優先順位



船の中で命に優先順位を決めるのなら、当然船長の命が一番だ。

命は平等だなんてよく言われているが、実際の所そう言い切れないのが現実だと思っている。
自分と船長の命、どちらの優先順位が高いのか。
そんなの、考えるまでもなかった。

船長が命を落とすという事は、その一味の崩壊を意味しているのだから――



***



「アッッッ、チャアアア!!!」


静かだった食堂内、叫び声を上げたのはシャチだった。

3時のおやつにとベポがコックにパンケーキを作ってもらい、机に移動しようと歩いていた時だった、突然船体が大きく揺れたのである。
その衝撃でベポはズッコケ、パンケーキは皿の上から大きく身を乗り出した。
危ない、と思った時には、熱々のパンケーキは宙を舞い、その後シャチの顔面に見事に着地した。


「あち、あちッ、あっちぃッ!!!」

「わあああああ!ごめんシャチ!!」

「ちょっと、何事!?」

「ギャー!物が落ちる!!」


船内の様子は、プチパニック状態だった。

本日、ポーラータング号は海中を移動していた。
何事もなく順調に進んでいたはずだったのが、そうもいかないのがこの海である。


「落ち着けお前ら!おい操縦室、何事だ!」


喝を入れたのは船長のローで、すぐさま操縦室へと繋がる電伝虫を手に取った。


『この先で巨大な渦潮が海中にて発生!このまま海の中を進むのは危険です!船長、浮上の許可を!』

「聴こえたかお前ら!すぐに持ち場につけ!!」

「「「アイアイキャプテン!」」」


ローがそう言えば、船内は慌ただしく動き始めた。

海賊や船乗りが命を落とす割合は、敵に襲われる事よりも、この海で起きる超常現象で命を落とす方が圧倒的に多いと言われている。
油断や判断を見誤れば、命を落とす確率はぐっと高くなってしまう。


『浮上します!!』


船が海上に出れば、すぐさま帆を貼り風を受ける。

海中で起こっている渦潮とはいえ、その場から逃げるに越したことはない。
多少波が高く荒れてはいるが、巨大な渦潮を相手にするより何倍もマシだった。


「はぁっ、ほんとにこの海は…!」


渦潮が起きていた場所から無事に離れる事ができ、エマはその場に腰を下ろして愚痴をこぼした。


「ま、言ってもしょうがないよ」

「海王類のくしゃみよりマシだろ〜」

「そのネタいい加減やめてよ!ペンギン!」

「それよりおれは顔面がいてェ」

「冷やしなよシャチ……」


シャチは先ほど顔面に受けたパンケーキによるダメージが、思ったよりも大きかったらいしい。
ベポが用意した氷嚢を顔面に押し付け、くぐもった声で喋るので聴こえづらいとイッカクに指摘されていた。


「せめてサングラスは外しなよ」

「いやだ、おれのアイデンティティ!」

「あ、そ。勝手にして」


エマがやれやれと腰を持ち上げた。
するとその時、またもや船体が大きく揺れた。


「今度はなに…!?」


続けて起こったのは大きな爆発。
それは数回続けて起こり、明らかな襲撃だとエマは確信した。


「敵襲ー!敵襲ーー!!」

「海軍だ!!逃げろォ!!!」

「ッ、海軍!?」


甲板に出るドアを乱暴に開け放てば、たしかにまだ遠くではあるが、大きな船の大きな帆に海軍のマークがでかでかと見えた。
先ほどの爆発は、海軍の船より放たれた砲弾によって起こったものだった。


「キャプテン!」

「チィ、次から次へと…逃げるぞ!無駄な戦闘はしねェ!」


船長の意のままに、海軍から逃げるべくクルー達はすぐさま持ち場に戻った。
しかし、そこで次に襲い掛かってきたのはとんでもない強風である。


「おいおい、なんの冗談だ」


逆風により船は思う様に進んではくれない。
半面、パドルシップへと形態を変えた軍艦はみるみるうちに距離を縮めてきていた。

もう一度海に潜ろうとしたが、時すでに遅し。
遠くに見えていたはずの軍艦は、すでに近くまでやって来てしまった。


「やるしかねェか……」

「戦闘ですかァ、キャプテン!」

「準備できてますよォ!!」

「仕方がねェ…お前ら、向かえ撃て!!」


再度軍艦から放たれた砲弾の爆発を合図に開戦し、海兵達が次々とポーラータング号に乗り込んできた。
エマは素早く短刀を抜くと、容赦なく相手を切り捨てていく。

その戦いを、軍艦から顔を出して見ている人物がいた。
それが今回の軍のトップに間違いなかったのだが、その顔に見覚えのあったエマの顔がサッと青ざめる。
ローも男の存在には気が付いていたようで、じっとそちらを見ていた。


