1/1

七月が泣くとき ― 02 上手なはぐれ方



空が白んだ頃、叫び声と共に俺の部屋に駆け込んできた子供達の顔と言ったらない。足を縺れさせながら転がり込むなり、まるでこの世の終わりのようにガタガタと震えながら床の上に倒れこむのだ。
「で、出た…!クロウ兄ちゃん…!」
「出た…出たんだよ…」
「はぁ?」
「幽霊だよ!!」
恐怖で足が動かないのか、倒れこんだままずりずりと這って俺の足にしがみつくこいつらの方が余程オカルトチックだったのだが、あまりの必死の形相に流石に悪いと思い笑い声だけは耐えた。
「いい歳こいてなぁにが幽霊だ。お前ら今の自分の格好見てみろ」
「だって子供だもん!きっと子供にしか見えないんだ!」
恐怖は人を変えるとは言ったものだ。普段生意気なガキ共がここまで豹変する様は見ていて面白い。
「皮を剥かれて死ぬんだ…」
「内蔵だけ取られるんだ…」
「髪の毛を一本一本抜かれて…」
「…お前ら想像力逞しいな」
自分達の妄想で恐怖感を煽っていることに気づいていないのか、真っ青な顔は殆ど真っ白になりつつある。ったくしょうがねーなぁ。
「クロウ兄ちゃんが見に行ってやるから」
半ば予想はついていたものの、ひとつその幽霊とやらを拝みに行ってやろうかと愉快な気持ちで足を踏み出す。が、まとわりついた子供達が重しになってにっちもさっちもいかない。
「オイ!お前らがくっついてたら歩けねーだろ!」
「行かないで兄ちゃん!」
「行ったらクロウ死んじゃうよ!」
「なんだっていいよ!死にたくないよ!」
「ナムアミダブツ」
「拝むな!いいから離せ!」
どこで覚えたのか分からない念仏を振り切って地獄絵図のような足を引きずりながら前に踏み出すと、子供達によって固く閉められていたドアが突然ガチャリと開いた。ドキリとして戸口を振り返る。そして目に入った人物を確認すると、ほっと息をつきながら苦笑した。
子供達は叫ぶ余裕もないのか、心臓を飛び上がらせたまま凍り付いている。硬直の寸前に込められた力で足がギリギリと締め付けられ、痛いと言ったらない。間抜けな格好のまま、俺はドアに向かって手を上げた。
「…よう、どうした名前」
「……なんでもない」
少し見開いていた目を戻すと、名前は無表情にドアを閉めた。薄暗い室内に停止した沈黙が続く。

こいつらの言う幽霊とは十中八九名前のことだろう。いるはずの無い娘。いつも無口で薄い空気をまとったような娘。だが今日からはこのアジトの一員で、子供たちと喋り、輪の中に入らなければならない。決して幽霊ではないのだ。幽霊でいてもらっては困るのだ。
「お前らそろそろ離れてもいーんじゃねぇか?」
「え、ま、待って」
「…え、どういうこと?」
「見たまんまだよ」
思考が全く追い付いてこない子供達から勢いよく足を抜き出し、名前を追うためにドアへ向かった。色々説明してやらなきゃならないことがある。名前にも、こいつらにも。
「一緒に住むってことだ」
人間の目はどこまで見開くことが出来るのか、俺はその限界を見届けた後で、部屋を出て大声で笑った。


