彼の父  1/1

地元の駅で電車を降りて、自宅へ向けて歩いた。
ふと、いつも寄るスーパーの前で立ち止まる。


「今は…、必要なものなかったよね」


頭の中で家の冷蔵庫の中身を思い浮かべるけど今日の夕飯とお弁当のおかずは残っている。最近買い物の頻度が減った気がする。
あ、エースのがないからか。そこまで考えて切なくなって笑ってしまう。

あぁ。また何もできずに今日が終わってしまった。
エースがあの子に向けていた視線を思い出す。
捉えて離さないと強い意志を感じる男の子の目。正直、見たくなかったな…。


「あら、名前ちゃん?」


考え込んでしまっていたが、名前を呼ばれたことで我に返る。

声がした方を見ると、スーパーの出口から出てきたのか、ルージュさんが嬉しそうにこちらへやって来た。ルージュさんが持っているビニール袋がカサッと鳴った。


「今帰り?」
「うん、ルージュさんは…」
「じゃあカフェに行かない!?駅前に出来たところ行ってみたくて!」


飛びつく勢いでこちらへ来てくれたルージュさんに誘われ、わたし達は駅前に出来たというカフェに寄ることになった。


「このお店、パンもおいしいって聞いてぜひ調査しておかないとと思ってたのよ」


ルージュさんに連れられてきたお店は確かに見覚えがなく最近できたものだとわかる。
モダンな作りで植物が装飾されて隠れ家的になっているため人通りの中でも落ち着いた雰囲気のお店だった。

わたしとルージュさんはパンとそれぞれ飲み物を選んで席につく。


最近のエースとの関係を知られているのか分からないため、なんとなく気まずくて、天気がいいとか、最近は野菜が高いとか当たり障りのない話ばかりしているわたしに、ルージュさんは全てを知っているように笑って話を聞いてくれた。

一瞬沈黙が訪れた時、今までわたしの話を聞いているだけだったルージュさんが口を開いた。


「そう言えば、名前ちゃんにエースのお父さんの話ってしたことないわよね」


ルージュさんの手からテーブルに置かれたカップはコトッと音が鳴った。
同時に唐突に投げかけられた話題に驚いてルージュさんを見つめる。そして頷いた。


「うん、聞いたことない」


もちろんわたしの返答はわかっていたのだろう。ルージュさんは全てを悟ったように一度視線を下げてまた目を合わせた。


「エースは話さないでしょ?あの子が小さい頃は仕事でほとんど会えなかったから。あまり覚えてないと思うんだけどね」
「…うん」

  
エースのお父さんはエースが幼い頃に亡くなったって聞いている。わたしも母を亡くしていたし、片親同士そういう話をすることはなかった。

エースのお父さんに興味がないわけがない。
だけど、どうして今こんな話を…。


「なんでこんな話するんだろうって思ってる?」
「え、まぁうん」
「気にしないで、ただわたしも自分の思いで話を誰かに聞いてもらいたいだけよ」


ルージュさんはいたずらっ子のように舌先を出して笑った。


「エースの父親はね、すっごく頑固でわがままで誰よりも子どもらしくて。
いつも周りを巻き込んで騒ぐのが好きな人だったの。そんな彼に惹かれてたくさんの人が集まってたわ。だから彼の回りはいつも笑顔が絶えなかった」


なんとなく、エースと似ていたんだとわかる。


「ルージュさんが好きになったんですか?」
「ふふ、一応、あの人が先にわたしを気に入ってくれたのよ」


ルージュさんは、思い出すだけでおかしいんだけど…。と笑い交じりに続きを話してくれた。


「彼ね、わたしの家の前に来て、結婚してくれないと一生ここで座ってる。ここで死んでやるって何日も座ってたのよ。怖いでしょ? そんなプロポーズある!?って言ったんだけど、おれはお前がいないと生きていけない自信がある!って自信満々に言うものだからね、もうおかしくて」


この話をするルージュさんはとても穏やかな表情をしていた。そのルージュさんからわたしは目を離せない。


「とても真っすぐな人なんだぁって思って。この先こんなにもわたしを必要としてくれる人ってもういないだろうって思ったの。それで結婚したのよ」
「えっ、ってことは交際…」
「そう、ほぼ0日ね」


わたしも若かったわ。とクスクス笑うルージュさんに唖然となる。
意外かもしれない。なんとなくルージュさんのイメージではなかった。エースの母親だと言われれば、納得できる部分もあるけれど…。

昔を思い出すようにルージュさんはふとわたしを見てニコリと微笑む。
こんなにもエースの父親の話を聞いていたけれど少し罪悪感のようなものが心の中で広がって来た。今のわたしは、お父さんの話どころかエースと普通に会話すらできる状況ではないのだから。わたしの反応すら見透かしていたようにルージュさんは口を開いた。


「エースとケンカでもした?」
「え?」
「分かるわよ、エースの元気がない時はだいたい名前ちゃんのことだもの」
「そうなの?」
「えぇ」


やっぱりバレていた。
なんとなく気恥ずかしくて視線を下げる。


「喧嘩ってわけじゃないと思うんだけど……」
「ふふ、そう…。あの子ね、父親にそっくりなのよ」


頑固でわがままで子どものように単純。

ルージュさんの言葉に無言で頷く。全てよく知ってることだった。


「それでいて、とっても真っすぐで…。あとわたしに似て一途な子よ」


ルージュさんの優しい目とぶつかった。瞬間、その綺麗な目は細められる。
わたしも思考が止まったようにその瞳から視線を外せなかった。


「あの子は昔から名前ちゃんが大切で大切で仕方ないの」


本当に大切な人に対して慎重になりがちなのもわたしに似たのかしらね。

でもあの子にとって名前ちゃんはいてくれないと生きていけないくらい大切なのよ。だから、早く仲直りしてあげてね。


小さくウインクが飛ばされた。


ルージュさんとわたしはパンを堪能した後、帰路につきマンションまであっという間に時間が過ぎた。家の扉の前でルージュさnが立ち止まる。


「今日はお父さん帰ってるの?」
「うん、たぶんもう帰ってると思う」
「そう、じゃ夕飯はお父さんとね。またうちにもいらっしゃいね」
「うん!また、お邪魔します」


「あ、ルージュさん」


それぞれの家のドアを開ける時に呼び止めると、不思議そうに動きを止めたルージュさんと目が合う。


「ありがとうございました。いろいろ聞かせてくれて」


わたしが小さく頭を下げるとルージュさんは優しく微笑む。


「エースをよろしくね」


ルージュさんの笑顔がエースと重なった。


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