「船長気を付けて!!その男は海軍本部の"中将"よ!!」

「ッ!中将だと!?」


エマが叫ぶと、ローだけでなく他のクルー達も驚いていた。
それもそのはず、中将と言えば海軍では元帥、大将に次いで上から三番目の階級である。


「そんな奴が、なんでこんな所にいやがる!!」


ローの言う通りだ。
ここら辺の海域は治安は悪くない。
大きな揉め事も起きない事から、本来ならば中将が見回りに来るような場所ではないのだ。

運が悪かったと、そう思うほかなかった。


「ある程度敵を減らしたら、とっとと逃げるぞ!!」


中将を相手にするとなると、それなりの覚悟が必要になってくる。
こんな所で仲間を失うわけにもいかない。
ローの逃げるという選択は、正しいと言えた。

その言葉にクルー全員が頷くと、乗り込んできた敵を次々となぎ倒していった。
しかし敵の数は予想よりも遥かに多く、倒しても倒しても次が現れ、キリがなかった。


「あっ、う…!」

「イッカク!」


疲れが出てきた所を狙われ、イッカクが海兵に切り付けられた。
それを皮切りに、手負いの仲間達が増えていく。


「退いて!!」


イッカクにトドメを刺そうとしたのか、大きく刀を振りかざした敵をエマが蹴り飛ばした。


「イッカク、大丈夫!?」

「も、最悪…あいつ、思いっきり切りつけやがって…!」

「あまり深くなさそうだけど、気を付けて…!」

「ん、ありがとう」


このままではジリ貧だ。
実力では勝っていても、数が多いがために体力を奪われ、動きが鈍くなった所を狙われてしまう。

じわじわと、こちらの分が悪くなっていくを全員が感じていた。


(このままじゃ…!)


その時だ、敵の軍艦を覆いつくすほどの、大きなサークルが現れた。


"ROOM"ルーム…!!」


「っ、キャプテン!!」

「船長…!」


「"タクト"」


ローの能力が、軍艦をゆっくりと持ち上げた。

彼が一番、たくさんの敵を相手にしていたはずだ。
その分、体力は人一倍削られている。
更に、オペオペの能力は万能が故に体力の消耗が激しいと、以前ローが口にしていたのを思い出した。

遠目に見えるローのその表情が、それを物語っていた。


「船長!!」


無茶だと、そう思って声を上げても届かない。

ローは軍艦をある程度の高さまで持ち上げると、そのまま指を下に向けた。
船からは小さな人影がパラパラと海へと振っていく。
そして仕上げに、軍艦を海へ向かって真っ逆さまに突き落とした。

海兵達の悲鳴が響き渡る。
大きな水しぶきが上がって、敵船に残っていた敵は今の一撃で一掃する事ができたようだ。
しかしその瞬間、力を使い切ったローは崩れるように膝をついてしまった。


「せんちょ…、っ!?」


ローの元へ駆け寄ろうとしたエマの前に立ち塞がる、大きな壁。
見上げれば、それの目線はエマではなく、ローに向かっていた。


「やるなァ、億越えルーキー」


その男は、正義と書かれたコートを羽織っていた。
甲板に、緊張がビリビリと電撃のように走る。

誰かの唾液を飲み込む音が聴こえるほど、辺りはしん、と静まり返った。


「ッ、キャプテンを守れェッ!!」


いち早く危険を察知し、その緊張感を破ったのはペンギンだった。

その声にハッとしたクルー達は、一斉に武器を取り、地面を蹴った。
ローを守るために、全員が男に立ち向かう。


「船長を守るために捨て身の覚悟か…泣かせるねェ……」

「ッ!?」


最初に感じたのは、風だった。
次に、腹部への重たい一撃、そして吹き飛ばされた事により強打した背中への痛み。

一体、何が起きた?

咳き込んで血反吐を吐きながら、エマは漠然と思う。
視界がチカチカと点滅し、だらんとした手足には力が入らない。
霞む目を凝らし周りを見渡すと、自分と同じように転がるクルー達の姿があった。


「お前ら!!」

「トラファルガー・ローだな。噂通り、厄介な能力を持っているな…クルー達も曲者揃いのようだ」

「テメェ…!!」


ローの身長を優に超える高い位置から、感心するように男は言った。

男は無傷だ、それどころか、誰も近づく事すら許されなかった。
一瞬のうちに、クルー全員が男の手によって戦闘不能にされてしまったのだ。


(レベルが、違いすぎる…こんなの……)


