月と心  2/2

ふと、聞こえていたはずの足音がしなくなって立ち止まる。
振り返れば一緒に買い物に行くと言ったはずのエースは立ち止まって何やら難しい顔をしている。

わたしとエースの距離は2mくらい。たったそれだけ2、3歩歩けばすぐに近づける距離なのに、すごく遠くに感じた。
わたし達の間にとても分厚い壁があるような。

きっとそれはエースの彼女のことだったり。今日見てしまったエースの表情だったり。
ズキンと胸が痛む。

お互いにこの空気はどうにかしたいと思っていたはず、だけど、こじれすぎているこの状況で何の話から切り出せばよいのかわたしはすぐに浮かばなかった。


「名前…」


わたし達の間に流れて居た沈黙は、エースによって思っていたよりも早く破られる。
こちらを見つめるエースの表情には見覚えがあった。


「名前に謝らなきゃならねえことがある」
「え?」


真っ直ぐにエースと目が合う。
ズキンと胸が鳴る。目を離したくてもエースの力強い目から視線を離せない。


「おれは、ミネと…」
「…うん」


自分で絶望じみた表情になっていくのがわかった。
彼女と付き合っていることを報告されてしまう。
エースと話したいことはたくさんあるはずなのに、この話からなんだ。
聞きたくない。そんな思いからか無意識に俯いて目を閉じた。


「付き合ってない」


一瞬頭での理解が追いつかなくて「へ?」と呆けた声が出てしまう。
顔を上げれば優しく微笑むエースがいて、わたしは「今なんて」なんて言葉が口をついて出てしまった。


「だから、おれはミネと付き合ってない」
「本当に?」


なんとも頼りないわたしの言葉に、エースは優しく、わたしが理解できるように説明してくれた。


「あいつ嘘ついてたみたいなんだ。何か言われたんだろ。それも今日聞いた。今まで気づいてやれなくてごめん」
「なんだ…」


嘘。

エースが言ってくれた言葉に心の中にぽっかりと空いていた穴が塞がっていくような感覚。
嘘をつかれていたことには怒りも悲しみも、どの感情も出てこなかった。
あの子とエースが恋人ではないという事実が心を満たしていくような感じがした。


「そっか…。よかった」


ふっと緊張していた頬が緩む。
そんなわたしの表情を見てか、エースはまた力強い視線を送ってくる。


「一つだけ確認していいか?」
「ん?」
「……あの、この間の男と付き合ってるのか?」


ぐっと息をのんでからエースは口を開いた。

この間の男とはおそらくトラファルガーさんのことだろう。
あの場ではお互い感情的になっていて、エースに決めつけられたままになっていた。
その誤解を解けることに安心して、わたしは緩く首を振る。


「前にも言ったけど、付き合ってない。あの人とは何もないよ」
「…そっか」


それ以上問い詰めてこないあたり、エースはわたしの言葉に納得してくれたようだった。


「名前」


名を呼ばれ顔を上げると、エースが距離を詰めていてグッと両肩を掴まれた。
エースの瞳は間違いなくわたしを捕えていて、その表情は何かを決心したような。
そんなエースからわたしは目を逸らさずただ見つめることしかできない。

エースは一度グッと息を飲み込むと、わたしを見つめて一息に言った。


「おれは名前が好きだ。幼なじみとしてとかじゃなくて!ずっとずっと好きだった」


驚きで目を見開く。

だけど、エースの言葉は真っ直ぐで、ストンとわたしの中に届いた。
あの子のことはもう気にしなくていい。誤解は解けた。

それに思い出した。
今のエースはまさしく男の子のカオだ。


「好きなんだ…!だから頼むから…、おれから離れんな」


最後は少し縋るように言うと、ギュッと勢いのままに抱きしめられた。
肩口あたりにエースの顔があって、ふいに息がかかる。
わたしの手は自然とエースの背に回っていた。


「エース…、わたし」


わたしの肩口に顔を埋めて動かないエースにそっと呼びかける。
エースは本当の気持ちをぶつけてくれた。わたしも自分の気持ち、ちゃんと伝えないと。


「エースとあの子が付き合ってるって言われてすごくショックだった」
「それは本当にごめん」
「ううん、そうじゃなくて。自分が邪魔者だって思ったら辛くてエースとどう会えばいいのかわからなくて、あの子といる方が幸せならって、お弁当作りも止めて避けてた。本当にごめんね」


