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スターフィッシュイーターvsシップフォックス 4

前の話

 きらりと光った指先から勢いよく放たれたのは宝石のようなエネルギーの塊、それが瞬く間に空を飛んでいた鳥を捕らえて僕は駆け始める。地に落ちた鳥は急所を小さく抉られており、痙攣するばかりで再び鳴くことはないだろう。
「君すごいじゃあないか!」
 見上げるそこには全身緑色に輝く人型、僕のスタンドはどこか照れ臭そうに肩を丸めた。彼と出会って数日、同じくスタンドを持つ承太郎から教えてもらったためかこの一日二日で彼と共に狩りができるほどになっていた。スタンドとは本体の精神を現した存在らしいけど、僕には勿体ないくらい頼もしい。
 そんな頼もしい彼が仕留めた鳥をくわえて神社へ戻るとジョナサンが出迎えてくれた。
「絶好調みたいだね」
「はい。それでもまだまだ未知数ですから、これからもっと練習すれば新たな技もできるかもしれないです」
 今のところは先ほどのエネルギーの塊を放射するのと体を紐状に解くことができる能力のみだ。しかし承太郎の話では後になって開花する能力もあれば、応用次第で新たな技も開発できるかもしれないという。そこは僕ら狐の狩りの練習と勝手が同じなんだな。狩りだって場数を践むことで自分の能力を開花させてゆき、その能力をどう活かすのか考えながら上達してゆく。
「それはこれから楽しみだなあ……鷺とかも捕まえられそうじゃあないか」
「ええ、しかし練習だけでなくそろそろ名前もつけてあげないといけませんね」
 僕が花京院典明という名前を所有して初めて名前の必要性を知った。名前は長い付き合いになる間柄ならなおのこと必要であり、一生の付き合いになるスタンドなら絶対だろう。
「ねえ、花京院。狩りや名前もいいけど、僕から話があるんだけどいいかな?」
「はい、なんですか」
 改まってなんだろう。疑問に思いつつくわえていた鳥を傍らに置いて座る。
「君が稲荷狐になってそろそろ二月経つけど、主は見つけたかい?」
「それは……」
 稲荷狐になるにあたって説明された「主」の話を思い出して、僕は言葉を濁す。稲荷狐にとっての主は必需で、早く見つけなければ最悪消滅してしまうというのは忘れてはいなかった。だから主を探さないといけないのは分かってる。
 しかし母親を亡くし、兄弟もない僕の周囲に主となってくれそうな宛は全くなかった。
「あの。今更なんですけど、主としての条件はあるんですか?」
「その主となってくれる者が意思をもって君を必要としてくれるのが必須かな」
「では、主が物、では駄目なんですか?」
「それは場合によるかな。例えば誰かが花京院に『それ』を守ってほしいとお願いしてきたら、その場合は『それ』が花京院の主となり、がある限り存在できる」
「ええと、」
「分かるかな?」
 わかるような、わからないような……
「要はどのような形であれ、僕が必要とされたら問題ないということですか?」
「極論ではあるけど、そういうことだね」
 だが、そう必要としてくれる者はいるのか? こんなまだ成熟してないような狐を求めるなんて余程の物好きでもないといないのではないだろうか。
「それこそさ、最近よく話題にあがる空条親子はどうなんだい?」
「承太郎と徐倫ですか?」
「君の話を聞いてると、とても仲が良さそうじゃあないか」
「でも僕はその、彼らに正体を偽ってますから」
 狐としての僕では会えないと思ったから僕は稲荷狐となり、人間に化けて会っているのだ。そんな僕が実はあの時の狐で、主となってくれる者を探していると言ったらどうだろう。その事実を聞いたら絶対にいい気分じゃあない。
「そっか……まあ、主とは一生涯連れ添う場合が殆どだから、決断しかねるのは悪いことではないよ。ただ、時間は限られているから気をつけて」
「……はい」
 だが、ジョナサンに言われて承太郎や徐倫が主になってくれて一生を添い遂げられたなら、それも悪くないように思えた。それでも……いくら彼らと仲良くなってきたといっても本来の僕を受け入れてくれる可能性はとても低い。だからといって彼ら以外に誰か思い当たる者も思い浮かばず、僕の口はつい溜め息をついてしまう。
