はじめての約束

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彼女は、まだ父の槇寿郎がギリギリ正気を保って鬼殺隊の仕事を全うしている頃に現れた。

「炎柱の煉獄槇寿郎さんはいらっしゃいますか?」と、門の前で千寿郎と掃き掃除をしていた時にやって来たのが始まりだった。
苗字名前は俺の5つほど年上で、当時既に柱として活躍している方だ。
担当地区が父と隣り合っているため、よく用事があるとやって来たのだ。

仕事に酒を持ち込み出す頃には名前は更によく顔を出して、父のことを気にかけてくれていた。
彼女はもしかしたら父に恋をしていたのかもしれない。


「杏寿郎さんはいつもしっかり稽古していて偉いですね。千寿郎さんの面倒もしっかり見ていて」
「ありがとうございます!」
「無理していないですか?」
「はい、俺は大丈夫です!」
「ほんとに?」

本当はとても寂しく、つらかった。
どんどん気力を失い始めた父を見て、現実を受け止めることを拒みたくもなった。
だが俺がどうにか頑張っていられるのは亡き母に告げられた言葉と、支え合わなければならない千寿郎がいるからだ。

それに密かに想いを寄せる名前が、こうして様子を見に来てくれる時に心配をさせなくない。
彼女は炎の呼吸を使うわけではないが、たまに時間があると稽古をつけてくれる。
その時間がその頃の俺にとっては至福の時だった。


「名前さん、また口元に米粒がついてる」
「え?やだ、恥ずかしい」
「こんなに毎回だと、もう恥ずかしくないのではないですか?」
「杏寿郎さんの前で間抜けな姿を見られることに、慣れることはありませんっ」

よく稽古終わりに2人で千寿郎の握ったおにぎりを食べた。
顔を真っ赤にして照れる彼女はとても可愛らしかった。
鬼殺隊の柱であっても、どこにでもいる女性のような雰囲気を持っている名前がどうしようもなく愛おしい。
俺が早く立派な柱になって、守ってやりたい。
そう思った。


「私、この次の任務で柱を引退するんです」
「、は?」

見たことがない寂しそうな名前の顔から、それが嘘ではないことが分かる。
縁側に並んで座って、いつものようにおにぎりを食べている時だった。
心なしかいつもより肌寒い。

「結婚、するんです」
「結婚……?」
「家庭の事情で、です。こんなに女に生まれた事を悔やんだことはありません」

ぽろぽろと涙を流す彼女を、思わず抱き締めた。
名前は驚き、俺の腕の中で固まる。

「…す、すまない。つい」
「ふふふふっ、あは、さすが杏寿郎さんですね」
「笑わないでくれ…」
「私、貴方が好きだったんです」
「…、」
「こんな年上の女に好かれても、困りますよね。気持ち悪いこと言って、ごめんなさい」
「気持ち悪いなど思わない!むしろ…」
「むしろ…?」

ドクドクと心臓の鼓動が馬鹿みたいに早くなる。
俺の腕に抱かれて顔を見上げて不安そうにしている名前を見ると今すぐ噛みつきたい衝動に駆られる。

「先に告げられるとは、男として不甲斐ない!名前!俺はずっと昔から貴女が好きで堪らない!」
「……杏寿郎、さん」
「俺はどうしたらいい!君を他の男にとられるなど我慢ならない。だが君の相手はもちろん人間だろう!人間を殺す事はできない!」
「ちょ、杏寿郎さん、あははは」
「笑い事ではないだろう!」

名前は俺の背中へ腕を回し、ぎゅうっと抱き締め返してきた。
下半身に熱が集中する。
気づかれないように腰を少し名前から離した。


「じゃあ杏寿郎さん。駆け落ち、してくれませんか?」
「駆け落ちか!良い考えだな!」
「相手の御家は出雲の方なんです。遠いんです。お願い、迎えに来てくれませんか?」
「ああ、どこへだって迎えに行こう!」
「待ってます、ずっと」



約束をした。
しかし、名前は最後の任務で亡くなった。
彼女は上弦の鬼に呆気なく殺されて、もちろん結婚は無しになってしまった。
それと同時に俺と彼女の約束も果たせなくなってしまったのだ。
俺は彼女を、迎えに行かなければならないのに。





「煉獄さん!煉獄さん!」

目の前で涙を流す彼の名前は何だったか。
溝口、いや竈門少年。
そんなに泣かないでくれ。

名前、俺も上弦の鬼に負けてしまった。
竈門少年は俺の勝ちだと言ってくれた。
最後に彼らのような未来ある少年たちと出会えて良かったと思う。

名前、やっと君との約束を果たせる。
君を迎えに行ける。


「杏寿郎さん」

竈門少年の声が聞こえなくなって、代わりになつかしい名前の声が遠くから聞こえる。
今、行く。
遅くなってすまない。



「杏寿郎さん、迎えに来るには早すぎです」
「やっと君に会えて俺は嬉しいよ」
「…これからは、2人でゆっくりできますね」
「ああ。あの少年たちを見守ろう」
「そうですね」
「名前」
「はい」
「愛している」
「…杏寿郎さん、私も貴方を愛してます」








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