勧誘





「逃げなさいエマ、逃げて、生き延びるの」

「いや、いやよ!私も一緒にいる…っ!」

「エマ、言う事を聞きなさい」

「あとで私達も行くから、ね?」

「嘘だ!」

「嘘じゃないよ、信じて」

「……絶対…?」

「絶対」

「絶対、絶対だよ…!死なないで!」

「ええ、愛してるわエマ」






パチリと目が覚め、脳が覚醒する。


「ゆめ……」


大きく息を吐き、身体を起こそうととすればそれが出来ない事に気が付いた。
カシャ、と音がして視線を横に向ければ、腕には枷が付けられていた。

そして、そこで気が付いた。


「……生きてる、」


そうだ、自分は心臓を貫かれたはずではなかっただろうか。
左胸に受けた衝撃は、紛れもなく現実だったはずだ。

確認しようにも、腕は拘束されているし、ご丁寧に足まで。
海楼石ではないようだが、あいにく枷を外すのに向いている能力ではない。
いつもなら隠し持っているピンセットもない、そもそも服装が変わっていた。

この状況を打破する方法はなく、無意味にガシャガシャと枷を揺らしていた。


「起きたか」


突然かけられた声に内心驚きながらも、声のする方に顔を向けた。


「……トラファルガー・ロー」

「気分はどうだ?」

「最悪」

「そうか、何よりだ」

「ここはどこ」

「海賊船だ、おれのな」


まさか、と絶望する。
たしかに船特有の揺れを感じた、間違いなく船の上だ。


「……あなた、私を殺したんじゃなかったの?」

「いや、おれは医者なんでな。殺人は好まねェ」

「海賊のくせに、随分甘い事言うのね」

「自分の立場が分かってねェようだな。殺人は好まないとは言ったが、痛みつけるのは嫌いじゃねェぞ」


ローが言った。

その瞬間、左胸に尋常じゃない痛みが走り、絶叫する。
まさに、心臓が握りしめられるような感覚。


「……ッ、……それ、は…ッ」

「心臓だ、お前のな」


そう言って再び心臓を持つ手に力を込める。
エマからは声にならないような叫びが上がった。

握りしめられるような感覚、とは間違いではなく、そのままの意味だった。


「うァッ、うっ……あ、あああッ!!」

「おれの質問に答えろ。素直に答えた方が身の為だ」

「誰が、あんたなんかに…!」


拒否すれば手加減無しに心臓を握りつぶされる。
痛いなんてレベルではない。


「死ぬ気か?言ったろ、殺人は好まない」

「ハッ、ッじゃあ、やめて貰えると、嬉しいんだけど…!」


エマの額はすでに汗でべっしょりと濡れている。
痛みに耐えながら、エマは必死に言葉を紡ぐ。


「こんな所で、死ねない…ッ!」

「だから素直に答えろと言ってるんだ」


ローがエマに聞きたい事は、聞かれなくても分かっている。
だからこそ、喋る訳にはいかなかった。

何度そのやり取りをしただろうか。
エマはすでに嫌味を言う気力さえなくなってしまった。

こんな所で死ぬわけにはいかない、エマにはやらなくてはいけない事がある。
けれど、それも時間の問題だ。

死ぬ覚悟なら、ずっと前からできていた。
エマは今度こそ自分の命の終わりを実感し、目を閉じた。


「……やめだ」


スッ、とローが立ち上がる。
その気配を感じとり、薄く瞼を持ち上げた。

ローの表情からは何も読み取れない。


「え…?」


突然ローが枷を外し始め、腕と足の圧迫感から解放される。
その行動の意味が分からず困惑していると、ローが口を開いた。


「お前、"バーキンズ"だな」


その言葉にエマはぴくりと肩を震わせた。


「お前に撃った弾は全部で五発、すべて命中した。お前に近づいた時におかしいと思ったんだ。仮に能力者だとしても、お前の能力とは結びつかねェ」


ローはエマが自身の"オペオペの実"の能力を使ったところで、何かの能力だと確信した。
更にはどんな能力かさえも、薄々感じとったようだ。


「あの驚異的な回復は、能力でないなら答えはひとつしかない」

「…………」

「悪魔の一族と言われた"バーキンズ"、まさかこんな所でお目にかかるとはな」


ずっと無表情だったローが、興味深そうに笑みを浮かべた。


「何年か前に滅んだと聞いたが?」

「……10年前よ」

「何かよからぬ計画を企てていたという噂は?」

「ッ!?そんな事!私達がするわけない、する意味がないわ!」


それまで冷静だったエマが怒号を飛ばす。