「名前…」


わたしの話を聞いていたエースがゆっくり顔を上げて、距離はそのままにお互いに向き合う。エースは少し期待に満ちた目でわたしを見つめていた。

夜でよかった。顔の赤さがバレずに伝えられそう…。


「わたしもエースが好きなの」


エースの表情から緊張の糸がほどけてゆく。
瞬間、とろけるくらいに甘い笑顔でエースはまたわたしを抱きしめた。


「っなんだよ…!」


首元にかかる息がくすぐったい。
でもエースはわたしの存在を確かめるように抱きしめる力を弱めることはなかった。


「ごめんね…」
「いや、おれの方こそ、辛い思いさせてごめんな」
「そんなこと」
「もう二度と名前のこと離さねえから」


そんな風に言うエースが少しおかしくて笑ってしまうけど、今の出来事が信じられなくて今更になって涙が溢れてきた。

そんなわたしの涙をエースは慣れた手つきで拭う。


「わたし今すごく幸せかもしれない」
「ばか、おれの方がだよ」


スルスルとわたし達の中の絡まっていた糸が解けていくような感じがした。
目線が合ってお互いに笑い合う。
わたし達は今までにないくらい満たされていた。

空にある真ん丸な月だけがエースとわたしを見守ってく入れている、。
ここはまるで2人だけの空間のような……

だけど、そんな訳はなく…。


「あれエースと名前じゃない?」
「あら、ほんとだ」


少し離れたところから声が掛けられて八ッと2人してその声の方へ目をやる。一瞬にして現実に引き戻された気分だ。声の主たちは道路を挟んで向かい側の歩道に立っていたナミちゃんとノジコだった。


「ノ、ノジコ!」


慌ててエースと距離をとる。エースが少し不満そうな表情をしたのが分かった。
ふと、ノジコと目が合い、意味ありげな視線を送られた。

あれは、きっとまた後でいろいろ聞かれそうだ…。


「なによ名前〜!やっぱりエースと付き合ってるんじゃない」
「もーナミ、邪魔しちゃ悪いわ」


ナミちゃんの言葉に、確かに前に聞かれたことがあったな。と思い出すも、ナミちゃんを抑えるようにノジコが割って入った。


「ごめんねぇ!さ!続き続き!!」


二人は生暖かい目で手を振って去って行った。
去り際に「いいものが見れた」と嬉しそうに言ったノジコの言葉が微かに聞こえ明日の学校がとても憂鬱になった。

続き。などと言われても、わたしとエースの間には何ともいたたまれない空気が流れる。


「とりあえず…、買い物だけして帰るか」
「うん、そうだね…」


さっきとは違い2人並んで歩き出す。自然と絡められた手に驚いてとなりを見上げれば、エースが少し照れくさそうに笑ったのが分かった。











「「ただいま…」」


買い物を済ませ自宅へ帰ると、見慣れた靴が玄関に一つ増えているのに気が付いた。
リビングへ進むにつれてだんだんと美味しそうな匂いまでしてくる。


「お!やっと帰って来たな〜」
「2人ともおかえりなさい!」


新しくなったテーブルの上で夕飯の準備を進めていたのは父とルージュさん。
わたしとエースが呆然としていると、父が楽しそうに言う。


「どうせなら一緒にどうかっておれが呼んだんだ」
「えぇ、みんなで食べるのは久しぶりねぇ」
「テーブルも広くなったとこだしな!さ!鍋しようぜ!」


楽しそうな大人2人に急かされてわたし達はそれぞれ準備に引っ張られる。
その時エースと目が合い、どちらともなく笑い合った。


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