名前と一緒に暮らすことになったと告げてから変わったことといえば、子供たちの名前への認識が、幽霊から無愛想な奴になったことくらいだった。名前はとにかく話さない。何が気にくわないのかは知らないが、何を話しかけても頷くか無言を通すだけで、後は偶に物の場所を聞くくらいなのである。子供達の間でも薄気味悪いというイメージだけは、どうも覆せないようだった。
「これが飯になるんだからな!しっかり探すんだぞー」
「わかってるよ!」
アジトから少し離れた場所にジャンクが投棄される広場があって、弥吉に売るジャンクもここで手に入れたものが多い。もうすっかり寒さは冬のそれだ。今のうちに出来るだけ蓄えておかないとならない。それでどこからかかき集めた古着を着込んでアジトの外に狩り出した。生活に慣れるために名前も誘って数人で出かけたが、その時も名前は口を閉ざしたまま最後尾をしずしずと歩いていた。話しかけようが、笑顔を向けようが、にこりともしない。鋭い眼差しがただそこにあるだけなのだ。
「兄ちゃん、あいつ怖いよ」
そう言う子供の頭をぽんとひとつ叩く。
「慣れてねぇだけさ」
安心させるように撫でれば、俺を見上げた子供ははにかみ笑いを零した。
ジャンクを踏みしめながら名前を探してあたりを見回す。子供達から離れた地面に背を丸めてしゃがみ込んでいる姿を見つけた。目蔭をさして目を細める。名前は寒さの中でも終始無言で、俺が帰るぞと声を上げるまで、弥吉が持ちやすそうな小さな部品を無心に一つ一つ拾い集めていた。それは弥吉のためなのか、預けられているという気持ちがあるからなのか、俺にはどちらとも分からなかった。

弥吉は変わらず週に数度顔を出した。名前のことを思ってかいつもより高値で買い取ってはいたが、遠目に見るだけで不思議と特に話しかけようという気は無いらしかった。名前も名前で、あの日背を向けて以来、自分から弥吉に近づこうとはしていない。
離れちまえばこんなものなんだろうか。思いながらその理由を聞きたい気もしたが、まだ俺に預けた事情というものを尋ねていなかったので、やはり俺は思いとどまった。
いつも通り子供達が拾い集めてきた中から使えそうな部品を渡して、プレハブ小屋の壁に寄りかかる。弥吉は静かに天秤棒を下ろした。
「調子はどうだ?」
「代わり映えがねーな、あんたに売るジャンクも今日はあんまり無いぜ」
弥吉は無言で首を振った。
「名前のことだ」
膝をつきながら天秤棒にぶら下げた箱にジャラジャラと音を立てて、ジャンクを詰め込む弥吉の背をそっと眺める。少し考えた後、俺は答えた。
「代わり映えがねーなぁ…」
「そうか」
弥吉はそれ以上のことは何も聞かなかった。子供達に溶け込めているのかとか、ちゃんと飯は食っているのかとか、尋ねられそうな話題は沢山あったが、その中のひとつとして弥吉は尋ねて来なかった。そうかと言ったきり、無言でジャンクを選り分け、丁寧に箱に詰めている。

「あんたに似てんな」
思わず口をついて出たのに、弥吉が顔を上げた。
「何にも喋らねーで、一人で黙々とジャンクを漁ってるよ。あいつは」
そうか。またジャンクを弄りながら、弥吉が消えそうなほど小さな声で呟いた。
「似てちゃあ困るんだ」
「そうか」
俺も同じように返して無言の弥吉を眺める。呆然とその横顔を見ていると、次第に笑いがこみ上げてきた。くつくつと喉が震える。腕を組んでやんわりと腹を抱えた。
「確かに、あんたに似てちゃ可哀想だな!」
「そりゃあな」
だがガキが言ってくれる。弥吉がくっと引っかかったように喉を震わせた。笑い声につられて子供達がテントや小屋から顔を出す。わらわらと寄って集まってくるのに弥吉が天秤棒を担いで立ち上がった。手には久しぶりに飴玉が握られている。
そこに名前の姿はなかった。


