繋いで、結んで



キィ、とドアの開く音が静かな空間には大きく響いた。
コツコツと規則正しい足音が耳元でピタリと止み、名前を呼ばれた事でエマはゆっくりと目を開けた。


「……ロー…?」

「寝てたのか」

「ちょっとだけ、ウトウトしてた」


おかえりなさい、とエマは目を細めて笑う。
するとローは頭をくしゃりと撫で、その手付きが気持ちよくてすぐにでも寝落ちてしまいそうだった。

先ほどはベポが怯えるほど怒りを露にしていたが、今は落ち着いたらしい。
シャチがどの様な仕打ちを受けたのかは、考えないようにした。


「これは…?」


ふと、ローはエマの腕の中にある物の存在に気が付き、手を伸ばした。
それは黄色い生地に赤黒い染みが点々と付いており、広げてみると先ほどまで自身が身に着けていた物であた。
そこら辺に放り投げておいたはずだが、とエマを見れば、虚ろだった目はみるみるうちに見開いていった。


「か、返して!」

「これはおれの服だ」


身を起こして伸ばしてきた手を、ローは簡単に避けた。
その手は空を切り、うっ、と呻き声をあげてエマはベッドへと突っ伏した。


「人が着てた服を大事そうに抱えて、何してたんだ?」

「そ、それは…その……」

「なァ、エマ?」


あの、その、ええと。
エマは顔を真っ赤に染め上げて口ごもる。

最終的には「何もしてない」と消え入るような声で答えた。


「お前、おれの事好きすぎじゃねェか?」

「なッ…!」


否定をしたところで、ローの中では大体の予想は付いていたのだろう。

ローが部屋を出て行ってしまって、寂しがっていた事も。
その寂しさを紛らわすために、脱ぎ捨ててあったパーカーに手を伸ばした事も。
深い眠りには入らない様、眠気を我慢して戻ってくるのを待っていた事も、ローにはすべてお見通しだった。


「…………悪い……?」


精一杯睨みを利かせて言ってみても、ローには痛くも痒くもない。
それどころか、エマのその態度に満足そうに口角を上げるのだ。


「いや…?」


ギシッ、と二人分の重さにスプリングが鳴った。


「すぐに戻るって、言ったのに…なかなか戻って来なかったから……」

「悪かったよ」


逸らした顔はすぐさま掴まれて目を合わされた。
ローの瞳は、部屋を出る前と変わっておらず熱を帯びたままだ。


「続き、するぞ」

「……うん」


絡み取られた手をぎゅっと握り返し、エマは目を閉じた。



***



ぼや、と見えた人影はベッドのすぐそばにある小窓から海を眺めていた。
潜水している間は、真っ暗で日が出ているかどうかも分からない。


「今、何時…?」


控えめに欠伸をしながら問いかけると、大きな手が頭にポン、と乗った。


「まだ夜明け前だ」

「そう、」


眠りについてからまだ数時間しか経っていない、とぼんやりとした頭で思う。

ベッドから下りたローは、エマの頭をもう一度くしゃりと撫で、こめかみにキスを落とす。
先ほどまでこれでもかという程していたのに、まだ慣れる事は出来ておらず、心臓は大きく跳ねた。


「もう少し寝てろ」

「ローは?……どこか行くの?」


ローは椅子に掛けてあった服を掴み、袖を通しながら口を開いた。


「見張りの交代に行く。人手が足りてねェからな」

「それなら私も」

「行けるのか?」

「大丈夫よ、少しだけどぐっすり眠れたし」

「そうじゃねェよ」

「? どういう意味………ひゃあ…!?」


ベッドから脚を下ろし立ち上がろうとした瞬間、エマの意に反してペタリと崩れるようにして膝をついた。
それと同時に太ももに生暖かいものが垂れてきて、思わず鼻にかかった声が漏れてしまう。

