-2013


23/12/28(Thu) 00:44  
7年ぶりに飲酒をした。虚しくなる。写真を撮っている時のわたし、友人と話している時のわたしが乖離する。
ここがどこなのかもわからなくなりそうなベッド、所詮、全員他人なのだと感じる。酔わない頭。酒に酔える人間だったらなあと時折思っていたことを思い出す。
写真は過去でしかないから面白いなと思う。他愛のない一瞬にも意味がある、ような気がする。最近は小さなカメラで何かと人を撮っている。今年亡くなった友人の写真をあまり残していなかった事に気づいて呆然としたからだ。残っているのは彼のライブ写真と、一緒に撮ったいわゆる自撮りだった。
床、セルロイド。弦の切れたSG、乱雑に脱ぎ捨てられたボーダーのシャツ、宗教施設から聴こえる太鼓の音、朝、頭を撫でる手、わたしがその頃、写真という術を持っていたのなら、その全てを、閉じ込めることができたというのに。
本当のことなんか一つも知りたくない。
わたしはあなたのことが少しだけ知りたい。
矛盾。終わるための場所を探している。
 




23/9/14(Thu) 01:26  
悲しいと言う気持ちは今も変わっていない。ずっと変わらないのだと思う。忘れてしまうのが怖い。あなたがいなくても楽しいことのある人生が怖い。わたしは。わたしは。どうしてここにいるのだろう。
 




23/5/9(Tue) 00:32  
友人Kが自殺した。
享年37歳だった。

彼はわたしの恩人だった。
14年前、16歳の頃、わたしは家出をした。
家出をして、Kと池袋のガストでひたすら話をした。音楽の話とか、学校が嫌だとか、親が過保護で辛いとか、父親に殴られるとか、そういう話だったと思う。今思うとしょうもないことだけど、当時のわたしにとっては死を考えるほど深刻な問題だった。

雨。その後はなぜかラブホテルに連れて行かれた。薄暗くて汚い、池袋の安いラブホテル。入室するなりKはわたしを抱きしめて泣いていた。嗚咽する年上の男の人を初めて見たわたしは戸惑うばかりで、ひたすら頭を撫でていた。セックスどころか、性的な触れ合いは何一つ行われず、当時23歳だったKも、生活がうまくいってなかったから、両親にトラウマがあったから、両親とうまく行っていないわたしに重ねたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。あの時のKの心境は未だわからないままだ。

その後、じゃあまたね、とあっさり別れてラブホテルを出ると既に夕方になっていた。相変わらずの雨。どこかで一人考える時間が欲しいと思ったが、漫画喫茶に16歳のわたしは入れず、かと言って再度ラブホテルに忍び込むにもそんな大金は所持していない。
行き場所を考えた末、マクドナルドで時間を潰していたが、そのうち補導が怖くなって池袋駅の中のトイレに逃げ込んだ。
先のことなんか一つも考えずに家を出たから持っているのは携帯電話だけだった。「今日はありがとう」とメールに打ち込み、Kに送信した。警察がいないか、周りを確認しながら池袋の夜の街を徘徊した。変な男の人にたくさん声をかけられた。
気がつくと携帯電話の電池が切れていて、コンセントなんかないよなあと、池袋東口で途方に暮れてしゃがみ込んで、この先どうしようと思意を巡らせているとだいぶ時間が経っていて、たしか24時近くだったかな。

目の前にタクシーが止まって、降りてきたのはKだった。「ここにいたんだ、よかった。俺んち行こう」とKはわたしの手を引いて、大塚の方へと歩き出した。何も言ってないのに迎えにきたKがまるでヒーローみたいに見えていた。ヒーローだった、少なくともわたしにとっては。

そのまま彼の家に二週間ほど住まわせてもらっていた。親は捜索願を出さなかった。
一緒に住んでいる間もKは手を出してくることはなかった。
バンドマンだった彼のライブに連れて行ってもらうこともあった。メンバーは「16歳を匿うなんて下手したら捕まるぞ」と怒っていたけれど、Kは「でも見放すのは違うだろ」とわたしを守ろうとしてくれていた。
Kは二週間の間の数日間、家を空けていたが、今思うと相当の女好きだったから、どこか女の子の家に行っていたのだろう。そういう時はなぜか、食費を少し多めに渡してくれていたのを覚えている。

