あの頃のわたしは、まだまだこの船のみんなに怯えていてマルコと離れるのがとても怖かった。



「おれは少し用があるんだ、暫くミラノといてくれよい」



でも、こう言われてしまえばコクコクと頷いて少し笑って見せる。すると、ポンポンと頭を数回叩かれ、じゃあ頼んだよいとミラノさんに言ってからマルコは部屋を出て行ってしまった。


パタンと閉まった扉をじっと見ていたら、暫く会えないのかと心細い気持ちがふつふつと湧き上がってくる。そんな思いを振り払うように数回首を振った。


あの時のわたしは、この船に置いてもらえると決まった時から自分の中で決めたことがあったのだ。


迷惑は掛けない。笑顔でいる。泣かない。


もし、この船の人たちにも捨てられたりなんかしたら今度は確実に死ぬ。もしかしたらまた何処かの海賊船でこき使われるかもしれない。もうあんな思いをするのは嫌だった。
この船も海賊船だけど、マルコは違う。おれが守るって言ってくれた。親にも見捨てられたような人間を。だから他の人たちは怖いけれどマルコは信用できる、この人の傍にいたいと、そう思ってた。

だからマルコに捨てられないために他の人たちにも嫌われたくなかった。いい子でいなきゃダメだと思っていた。



「名前ちゃん?やっぱり寂しい?」



その時のミラノさんは今より少し若くて、それでも綺麗なのは変わらない。
その綺麗な眉を少し下げて扉を見つめているわたしの顔を覗き込んでいた。
その時はそんなこと考えなかったんだけど心配してくれている顔だったと思う。



本当は、怖いとかマルコといたいとか、そんな思いは口から溢れそうになるほどあったけど言えなかった。いい子でいないといけないという想いの方が強かった。

ふるふると首を振ったわたしに目の前にあるミラノさんの綺麗な眉が少し困ったように下げられた。
あぁ、困った子だと思われてる。その時はそんな風に思った。



「変なこと聞いてごめんね。寂しいに決まってるわよね。マルコ隊長がいないと不安かもしれないけれど、あたしといる時はあたしが守ってあげるからね。」



そう言って優しい笑顔を見せてくれたミラノさん。その時は自分がどんな顔をしているのか分からなかったけれど、ミラノさんが笑って頬を拭ってくれたからきっと涙が溢れていたんだと思う。



「ここの人たちね、顔は怖いけれどみんな良い人だからね」
「……っはい」



目を涙で溢れさせながら頷いて見せればニッコリ笑って頭を撫でてくれた。




暫くして、バタン!とナース室の扉が開いた。



「名前っちゃ〜ん!!サッチお兄ちゃん特製のケーキ持ってきたよ〜」



そこにはマルコとオヤジさんの部屋に行く時に会った人、サッチがいた。

サッチはミラノさん達にノックくらいして下さい!と怒られてシュンと落ち込んでしまいあたしはその様子を見てクスクス笑っていた。



「やっと笑ったわね」


えっ


ミラノさんにそう言われて気付いた。そういえば自分はここへ来てマルコの前以外で笑ったことがなかったと。



「え、名前の笑顔だと!?おれも見たいっ!!」



にゅっ!と顔の前に現れたサッチに、ひっ!と声が出てしまった。サッチ隊長!と怒るミラノさんにまたシュンと落ち込んでいたサッチ、今思い返すとサッチってずっと変わらないなぁ。



「まぁまぁ、おれのケーキ食ったらよ、また笑顔になるからさっ」



そう言って食え食え!とわたしをテーブルに案内してくれて素敵な(本人的に)笑顔を見せてくれた。
その当時のわたしにとってはその笑顔は恐怖でしかなくて、カタカタと少し震えながらフォークでケーキを突ついたことを覚えている。


緊張しながら口に入れたケーキは物凄く美味しくて、緊張なんて忘れて、おいしい…。という言葉が自然と口から溢れていた。
わたしの驚いている表情にサッチは嬉しそうに、だろ?と笑って見せた。その時のケーキの美味しさは今でも覚えている、当時は本当にこの怖い人が作ったのかと疑ったものだった。



「あ、ありがとうございました…。えっと…サッチ隊長…」



この人の名前がサッチだということはマルコやミラノさんたちの会話から分かっていたんだけれど、何と呼べばいいのか分からなかった。
呼び捨てはいけないような気がしてミラノさんと同じように隊長を付けてみたんだけど、サッチは驚いたように目を開いてハハッと笑った。



「そっか。自己紹介してなかったな。おれはサッチ。隊長なんて付けなくていいぜ、あと敬語もやめろ。な?」



サッチの言葉にミラノさんも、そうよそうよ、あたしたちもう家族じゃない。と言ってくれた。「家族」という言葉に嬉しさとか恥ずかしさとかいろんな想いが上がってきて、ぎこちないながらもサッチと名前を呼ぶと、いいねぇ。とサッチの目は嬉しそうに垂れた。



「あ、お兄ちゃんって言ってみ?」
「え、お、おにい…」
「名前、言わなくていいよい」



頭に手を乗せられ振り返ってみると用を終えたらしいマルコがいて、こちらを見下ろしてニコッと微笑んでくれたのでわたしも微笑み返した。



「用、終わったの?」
「あぁ、何かしたいことあるか?今ならなんでもしてやるよい」
「ううん、大丈夫」



少し、少しだけ、ギュッと抱きつきたかったけれど、その日はケーキも貰った、素敵な言葉も貰った。もうこれで十分だと思っていた。だけど、なんでマルコは分かったんだろう?今でも不思議だけどいつもわたしの心を読んでるように願いを叶えてくれる。



「名前」



名前を呼ばれ下がっていた顔を上げるとマルコの手が伸びてきて、フワッと身体が宙に浮いた。
気付いた時には顔の近くにマルコの顔があって、抱き上げられているんだと気付いた。



「これからお前はおれらの家族になるんだから、目一杯甘えて良いんだよい。まだお前はサッチとミラノしか知らねェかもしれねぇけど、ここには何百人って家族がいて、何百人ってお前の兄貴や姉貴がいる。そいつら全員がお前を可愛がりたいんだよい」



ポンポンと背中を叩いて、諭すように話すマルコの話を聞きながら視線を移せばサッチもそうだぜ!と言いミラノさんもうんうんと頷いていた。



「お前が乗船するって話聞いた時は全員大盛り上がりだったぜ?今だって、お前を怖がらせないために笑顔の練習してるやつもいるし、どういう風に遊んでやるかとか考えてるやつもいる。この船の全員がお前を歓迎してるんだ」



まだ会ったこともないような子どものためにそんなことまでしてくれているなんて全く知らなかった。ここは本当に海賊船なのだろうか。こんなに良い人達が本当に海賊なのだろうか。あぁ、今日はいったいどれだけ泣くのだろう。自分で決めたことなのに全くできていないじゃないか。

でも…、もういい。あんな風に自分の気持ちを抑えなくてもこの船の人たちはわたしを見捨てずに受け入れてくれる。



この日がわたしが本当にこの家族の一員になれた日だと思う。
わたしはこの日のことを一生忘れない。あんなにも喜びで涙が溢れた日はないから。



「あっ……ひくっ……あ、ありがとう……!!」
「あぁ」


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