 それはどういう意味が込められた溜め息なのか。つい自問自答したくなる。主が見つからないことに悩んでいるのか、あの親子と会える日が限られてきた予感からくるものなのか。
「大事な話だけどあまり気を病まないようにね。ほら、そろそろ港に行く時間じゃあないかい?」
「ああ、そうでした」
 天辺にある陽が少し傾いたら承太郎のヒトデ調査が一段落する。調査の詳しい内容はよくわからないけれど、承太郎の邪魔はしたくないからこの時間帯に伺うのが習慣となっていた。
 徐倫の元気な姿でも見たらこの憂鬱な気持ちも晴れてくれるかな。彼女はいつも元気一杯で、親でない僕でさえ愛しくなる存在だ。彼女の笑顔を見て、そんな笑顔を見つめる承太郎の眼差しをこっそり眺めてしまえば悩みなど飛んでしまうような気がして僕は足早に社へと入ってゆく。
 殺風景な社の端には学生服と学生鞄に革靴、そして身分証明書。人間なんて承太郎と徐倫の二人しか会わないから身分証明書はもう必要ないかもしれないけど、これを落とさなければ今のように話してないと思うと手放せなかった。いわゆるお守りみたいなもので、僕は身分証明書の自身の顔を確認しては人間の姿に化ける。
 全身を目視し、ちゃんとつるりとした人間の体になっているのを確認すると学生服に袖を通す。ディオに用意してもらった当初は皺知らずだった学生服も今では関節部分の皺が目立つようになった。それくらいには、彼らと出会ってから月日が経ったのか。短いとは思わないけれど、あまり長いとも感じてはいなかった。それでも彼らに明らかな愛着を覚えるくらいの時を過ごしてしまったのだ。
 学生服を着用し、社から出てジョナサンの前でポーズを取る。これは最終の身嗜みチェックだ。
「今日もバッチリ化けられてる、気をつけていってらっしゃい」
「いってきます」
 片手を振りながら港に続く道へ降りようとして、不意に脚に力が入らずにその場に座り込んでしまった。
「花京院?」
「…あ……いや、ちょっと不注意でした」
 体制を直して立てば、先ほどのような危うさはなくしっかり直立できた。浮かれて踏み外しただけだったかな。主の話をしていただけに一瞬ひやりとしたけど、そいつは杞憂のようだった。


「はいかきょーいん!」
 目新しい手土産が見付からず、いつもより遅い時間帯に港へ到着すると出迎えてくれた徐倫が紙を渡してきた。
「これは?」
 それには大きさが定まらない文字と、その下には椿の絵が描かれていた。
「このあいだのじんじゃのやつ!」
「そう、なんだ……」
 椿は絵だからわかる。赤にピンク、白と椿が並んでとても綺麗な絵だ。しかし、その上にある文字はまったく判らない。文字なのは流石に分かるんだけど、それが文字であるということしか分からない。
「ええと、」
 なんて読むんだろう? きっと椿か神社についてのことが書かれているのかもしれない。でも、それは本当に合っているか。憶測で話して外れでもしたら話が噛み合わないし、いい加減な返答はなによりも徐倫に対して失礼だ。どうやったって、首を傾げたって、どこをどう見たって読めないし……これは恥を忍んで徐倫本人になんて書いているのか聞いた方がいいのかも、しれない……。
 でもこんな大きな僕が文字が読めないなんて、徐倫はともかく承太郎に知れたら変に思われるだろうからこっそりと、こっそりと。
 僕は貰った紙を胸元に抱え込むと彼女の視線に合わせてしゃがみ込む。そして合図するように手を振れば徐倫は僕に顔を寄せてきたので、耳元に口を寄せて小声で彼女の名前を呼んだ。
「かきょーいん?」
「……あの、この紙にはなんて書いてるんだい?」
「……ええ?」
「承太郎には、内緒、ね。その、僕文字がよくわからなくて」
「えー! そーなの?」
「しっ 声が大きいよっ」
 そっと承太郎がよくいる操縦席奥を見るが、彼の姿はなかったので小さく息を吐いた。承太郎は口数が少ない割に話がうまいから、きっと少し追求されただけでぼろが出てしまう可能性が高い。ああ、気付かれなくて良かった。
