第三十話

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ゆっくりと身体を撫でられる。
肩から腕、手首、そして指と指が絡まってぎゅっと握り締められた。あたたかで硬くて大きなこの手の持ち主は杏寿郎くんだ。

嫉妬するくらい美しい顔がとても優しい微笑みを浮かべて近づいてくる。微笑んでいるのに目は真剣な眼差しで、私を捉えて離さない。
まるで獲物を狙う獣のようだ。
最近、よくこの目をしている気がするのは気のせいだろうか。


長い彼のまつ毛が、まばたきする度に揺れる。
彼の瞳は朝日の光で輝き、まるでガラス細工のようだ。

「名前」
「杏寿郎くん…」
「愛してる」
「…うん。私も」


目を閉じた杏寿郎くんが近づき、触れるだけの口付けをした。
他人の唇はこんなにも柔らかいのか。こんなに柔らかいなら、いつか溶けて消えてしまいそうだ。

「もっと、してよ…」

私がわがままを言うと、杏寿郎くんは少し驚いて数回まばたきさせた。そして「ふふふ」と笑った。

「それはまた今度にしよう」
「また今度って、いつ?」
「…」

杏寿郎くんは困ったような嬉しそうな顔をして私の頭を撫でた。私の方が年上なのに。なんて思いながらも凄く嬉しかった。

「貴女と俺が夫婦になったら、だな」
「…うん」

頭を撫でられるなんていつぶりだろう。まだ槇寿郎さんが元気だった時、してもらったのが最後か。
今なら猫の気持ちも分かる。なんだかとろんとしてくる。瞼の重みに逆らえず、そのまままた意識を手放した。



「……夢?」

もう一度目を開けると杏寿郎くんの姿はなく、私はただ広い畳の部屋に寝かされていた。見覚えがあるからどこかの藤の花の家に間違いない。

ああ、私はなんて夢を見ていたんだろう。
そんなに杏寿郎くんと夫婦になりたいと思っているのだろうか、私は。…思っているけれど。
あまりの恥ずかしさに「うわーーん…」と声を上げて顔を両手で覆った。


「名前さん!起きたのか!」
「わ!杏寿郎くん!」

突然部屋の中庭に続く障子戸が開き、鍛錬していたであろう杏寿郎くんが顔を出した。ほんのり汗で額と髪が濡れている。
部屋の隅にあった手ぬぐいを広げて丁寧に身体を拭く姿を見て、昨日の夜の出来事を思い出し、赤面した。

「おはよう!気分はどうだ?」
「おはよう。とっても元気だよ!なんだかお腹もすいてるし…」
「なら良かった!先ほど屋敷の主人が朝餉の支度が出来たと言っていた。これから運んでくるだろう」
「そっか。よかった」
「先程何か言っていなかったか?」
「ええっ!!!あ、気のせいじゃない!?」
「?そうか?」

先程の独り言がどうやら彼の耳に届いていたようで、また顔を両手で覆い隠した。



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