写真を撮り始めてから、もう12年は経つと思う。父親から不要になったコンデジをもらって、なんとなくシャッターを押していた頃も合わせれば、もう少し長いかもしれない。わたしはずっと、死に直面した人を撮り続けていたし、わたし自身、やり場のない虚しさや、漠然とした苦しみ、フラストレーションを撮影という行為にぶつけていたのだと思う。今はまあまあ穏やかになって、まあまあ落ち着いて、なんというか、全てにおいて「まあまあ」の生活をしている。だから撮れなくなった、というわけでもないのだけれど。わたしは苦しんで撮ることしか知らないから、時々、どうしようもなく迷ってしまう。穏やかになりつつある自分の生み出すものを受け入れられる日が、いつかは来るのだろうか。来るといいけれど。眠剤飲んで支離滅裂だ。ラボナを飲んだあとに文章を書くのはよくないね?写真が撮りたいというきもちは嘘じゃない。嘘じゃ困る、わたしはどこにいるのだろう、わたしが本当に撮りたいものって?何もわからない。眠たい。じゃあ、おやすみ。おやすみなさい。まぶたが溶けてしまいそう。