俯いた顔は、薄暗い中でも分かるくらい赤く染まっていた。


「言わんこっちゃねェ」


大丈夫か、と近寄る声は少し震えていて、笑っているのだと分かる。

大丈夫じゃない、と呟くエマにもう一度キスを落としてから抱き抱え、再びベッドへと下ろした。


「立てるようになったら来い」

「わっ、ぷ……」


そう言ってタオルを投げ付けた。
それを顔面で受け取ったエマは、唯一この部屋だけに備え付けてあるシャワー室に目線をやった。


「……そうする」

「そうしろ」


ローがいなくなった部屋を見渡し、散らばった自身の服を拾い上げる。
すると、ふと目に入った机に置いてる水の入ったコップと錠剤。

女としての本能が無いと言えば嘘になる。
しかし海賊としての立場、これからの未来、そうも言ってられない。


「抜け目ないなぁ」


エマはくすりと笑って、その錠剤を口に放り込み一気に水で流し込んだ。


シャワーを浴び、部屋の外に出れば廊下で傷だらけのクルー達と顔を合わせた。
こういう時に、自分だけ無傷な状態なのはなんとなく申し訳なく感じる。

エマの態度からそれを感じ取っているクルー達は、気にするなよ、と毎回気遣ってくれていた。


「あ、エマ!」

「イッカク!もう大丈夫なの?」

「うん、私は皆より怪我は軽かったしね」

「そっか、よかった」

「エマもでしょ。また無茶して、心配したんだから」

「うん、ごめんね」

「それより、今までどこにいたの?部屋で寝てたはずなのにいつの間にかいなかったから」

「そ、それは……」


ほっとしたのも束の間、イッカクの問いにエマはギクリと顔を強張らせた。


「んん?なに?どこにいたのかなぁ?」


そんなエマの様子にニヤリとイッカクは笑う。

本当に彼女はこういった事に鋭い。
隠しきれないと観念したエマは、小さく答えた。


「せ、船長の、部屋に、いたの……」

「…………マジ?」

「まじ……」

「もしかして、おめでとうって、言ってもいいの?」


イッカクには、ローとの曖昧な関係についてほぼすべてを話してあり、相談にも乗ってもらっている。
彼女になら、言ってしまってもいいだろう。


「……うん、」


少し照れるようにして答えると、イッカクの顔はパァッと明るくなり両手を広げてエマに抱き着いた。


「エマ、おめでとう…!」

「ありがとう、イッカク」


廊下で抱きしめ合う二人を、なんだなんだと他のクルー達が視線を送っていた。


「でも、船長は公にはしないと思うから、その……」

「わかってる。言いふらしたりしないわよ」

「ありがとう」

「後でゆっくり話は聞くけど」

「う、うん……」


これは今日もゆっくりは寝られないな、とエマは苦笑いを零す。

そんな中聞こえてきた、自分を呼ぶ声。
振り向けば、話題に上がっていた人物が姿を現した。


「あら、キャプテン。おはようございます」

「あァ。傷はどうだ」

「おかげさまで。この通りピンピンしてますよ」


両腕の力こぶを作る動作をして、イッカクは笑顔で答えた。


「そうか、無理はするなよ」


そう言ったローの口調と表情がいつもより柔らかいのは、気のせいだろうか。
イッカクはぱちぱちと瞬きをして、じっとローを見つめた。


「なんだ」

「いえ……キャプテン、今日機嫌いいですね?」

「あ?」


今度はローが数回、瞬きをした。
そして意味を理解すると、ニヤッと笑うのだ。


「まァな」


イッカクが目を見開いた。
珍しい、と素直な感想が頭に浮かんだ。


「あーあー、ご馳走様です。朝っぱらからお腹いっぱい」


お腹をポンポンと叩きながらイッカクが言う。
そんな二人の会話を、エマは首を傾げながら聞いていた。


「そういえば船長、どうかしたの?」

「どうかした、じゃねェ。見張りの手伝いするんじゃなかったのか」

「あっ、」

「さっさとしろ。今は人手が足りねェって言ったろ」

「そうだった」


イッカクに断りを入れて、エマは廊下を小走りで駆けて行った。
その様子を見守るように、後ろからローが追う。


「……なぁんだ、全然心配いらないじゃん」


「他の手伝いでもするか!」とイッカクは一つ伸びをして、上機嫌で廊下を歩いた。