男は大きな手でローの胸倉を掴み、無理やり立たせたかと思うとそのまま身体を宙へと持ち上げた。


「ぐっ…ッ、はな、せ……!!」

「随分バテバテじゃないか。さっきので力を使い果たしたな?なら後は簡単だ」


男はローを宙に浮かせたまま、一歩一歩歩み出す。


「インペルダウンへ連れて行きたいところだが、船は君に沈められてしまったからなぁ……困ってしまったね。なら、」


この場で死んでもらうしかないか――


刹那、エマの身体がカタカタと震え出した。
至って温厚で優しい喋り方なのに、それが返って恐怖心を煽ってくる。

吹き飛ばされた時の傷は徐々に癒え、動けるはずなのに足が竦んで立ち上がる事が出来なかった。


「っ、ゃ、めて……!」


やっとの事で絞り出した声は、なんとも情けないものだった。


「何か、言い残す事はあるかな?」

「…………」


その問いに、ローは何も発する事はなかった。

男はもう片方の腕を振り上げ、そしてその腕はどんどん黒く染まっていく。


「覇気だよ、見たことはあるかな?」

「……さァ、な…」

「そうかい、これは武装色の覇気と言ってね、ぼくはこれが一番得意なんだ。君の身体くらい、簡単に貫く事が出来る」


「ッ!?」


まずい、まずいまずい。
脳内でガンガンと警報が鳴っている。

ローが、殺されてしまう。


「さらばだ、若き海賊よ――」


男の拳がローに向かって振り落とされようとした時、エマの身体の金縛りが解けた。

無我夢中に、エマはローに向かって手を伸ばした。









「…………っ、テェ……」


男に捕まっていたはずのローの身体は、甲板に投げ出されていた。

拳で身体を貫かれると、もうだめだと覚悟した。
しかし、自分の身体は満身創痍ではあるが男の攻撃を受けた様子はない。


「…………おや?」


聴こえてきたのは、男の腑抜けた声だった。
何が起こったのかと、ローは顔を上げた。


「……ッ、お前…!!」

「………ぶ、じ……?せん、ちょ……っ、」


そう言って、彼女は出来るだけ笑顔を浮かべた。

ローの代わりに身体を貫かれていたのは、エマだったのだ。


「エマ!!」

「咄嗟に船長の身体を突き飛ばして自分が身代わりになったか…いやぁ、部下の鑑だね」

「っぁ、うっ、ゲホッ、ゲホッ……!」


拳で貫かれた箇所から流れ出る大量の鮮血は、床を汚していく。


「何やってんだこのバカ!」


ローはすぐに立ち上がり、偶然近くに落ちていた鬼哭を取って、構えた。
しかしエマを助けようにも、体力がギリギリの状態の今のローでは戦況が悪すぎた。
仮に助けられたとしても、エマを庇いながら男と戦うのは危険すぎるし、その隙を突かれるのは目に見えている。
下手に手出しが出来ず、ローはただただ機会を探った。


「まだ生きてるのかい?すごいんだねバーキンズっていうのは」

「う、るさい…ッ!!」

「……無駄な抵抗はやめて欲しいんだけどなぁ」


男がエマの身体から腕を引き抜こうとするが、エマの両手がそうはさせなかった。
持てる力をすべて使い、男をその場に留めさせる。


「う〜ん、その小さい身体で、随分頑丈なんだね」

「そ、れだけが、取り柄なのよ…油断してたら、その首、貰うわよ…ッ!」

「その状態で何が出来るって言うんだ」

「……出来るわ、よ」


エマの腕は男の腕に触れている。
能力の発動条件は、満たしていた。


"共有"シェア"外傷"トラウマ…!」

「ッ!?カッ、ガハッ!!」


途端、男の身体にも大きな風穴が開いた。
血の塊を吐出し、痛みに耐えきれず、エマもろとも床に突っ伏してしまう。


「せん、ちょ……ッ、今よ…!」

「……あァ、よくできたクルーだよ、まったく…!」


ローはふらついた足取りだが、しっかりと鬼哭を構えた。
そして男の首元を目掛け、刀を薙いだ。


ザンッ――


胴体から切り離されたそれは、宙に投げ出され、そのまま重力によってボチャンと音を立てて海の中へと沈んでいった。

この時ローは、オペオペのサークルを発動していなかった。


「油断か慢心か……お前らの負けだ」


「う……うァ……うわあああああッ!!!中将殿!!」

「中将殿がやられたァ!!に、逃げろおおお!!!」


男が倒されてしまった事により、形勢は逆転した。
一瞬の静寂の後、海兵達は発狂し、荒れ狂う海原を必死に泳いで逃げ出した。

ローはそれを追う気にもならず、駆け寄ったのは横たわるエマの元だった。


「おい、生きてるか!?」

「ぅ、ぁっ……い、た…っ、」


肩を揺すられ、エマは痛みに顔を顰める。
そして小さな声で、ゆすらないで、と弱々しく言った。


「しぬほど、っ、いたい……」

「当たり前だバカ!貫通してんだぞ!!……辛うじて急所は外れたか…!」


この状態では止血のしようもなく、エマの回復力に頼るほかなかった。


「とにかく海に潜って身を潜める!その間に死ぬんじゃねェぞ、死ぬ気で治せ!!」


ローはそう言って他のクルーたちを叩き起こし始めた。
仲間達の悲鳴やらなんやらが聴こえてくる中、エマは意識を保つ事が出来ず、目を閉じた。