 そんな様子に何かを察したらしい徐倫は僕と同じように小声で話し出す。
「なんでダディにないしょなの?」
「だって、僕が文字がわからないなんておかしいじゃあないか。徐倫だって僕が字が読めると思ってこれを渡したんだろう?」
「うん。でもじょりーんだってまだぜんぶはできないから、かきょーいんだってできなくてもおかしくないんじゃあない?」
「それは……」
 どうなんだろう。人間はどのように文字を覚えてゆくのか、人間の僕の年齢ではどれくらいの文字を読めるのかわからないからなんとも言えない。僕が文字を読めないのは、そうおかしくはないのかな。だが、それは確証がないだけに返答できない。
「それに、できないならできるようにれんしゅーしたらいいじゃん」
「練習?」
「そーだよ。じょりーんもね、こっちきてからひらがなれんしゅーしたけど、ちょっとできるようになったんだ」
 それで、ここに書いてるのはひらがなっていう文字の種類だよ。言いながら徐倫は僕が抱え持っていた紙の文字を指差す。これってひらがなっていうのか、なるほど。
「ここにね『かきょーいん、ありがと』ってかいてたんだ。いっしょにいけてたのしかったから」
「そうだったのか。その、こちらこそありがとう徐倫」
「どーいたしまして!」
 そんなことが……感謝の言葉が書かれているとは、それは本当にいい加減に返さなくて良かった。
「ねえ。僕も練習すれば読んだり、それこそ徐倫みたいに書いたりもできるかな?」
「できるよ! じょりーんもできたんだもん、じょりーんよりおっきなかきょーいんならちょちょいってできちゃうよ」
「それは、どうかな。難しそうだし」
「じょりーんおしえてあげるからだいじょぶだよ!」
 それはかなり助かる。なにせ文字という文字を知らないから独学も厳しいものになるはずだ。
「なら、お願い、できるかい?」
「何をお願いするんだ」
 急に声を掛けられて固まっていると、近付く足音と共に視界が薄暗くなる。承太郎の姿が見えないからと普段と変わりない音量で話していただけに、背後の存在はとても恐ろしいものに感じてしまう。背後の存在なんて一人しかいないだろうし、それは絶対に承太郎だ。
 話、聞かれてないよな?
「ないしょのおはなしおねがいしたの!」
 固まっている僕に代わって徐倫が承太郎へ返答する。しかし、その内緒のお話なんて話せない話題をしてましたとバラしてるみたいなものじゃあないか。これは大丈夫なのか、できるなら僕が文字を全く読めないのは変わらず彼には内緒にしていただきたい。
「内緒のお話、とは」
「ないしょー! ないしょはないしょだからないしょなんだもん」
「花京院、これはどういうことだ」
「その、僕も内緒、としか」
 どうやら徐倫は内緒にしてくれるようだが、内緒事があることは内緒にしないようで矛先が僕に向けられる。まさかそのまま僕にくると思わなかったので、上手い返しが思いつかず濁し濁し視線を落とした。
「……あまり変なことはするなよ」
「わかってるよダディ」
 追求を恐れたが、意外にも承太郎は注意を促すだけで奥へ入ってしまった。大した話はしてないと踏んだのかな、どう思ったにしても助かった。
 安堵にほっと一息ついてると何故か徐倫も奥へ行ってしまった。もしかしてやっぱり承太郎に話してしまうつもりか?
 追いかけるべきか、腰を上げると徐倫は何かを抱えてすぐに戻ってきた。その後ろには承太郎の姿は続かず、彼に用があって奥へ引っ込んだようではないようだ。
 彼女は抱えていたものを僕の目の前に広げ、それは薄い冊子と細く短い木の棒であった。
「これは?」
「れんしゅーちょうとえんぴつだよ。じょりーんのあまってたからかきょーいんはこれつかってれんしゅーすればいいじゃん」
「いいのかい?」
「これつかえばいまかられんしゅーできるよ?」
 それは確かに。しかしいきなりだというのにこんなに貰うのが申し訳ない気持ちも湧いてくる。でも、練習に必要なものが何なのかもよくわからない僕としては受け取るしか選択肢がなくて素直に受け取った。ええと、れんしゅうちょうと、えんぴつ、だったかな。これはどう使うんだ?
