小狼が俯いてなにやら考え込んでいることに気付いた。このゲームに付きまとう『死』が、きっと彼の決意を揺るがせていると、レンはそう思った。

「小狼君。本当に優勝を狙うのなら、誰かの死を恐れてはダメよ。私やファイがゲームオーバーになろうとも、構わず前に進めるだけの意志を持ってないと。もしかしたら、自分が倒した相手がリアルで死んでしまうかもしれないけど、それでも」
「……わかってる。もう一人のおれとさくらに会える可能性が少しでもあるなら、何を犠牲にしても、おれは戦う」

何も心配はいらなかった。小狼の決意が揺るぐはずはなかったのだ。ならば、レン達もそれに応えるだけだ。
これは小狼の願いを叶える旅であり、また、かつて旅を共にした仲間に会うための旅だから。そのための犠牲の数を考えてはいけない。例え何が起きようとも、何を犠牲にしようとも、どんな罪を背負おうとも、進み続けることをあの砂の国で小狼は誓ったのだから。









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