約束の傷跡
ねえ研磨覚えてる?
研磨は一度、親に怒られて号泣したことがあったよね。
それはわたしたちが保育園の年長だった時のことで。
小学1年生のクロちゃんの夏休み工作が面白そうで、研磨の家でわたしたちも真似して工作の真似事をして遊んでいたんだよね。
その時ふとした事で研磨とクロちゃんが喧嘩になって、カッターを取り合い始めちゃって。
わたしが仲裁に入ろうとしたとき、タイミング悪く研磨が腕を引いて…。
それからわたしの鼻の付け根辺りから頬にかけて、真一文字に切れてしまったね。
かなり血が出て、一瞬何が起こったのか分からなかったなぁ。
その時わたしは痛い痛いって泣き叫んで、クロちゃんが慌てて研磨のお母さんを呼びに行って…研磨は呆然としていたらしいよね。
それで研磨のお母さんが来た時。
『なんてことしたの!女の子の顔に傷つけて…お嫁にいけなくなったらどうするの!!』
なんて。
開口一番ではなかったけど、研磨のお母さんがなにか沢山言った中で、それだけが耳に残ってるの。
それは子どもに対する躾のつもりで言っただけの言葉だったかもしれないけどね。
でも研磨はこの言葉を聞いて、糸が切れたように泣き出しちゃったんだよね。
激しく嗚咽して、思い切り声を上げて。
それって、前にわたしがぼやいたあの言葉のせいだったんでしょ?
『おおきくなったらすてきなおよめさんになりたいんだぁ。』
だから研磨は、わたしの夢を奪っちゃったと思って、それで号泣しちゃったんだよね。
そのあと2人がお母さんと一緒に謝りに来てくれたね。
研磨のお母さんがやつれた顔でぺこぺこ頭を下げてて、クロちゃんのお母さんが慰謝料だとか治療費だとかの説明を丁寧にしていたときだったね。
笑っちゃうくらい神妙な顔でじっと立ってたクロちゃんの横から、研磨が泣き腫らした目でゆっくりとわたしに近づいて。
それで、ガーゼで覆われたわたしのほっぺに手を添えて言ってくれたね。
『日和。ちゃんと、おれがお嫁さんにしてあげるから。』
その時は状況も忘れて、みんな呆気に取られちゃってたよね。
わたしもあの時は意味がよくわからなかったんだけど、研磨がわたしのこと思って言ってくれた言葉なんだなってことは、なんとなく理解出来てたよ。
それからちょっとして、研磨、お母さんに慌てて頭を下げさせられてたよね。
実はわたし、あの傷が出来てからずっと鏡の前で落ち込んでたの。
お医者さんにあの傷ずっと残るって言われてて、ずっとあの傷を晒しながら生きてかなきゃいけないんだって分かって、小さいながらに落ち込んでたみたい。
憧れたアニメの女の子も綺麗な顔をしてたのに、わたしには傷があるんだって思ったらぽろぽろ、ぽろぽろ涙が溢れて。
でもね、研磨のあの言葉でわたし、この傷が好きになったんだよ。
2人とお母さん達が帰った後に、そのことをお母さんに言ったの。
そしたら、よかったって笑って抱きしめてくれたんだ。
だから研磨のお母さんはお嫁さんにいけないかもって言ってたけど、わたし全然悲しくなんかなかったんだよ。
それからの毎日だって、傷があってもすごく楽しかったの。
傷のことでからかってくる人もいたけど、クロちゃんが追い払ってくれたし、研磨も助けてくれたもんね。
「…おれは、何もできなかったよ。」
「そんなことない。だってわたし、研磨が横にいてくれるだけで怖いものなんてなかったもん。」
学年も違うし、クロちゃんはいつでもすぐに駆けつけてくれたわけじゃなかった。
それでも研磨は毎日わたしと一緒に登下校しようとしてくれてたし、休み時間もずっとわたしと一緒にいてくれて、本当に心強かったの。
小学校も中学校も毎日楽しかったよ。
でもね、いつまでも2人に依存できないって思って高校は女子校に行ってみたけどね、ここでは研磨がいないんだって思ったら、自分から進んで人と関われるようになったよ。
幸い酷い人がいなかったから、わたしは皆に受け入れられて友達もできたの。
研磨のおかげで、わたしは変わることができたと思う。
研磨も高校でバレー頑張ってたよね。
公式戦は必ず見に行ったし、練習試合も時間合わせて見に行ったなぁ。
いろんな人と関わってる研磨を見て、新鮮な気分になったよ。
バレーもすごく上手くなってたよね。全国大会にも出たし、すごかったね。
わたしたち、少しくらい成長できたよね。
大学は一緒がいいなって話し合って決めたよね。
3年間会えない日が多かったから、毎日幸せで楽しかったなぁ。
大学にはいろんな人がいたよね。久しぶりに傷のことを言われてドキドキしたけど、直接攻撃してくる人はいなかったからよかったよね。
でも、そんな時もいつも研磨は近くにいてくれたね。
あれは小中学校の時と、何も変わってなくて嬉しかったよ。
あ、そうそう。
憧れの保母さんになれて、子ども達にこの傷のこと聞かれるの。
ここ痛くない?って。
だから、いつも『大好きな人が慰めてくれるから、全然痛くないんだよ』って教えてあげてるの。
ねぇ研磨。
わたし、研磨にこの傷をつけてもらえてよかったって思ってるの。
だって毎朝起きて鏡を見るたびに研磨を思い出せるんだよ。
でもね。
大学1年でちゃんと付き合い始めて、3年で同棲を始めて、卒業して就職して1年経ったね。
毎朝研磨と顔を合わせて、一日過ごして、一緒に布団に入って。
あの時の偶然の事故がなければ、こんな幸せな生活もなかったのかなって思うの。
そう考えると、もしかしたらこの傷が研磨のことを縛っちゃっているのかなって、最近になって不安に思えてきたの。
わたしがあの時無理やり仲裁に入らなければ、この傷は出来なくて。
あの事故がなければ、研磨は別の人を好きになって、わたしも別の人とお付き合いして、お互い別々の人生を送っていたのかなって。
「じゃあ、言わせてもらうけど。」
「…?」
「おれは、傷なんてなくても日和のことが好きだった。昔から、日和以外の人なんて考えられなかった。他の人を特別に思えたこともなかった。今も変わらない。日和以外なんて考えられない。…日和に一生物の傷をつけたっていう罪が無意識におれにそうさせてるんだとしても。…それでも、おれは日和が好き。日和しか愛せない。おれには、日和しかいない。」
研磨は机の上に広げたアルバムを避けて手を付き、ゆっくり立ち上がる。
鞄をまさぐったその手に持っていたのは、小さな箱。
わたしの横に来て膝をつき、その箱を開けて見せる。
「あの時の言葉も、適当に考えて、無責任に言ったつもりはなかったよ。でも改めて、ちゃんと言わせて。…日和、おれのお嫁さんになって。」
わたしの心配なんて、杞憂なものだったんだね。
傷のおかげで繋がったのだとしても、やっぱりわたしたちはわたしたち。
この先どんなことがあっても、きっとわたしたちにはお互いしかいない。
「はい、もちろん!」
やっと夢が叶うんだね。
研磨が叶えてくれた、幼い時のわたしの夢。
約束を守ってくれてありがとう。
fin.
公開:2017/11/22
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