「今の所、異常は無しね」


ローと二人、朝食を取りながら水中の見張りをする。
昨日とは打って変わって、潮の流れは穏やかだった。


「……次の島だが、」

「うん?」

「ここらでは有名なリゾート地だそうだ」

「ふぅん」


その島では、海賊だろうと海軍だろうと一切争いは禁止とされているそうだ。
そのため、傷ついた身体を休めるにはうってつけだとローは言った。


「全員の傷が癒えるまで滞在するつもりだ。まァ、言ってみればバカンスだな」

「バカンス……」

「たまには悪くねェだろ」

「悪いどころか、最高よ。皆も絶対喜ぶ」


楽しみね、とエマは胸を躍らせた。
その様子を見て「子供か」と呟いたローの肩にパンチを食らわせておいた。


「そろそろだと思うが」

「あ、もしかしてあれかしら…?このまま進めばぶつかるわ」

「船内に浮上のアナウンスを流せ」

「了解」


エマは言われた通り、船内にアナウンスを流した。
ついでに今回はローの計らいでバカンスという事で、滞在期間も長い事も伝えれば、静かだった船内にはローへの感謝の言葉で溢れ返った。


「……余計な事は言わなくていい」

「どうして?皆嬉しそうよ」

「まァ、たまにはあいつ等にも褒美をやらねェとな」


いつもよくやってくれてる、そう呟くと、騒がしかった船内は更にヒートアップした。
ビクッと肩を揺らしたローがエマを見れば、その手にはまだ切られていない受話器が握られていた。


「これも、私たちにとってはご褒美よ」


にっこりと笑ったエマに対し眉間に皺を寄せたローは、奪い取った受話器を乱暴に置いて放送を切った。


「言える時に言うべきでしょ?」

「うるせェ」

「いたっ」

「チィッ、丸一日は立てなくなるまで抱き潰すべきだったな」

「ちょ、ちょっと、物騒な事言わないで…!」

「次は、覚悟しとけ」

「つ、ぎ…って……」


小突かれたおでこを擦りながら赤面する。

次がある。ローにそれを言われた事が、何よりも嬉しかった。


「なに想像してんだ、むっつりスケベ」

「ば、バカ!違うわよ!」

「どこが違うんだ?」

「……もういい」

「くく、ガキ」

「人を揶揄って面白がってる、あなたの方が子供よ」

「なんだと?」

「何よ、やる気?」


両者が立ち上がった瞬間、浮上した船が大きく揺れた。

バランスを崩し、咄嗟にローの腕を掴むとそのまま腕の中に閉じ込められた。
揺れが落ち着くまでその状態でいてくれた事に、きゅんと胸が高鳴るのは仕方がない事だった。


「本当に、どうしようもない……」

「何ブツブツ言ってる」

「なんでもない…ねぇ、もうちょっとだけこうしてて」

「やっぱりむっつりじゃねェか」

「もう、なんとでも言って」


言い返すのは諦めて、そのまま身体をローに預ける。
ため息が聞こえてきたが、ローは何も言わずそのままでいてくれた。

心が満たされる、という事はこういう事なのだろうか。
むしろ溢れ出てしまう幸福感は、エマの涙となって落ちていった。

このまま時が止まってしまえばいい。
この幸福がずっと続けばいい。
そう思った所で、自分とローを呼ぶクルーの声が聞こえてきた。

そんな気持ちにムチを打って、エマはローの身体からそっと離れた。


「いいのか」

「ん、ありがとう」

「行くぞ。あいつ等が呼んでる」

「うん……っ、あ、え?ちょっと待って、ねぇ、船長…!」

「うるせェ、話しかけんな」

「だ、だって…!」


エマの手を取り、ローはそのまま歩き始めた。


「皆に、バレるわよ」

「構わねェよ」

「か、揶揄われるかも……」

「あいつ等にそんな度胸あるとは思えねェが」

「っ、本当に私が、ローの特別でも、いいの…?」


足が止まり、頬には涙が伝った。
ゆっくりと振り返ったローは、優しくそれを拭う。


「あァ、いい」


その瞬間、エマは迷わずその胸に飛び込んだ。


「……っ、好き…」

「知ってる。いい加減、その泣き虫はどうにかならねェのか?」

「うるさい…っ!」


泣いているエマの手を取り、ローは甲板へと向かって再び歩き始めた。


「あー!キャプテンがエマ泣かしてる!」


ベポの一声でゾロゾロと集まって来たクルー達に囲まれるまで、もう少し。