久々の収穫が大当たりだった。駆け足で瓦礫の中を走る。
「アチッ…アチチッ」
焼き芋がこんもりと重なって顔を出す薄い袋を抱えながら、踊るようにアジトに駆け込んだ。シティからの流れ物らしく値は張ったが、子供達の喜ぶ顔が頭を過ぎって思わず買ってしまった。我ながら甘いと思う。これで一日分の稼ぎがパーになってしまったが、それでも嬉しそうな声や笑顔だけは振り払えなかった。
「あっクロウ!なんだそれカードか?」
「ばーか、カードがいいならお前にゃやらねーぞ」
案の定匂いにつられて子供達がわらわらと集まってくる。焼き芋!と一人の声が上がった。
「焼き芋だ!」
「おう!熱いから気を付けろよ」
割りながら一人ひとりに手渡すと、頬を真っ赤にして黄色い断面をのぞき込んでいる。買って良かったと思いながら、立ち上がる。だがふと気づいた。
名前は?
辺りを見回した。名前はどこだ?しかしどこにも姿は見えない。

サテライトではいい稼ぎを得るには伝手と情報がものを言う。だから俺も四六時中アジトにいるわけではなく、しょっちゅう色んな地区を駆けずり回っていた。子供達もその間は周辺を歩き回ったり、菜園なんぞもやってみたり、宝探しのつもりでジャンクを漁って歩いたりと好きなように過ごしている。一度過去にガラの悪い野郎に絡まれてからは集団で固まって生活しているようで、治安の悪いBAD地区にアジトを持つからにはそこで生き抜く術も粗方理解しているようだった。
だから名前もそうなのだろうと思っていた。弥吉が歩くのはBAD地区だけではない。サテライトの殆ど全域をふらふらと練り歩いている。それに連れられていたのだから、何がタブーで何が安全かは分かっていると思っていた。しかし、どうやらそれは俺の思い違いだったらしい。
「あいつ、いつも一人でいなくなっちまうんだ」
名前の姿が見えないと尋ねると、そんな声が上がった。
「一緒にいないと危ないって言って、その後はちゃんと付いてくるんだけど、いつの間にかいなくなってるんだよ」
「最初は探しまわったけど、結局いつも先にアジトに戻っているだけで」
俺はため息をついた。いや、勝手に漏れたのだ。ったく、こんなに手間のかかるガキはいやしねぇ。間違いが起きる前に一言名前に言って教えてやらなけりゃならない。危険なのは名前だけではないのだ。

しかしどれだけアジトを探しまわっても名前の姿は見えなかった。
まさか。嫌な予感が走る。窃盗くらいじゃ軽い方だ。抵抗して怪我でもすればここには助けるものもいない。法が届かない地区なら、人身売買だって頻繁にあるのだ。人間だけではない。傷んだ建物に入れば危うく命を失うこともある。
誰もいない廃屋の冷たい空気に包まれて、瓦礫に埋もれてぽつんと横たわる名前が頭を過ぎる。想像すればぞっと背筋を冷たいものが走った。弥吉の頭を下げた姿も浮かんでくる。
「お前ら!絶対ここを出るんじゃねーぞ!」
焦った。心臓が鼓動でひしめく。体中がカラカラに乾いて、背筋は凍りつくように寒い。子供達に叫んで上着を引っ掛けた。名前が行きそうな場所を聞きながら走り出すと、アジトの入り口にころんと親指大のパーツが転がった。パーツの先を目で追う。
「あっ」
俺の代わりに声を漏らしたのは子供達だった。被りかけた上着が俺の腕に中途半端に引っかかる。名前が立っていた。破れそうな段ボール箱を抱えて、その中は使えそうなジャンクで溢れている。薄汚れた真っ赤な指先で、一人で拾ってきたのだと分かった。
俺は言葉を失った。名前は突っ立ったまま寒さで鼻先を赤くして、慌ただしく動くアジトの中をぼんやりと眺めている。お前なぁ。
「お前なぁ…!」
ようやく絞り出したが、その次が出てこない。心配したと言やいいだけだったが、それすら頭には浮かんで来なかった。名前は呆然と立ち尽くしている。騒ぎが自分に関連しているとわかったのだろう。ぼんやりした顔には、いつもの鋭い目付きがない。
俺は大股で歩み寄った。ばかやろう。そんな言葉が浮かんだ。そうだ、ばかやろうだ。一言言ってやらなければならない。ここは危険な場所だ。一人では何があってもおかしくはない。幽霊でも、弥吉に似ていても、生きてはいけないのだ。
「馬鹿野郎!」
立ち止まって大声を出すと、名前は少し目を見開いた。
「何で一人で出たんだ」
言葉を探しているでもなく、名前は目を大きくしたまま俺をじっと見つめている。
「名前!」
肩を掴む。びくりと名前の体が大きく揺れた。掴んだ手の中が微かにカタカタと揺らいでいる。はっとした。もしかして。一つの憶測が頭を過ぎった。それは断定に近い憶測だった。
名前と名前を呼んで、肩を掴んでいた手を頭に乗せる。一瞬ためらったが髪をくしゃっと撫で、俺はしゃがみ込んだ。身長が逆転する。少しだけ見上げる形になった名前を仰ぎ、目を合わせた。名前の素に近い顔を見たのは初めてだった。いつも睨んでいるか気を張ってニコリとも笑いもしない顔ばかり見てきたが、僅かに驚きを滲ませた名前は歳相応の娘に見えた。なんだよ。可愛いじゃねーか。弥吉になんざ、これっぽっちも似ていやしない。
箱を抱えて黙って俺を見つめている名前を、そっと引き寄せる。割れ物を扱うように、こわごわと抱きしめる。名前の体はあからさまに強ばっていた。それを解きほぐすようにゆっくりゆっくり背中を撫でる。俺の胸に当たるジャンクの角が痛かったが無視をした。俺が悪かったのだ。全くお前を見ちゃいなかった。子供達の方が、よっぽど名前のことを見ていたのだ。
「心配したじゃねーか…」
息と一緒に吐き出すと、ぴくりと体を震わし、息を止めていた名前の口から暖かな空気が溢れるのを感じた。