「私達は静かに暮らしていただけよ!一般人とは違うから、化け物だから…!なのに!」


そのままローを睨みつけ、言葉を続ける。


「私を生かす理由は何!実験でもするつもりなの!?」

「……実験とはこれの事か?あいにく、おれにそんな趣味はない」

「っ!それは…!」



ローが手に持っていたのはエマが盗んだ資料だった。


「読んだのね……」

「これを盗み出すためにおれ達を利用したのか」

「返して」

「ここ最近、海軍基地に潜入して機密情報を盗む輩がいるらしい。お前だな?」

「…………」

「目的は復讐か」

「…………」

「ハァ、だんまりかよ」


ローはため息をついて部屋のドアノブに手を掛けた。


「待って」


部屋を出て行こうとしたローをエマが引き止めた。


「私をどうするつもり?」

「あ?」

「人が悪いわ。知ってて、私を拷問したの」

「海賊を利用しておいて、随分甘い事言うんだな」

「利用した事が気に入らないなら、さっさと殺せばいいでしょう」

「何度も言わせるな、おれは殺人は好まない」

「じゃあどうして、」

「立場を分からせただけだ」

「立場?」

「この船から逃げようとしても無駄だぞ。お前は逃げられない。心臓はおれが持ってるからな」


そこで初めて、エマは自分の左胸にぽっかりと穴が開いている事に気が付いた。
今、自分の中には心臓がないのに生きている、変な感じがした。

ローはドアに向けていた足先を、再びエマに向けた。
そして「面倒だ」と小さく呟くと、隈の目立つ瞳と目が合った。


「単刀直入に言う。お前、おれのクルーになれ」

「…………は?」


場に似合わない、まぬけな声が漏れた。

今、そんな話の流れだっただろうか。
ただえさえローの意味不明な行動に混乱しているのに、更に混乱してしまう、と。


「何を言ってるの」

「おれの船に乗れ、バーキンズ屋。そう身構えるな、おれはお前の実力を買ってるんだ」


本当の本当に意味が分からない。
脳内で整理してみようとしても、色んな情報がそれを邪魔する。


「何がどうなってそうなったの……」

「おれ達を利用した事については、さっきの拷問でチャラにしてやる。次に、おれは別にバーキンズの能力に興味がないわけじゃねェが、何かに利用するつもりはない」

「そんなの、どうやって信じろと…?」

「するつもりなら、とっくにやってる。最後に、素直にお前の戦力が欲しい。おれはいずれ海賊王になる、そのために必要な戦力は揃えておきたい」

「海賊王、ってあの海賊王…!?」

「そうだ」


ローは当然のように、その名を口にした。

海賊王、ひとつなぎの大秘宝ワンピース、その言葉を口にすると大抵の人はバカにする。
そんなものあるわけない、夢物語、妄想だと。

驚愕するエマを横目に、ローは話を続ける。


「おれ達を使ったとはいえ、あの施設から盗みをするなんざ大したもんだ」

「根に持ってるの?」


エマがそう言えば、ローは「多少な」と笑った。


「おれの能力は知ってたのか」

「噂程度には」

「あの時、咄嗟におれの能力を理解して使った判断力。行動力、計画性もある。頭は悪くねェ、その上能力者で不死身ときた。仲間にしたい理由は十分だ」


素直な褒め言葉だった。
先ほどまでの悪魔のような男はどこへ行ったのだ、とエマは首を傾げる。


「……私の殺し方を知ってるようだったけど、全部知ってるの?」

「お前の言う全部がいくつあるのかは知らねェが、心臓を潰すのと窒息は聞いたことがある」

「御明察。あとは首を落とす事、ショック死だってするし病には勝てない。私達は不死身じゃないわ」


そう、不死身じゃない。
痛覚は普通にあるし、常人より痛みには強いが、耐えられない場合や血を流し過ぎた時はショック死だってする。
病が治らなければ死ぬし、首を切られたり、心臓をやられれば即死だ。


「ある程度の怪我は自分で回復するんだろ、十分だ」

「評価してくれた事は嬉しいけど、私は海賊にはならないわ」


すっぱりと断りを入れる。
その途端、ローの眉間に皺が寄る。


「私にはやらなきゃいけない事がある。復讐って聞いたわね、その通りよ。私は一族を滅ぼした奴等に復讐する。そのために、あらゆる海軍基地に乗り込んで情報を集めているの」

「……滅んだ理由はなんだ」

「気になるの?変な人ね」


くすっと笑みが出て自分で驚いた。
先ほどまで殺されかけていた男に対して、いつの間にか警戒心が薄れている事に。