二週間後、Kの祖母が亡くなって、彼が地元に戻ることになった時は、新幹線の乗り場まで送って行った。
その時だけ、良い子でお留守番してなさいね、とキスをされた。わたしとKが身体的なスキンシップをしたのはそれが最初で最後だった。異性とのそれというよりは、妹に対するそれだったと記憶している。
Kを見送り大塚に帰り、一週間ほどわたしは一人、KのいないKの家で過ごしていた。

数日後地元から帰ってきたKはわたしの両親に電話をかけて、「こいつの気持ちをもっと考えてやってください」と本気で怒っていた。それをきっかけに、わたしは、なんとなく、もう家に帰らなきゃ、と思ったのだった。

最後に会ったとき、何故だかその頃のことをありありと思い出して「あの時の君はわたしにとってのヒーローだったよ、ありがとう」と伝えると、「間違いなくあの時はお前の人生動かしたって自覚あるよ、俺にしてもあの期間は大切な時間だった」とKらしい言葉を返してきたのがまだ忘れられない。

Kとは家出の件をきっかけに、その後もずっと付き合いが続いていた。本当に、2009年から2014年の5年間は月に何日会っていただろう。数え切れないくらい一緒に遊んで、出かけて、いつも一緒にいた。話すのはくだらないことばかりだった。
バンドの遠征にも一緒に行った。大阪、神戸、京都、他にもたくさん。
Kのバンドのメンバーと付き合うことになった時は面白がってデートに合流してきて、あれは少し邪魔だったな。
2014年以降もなんだかんだで年に何回かは会っていたし、会うたびに昔と変わらず兄貴風を吹かせて、お前がこうして生きてて良かったよ、俺の人生も悪くねえな、なんて格好つけて笑っていた。何かと格好つけたがる男だった。
わたしに彼氏ができるたびにKに紹介していたし、結婚した時も誰よりも先に伝えていた。
夫を紹介した時、こいつをよろしくな、と言って少し嬉しそうにするKはやっぱり格好つけで、優しくて、大好きだった。

反面、急に失踪したり、帰ってきたり、久しぶりに顔を見たと思ったらやつれていたり、もう死のうかな、と溢すことも多々あったが、それでもなんとなく、Kは「なんだかんだで長生きするやつ」だと思っていた。
何より、Kもちゃんと歳をとっておじさんになっていて、結婚をして、子供もできていたから、もう大丈夫だろうと思っていた。
まさか死んでしまうとは思っていなかった。

Twitterやnoteに、「わたしがわたしとして」書くのはなんだか気持ちが悪いなと思ってここに書いた。文章、めちゃくちゃだと思う。わたしはKのことが大好きだったし今も大好きだ。ふとした時に思い出すし、一緒に聴いた音楽も行った場所も多すぎて、何をしていても思い出してしまう。
わたしの人生における分岐点にいた一人。

私が貸したジャズマス、売り払ってしまってたの知ってるよ、でもさ、死ぬくらいならお金なんかいくらでも貸したよわたしは。バツが悪そうに言い訳なんかしなくてよかったのに。話なんかいくらでも聞いたし逃げたいならうちに来たってよかったよ。

Kが紹介してくれて、一緒にバンドをやっていた洸介は10年前に死んだ。
飛び降りだった。
わたしの文章によく出てくる洸介。
彼は21歳で、飛び降りた。まだ夢に見る。
Kは「死ぬことねえだろ、残された人のことを考えろよ」と泣きながら静かに怒っていた。
Kもまた、洸介のことが大好きだった。

Kも洸介もいなくなって、わたしはわたしの日々を生きるしかないのだけれど、やっぱり、寂しくてしょうがない。

さみしい。とても。
ご冥福をお祈りしますとかそんな他人行儀なこと言いたくない。絶対に言ってやらない。
寂しい。会いたい。
 


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