忘れていたことがある。弥吉は名前を拾ったと言っていた。弥吉の存在が大きくてすっかり頭から抜け落ちていたが、名前も俺や子供達と同じようにずっと孤独を味わっていたのかも知れないのだ。もし両親がいなくて、弥吉だけが名前にとっての頼れる人間だったのなら?名前が俺達を気に食わなかったのも、睨みつけてきたのも、不安だっただけなのだとしたら。
人一倍人見知りで偏見の強い奴なのだろうと思った。一人が多かったのならば、人との接し方なんて分かりゃしない。だからいつも気を張って、それに疲れりゃ俺達の目の届かないところへ逃げていたのだろうか。弥吉のためか、預けられた引け目からかは知らないが、足しになるよう必死でジャンクを集めていたのだろうか。
「なぁ名前」
箱ごと名前をぎゅっと抱きしめる。
だからと言って、無断で離れることも一人で歩くことも許されることではない。だが俺は責めることも叱ることもできなかった。いつかは言ってやらなければならないと分かっているのだが、名前は名前で必死だったのだ。それは俺が気づいてやらなきゃならなかった。弥吉に頭を下げて頼まれた俺だけが、少しでも弥吉の代わりを務めなければならなかったのだ。なぁ名前。
「無理なんざしなくていい。だけどもう、一人になるんじゃねーぞ」
今度は強く髪をかき回す。笑いながら言ってやれば、心配そうに伺っていた子供達からもほっとした声が漏れた。
名前は俺にかき回されるがままになっている。ぐしゃぐしゃの頭に笑いを起こしながら、やってやろうと思った。やってやるしかない。ここでは一人じゃないのだ。幽霊になんかなれやしないのだ。俺が一人の人間にしてやる。頼まれなくたって、してやろうじゃねーか。
「うし、じゃあ名前!ジャンク置いたら手洗え!特別に兄ちゃんの焼き芋を分けてやっからな」
立ち上がってお前らも食ったら風呂の準備だぞ!と手を叩く。途端賑やかになったアジトの空気に混じって、はい。という消え入りそうな名前の声が聞こえた気がした。



|
12/01/07 長編
menu|top


第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -