第二十一話

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「…まだ持っていてくれたんですね」

杏寿郎くんは驚いた表情から、またゆっくりと元の微笑みに戻った。とても穏やかな横顔に胸が締め付けられるようだった。

「もちろんです。これは、私の宝物です」
「ははっ」
「本当ですよ?肌身離さず毎日持っていて…。こうしてたまに使ってあげないと、もったいない気もして。でも使いすぎて駄目になってしまうのは絶対嫌だし…」
「…本当に、大切にしてくれているんですね」
「そ、それは…杏寿郎くんから贈っていただいた物だもの。大切に、したい」

一瞬、彼の瞳が獲物を狩る獣のように鋭く光った気がした。それでも穏やかな微笑みを更に深くする。

「…そんな事を貴女に言われると困るな」
「えっ?!ど、どうしてですか?」

杏寿郎くんがおもむろに立ち上がった。
驚きすぎて動けない私とは違い、彼はゆっくりと自分の意思で動いた。
いきなり顔が近くなる。
息が止まりそうだった。

彼の大きな手が私の頬を包んだ。
あたたかく、涙が出そうなほど優しいぬくもり。
彼の瞳には何が映るんだろう。

もう片方の腕はベッドの縁に置かれ、彼の重みでぎしりと音が鳴った。
その音に体が反応する。呼吸をするのを忘れていた事に気がつき、短く息を吸った。


「櫛が古くなったら、また貴女に贈ろう」
「……杏寿郎くん、」
「俺は名前さんの絹のような、この美しい髪が好きです。その髪を梳くのに使ってもらえるなら、本望だ」
「…は、はい」

頬にあった彼の指先が耳元の髪をゆっくりとすいた。
さらりと彼の指からこぼれ落ちた髪。
首筋の辺りがぞくぞくして、思わず顔を伏せた。

「でも、私、この櫛がとても大切だから。やっぱり大切に使うね」
「……ありがとう、名前さん」


杏寿郎くんはするりと身を翻し、一瞬で私と距離をとったかと思うと、あっという間に部屋の出入り口の方へ向かってしまった。
一瞬のことに先ほどのは夢だったのかと不安になる。
そんな私を他所に、彼は扉に手をかけてこちらへ振り返った。

「早く怪我を治してください。お大事に」
「あ、ありがとう」

いつものにっこりとした笑顔で彼は颯爽と出て行ってしまった。


まだドキドキしている。
私はただ彼の出て行った扉の方を呆然と見つめることが精一杯で、頭の中で先程のやり取りについて考えることも出来なかった。

さっきのは何?
どうしてあんなことしたの??
どういうこと?杏寿郎くんは何であんなことをしたの?

ただただ疑問が頭に浮かぶ。そして思い出すたびにかっと胸の辺りが熱くなる。
思わず胸元を押さえて倒れ込む。
天井を見上げて、そして瞼を閉じた。
今は何も考えずに安静にしておいた方がいい。
今にも傷口が開いて血が溢れ出しそうなほど、体は沸騰したように熱くなっていた。


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