9話「矛盾する気持ち」
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やっと来たか、今更何のようだ。
と思う気持ちと、
やっと来てくれたのか、俺とおまえは知り合いだろう。宇髄なんかよりも親しい仲だろう。
と思う2つの矛盾した気持ちでいつも以上に冨岡は口下手になってしまう。
冨岡が発言する前に宇髄が2人を交互に見やる。
「冨岡さんて、おまえこの宿初めてじゃねえのかよ」
「……初めて世話になる」
「じゃあなんだ?おまえの女か」
「またその話か。違う」
名前は申し訳なさそうに、笑顔から困り顔になってしまった。
「…すみません、冨岡さん。馴れ馴れしくしてしまって」
「構わない。こいつには言わせておけば良い」
「おい冨岡」
「おかわりはいらない。十分だ」
「あ、はい。分かりました」
「もう別の客のところへ行け」
「……はい」
本当は「気にしなくて良い、自分は大丈夫だから俺に構わずいつも通り仕事に励んでくれ」と言いたかった。
しかし言わないし言えないのが冨岡である。
案の定名前は悲しそうに目を伏せて2人の席から離れ、一般客の方へ向かってしまった。
悲しませてしまっただろうか、と少しだけ後悔する。
目の前ですでに食事を終えている宇髄はそんな冨岡を死んだような目で見つめた。
「おまえなあ…。まあおまえが女心が分かる奴とは思っていなかったがよ、あれはねえだろ。知り合いなんだろ?どこで会ったかは知らねえけど」
「…隣人だ」
「……ああ、今朝のどら焼きの。へえ、案外仲良くやってんだな」
「おまえには関係ないだろう。面白がるな」
「…はあ」
この男には何を言っても無駄だ。
そう感じた宇髄は冨岡を残してさっさと部屋へ引き上げてしまった。
「ごちそーさん」
という宇髄の声かけに女中たちが返している。
その中で名前の「ありがとうございました」という明るい声が聞こえた。
きっと彼女はまた宇髄に笑顔を見せたのだろう。
声でわかる。
冨岡は久しぶりに苛立ちを覚えた。
やはり自分は人と付き合うのが苦手なのだ。
特におしゃべりな奴とは気が合わないのかもしれない。
食後のあたたかいお茶をすすりながら冨岡はまたぼんやりと物思いにふけった。
自分も早く部屋に戻ろう。
そう思うのになかなか席から立てずにいた。