 まず僕はそこから始めないといけなくて、これから教えを乞うことになる徐倫に対する申し訳なさを募らせた。

   ◆◆◆

 最近、以前以上に花京院と徐倫が二人して話していることが多くなった。
 当初はまた花京院が徐倫に何かを教えてくれているのかと思ったら、こっそりと窺えば何か違うように見えた。
「かきょーいんっ、じょってゆうのはこー、こーかいて、こーなんだよ」
「こう、かな」
 そんなやりとりをしながら二人して落書き帳に向かって鉛筆を走らせる。何かを書いているのだろうが、これまでと違って徐倫が花京院に教えているような気がするのだ。
 しかし幼い徐倫が高校生である花京院に教えられることなんてあるのだろうか。アメリカの文化や英語にしたって限られてくるだろうし、まずそういうことなら俺に秘密にしなくても良いはずだ。秘密というのはどういう訳か二人とも何をしているのか教えてくれないのだ。そのため一体何をしているのかよくわからないのだが、あれだけ賑やかに話していれば隠し事も隠しきれてないと思うのだが。
「熱心なようだが、そろそろ休憩にしないか」
「あーダディ! ちかくきちゃだめ!」
「声を掛けるのもいけないのか」
「こえかえるのもそーじゅうせきのまえから! ちょっとまってて!」
 容赦なく放たれた駄目、の一言に少々胸につかえながらも言われた通りに操縦席前まで下がる。すると徐倫と花京院が慌てて落書き帳を片付け始めた。徐倫はともかく花京院も特に何も言うことなく片付けているとは何があるんだ。
 そんな疑問を覚えていると、片付けている花京院と目が合う。
「すみません、僕のせいで」
 謝罪は待たせていることか、徐倫の『駄目』発言のどちらかだろうが……僕のせいで、とは? まさか本当に徐倫が花京院に何か教えているとでもいうのか。いや、それは流石に考えすぎか。僕のせい、も言葉のあやのようなものだろう。
「どーぞ!」
「アップルミルクティーを用意したんだが二人とも飲むか」
「のむ!」
「僕もいただきます。ありがとうございます、承太郎」
 用意していたアップルミルクティーと昨日購入したクッキーを出せば、すかさず徐倫がカップとクッキー数枚を抱えて食べ始めた。
「そうがっつくな。花京院が食べる分がなくなってしまうぞ」
「ちゃんとなんこあるかみてるからだいじょぶだもん」
 心外だとばかりに頬を膨らましつつ徐倫はクッキーを頬張る。全く、それは大丈夫なのか。まあ、クッキーも余るほどあるから多少食べ過ぎたところでなんら問題ないだろう。そんな徐倫を眺めながら花京院もカップを手に取ると俺の隣に座った。
「毎日、徐倫に何を教えてもらってるんだ」
「え、」
「何か教えてもらってるんじゃあないのか」
 気になったことについて、推測は推測でしかない。当人に聞くのが一番だと判断した俺は単刀直入に切り出した。すると花京院は明らかに動揺を隠せない表情を見せ固まってしまった。内緒だとか秘密だとか言いはしていたが、そんなに動揺することとは思ってなかっただけに、こちらも驚きに戸惑いを覚える。
 この反応からするに俺の推測は正しいようだが、俺に知られて困るようなことを徐倫が知っているとはどうにも思えなくて疑問は解消されるどころか深まった気がする。
 そんな疑問を吟味する前に、未だ動揺が続く様子の花京院が口を開く。
「その……徐倫の家があるという、アメリカについて教えてもらってました……」
「それは、どうして俺には内緒なんだ」
「それは、なんとなく」
 嘘だな。もしこれが本当ならば彼ならば恥ずかしがってもしっかりと説明する奴だ。こうして理由すら明かさないあたり、事実は別のところにあるのだろう。だが、嘘をついてまで知られなくないことを徐倫に教えてもらっている、とは。ますます疑問は深まるばかりだ。
「あの、僕も教えてもらいたいことがあるんですが、いいですか」
「私が教えられることであれば」
「承太郎の名前はどう書くんですか?」
「私の名前?」
 改まって何かと思えば俺の名前をどう書くか、とは。大した質問でないだけに拍子抜けしつつ説明する。
「承る、太郎、と書いて承太郎だ」
「う、承る……とは、どう書けば、」
「……ちょっと待ってろ」
 漢字が出てこないのなら仕方ない、それならば実際に書いてやればわかりやすいだろう。そう思ってジャケットのポケットに入っていたメモ帳の一ページに俺の名前を書くと、それを破いて彼に差し出した。
「これで、承太郎、と書く」
「わざわざありがとうございます」
 花京院はメモの切れ端を受け取ると、それをまじまじと見つめた。そう珍しい名前でも字面でもないと思うんだが、そんなに興味を惹くものなのか。そう珍しがられたこともなかったので花京院の様子こそ珍しく思えて眺めていると、その顔の違和感に俺はつい手を伸ばして彼の頬に触れてしまった。いきなりのことに花京院も小さく肩を揺らしてこちらを見上げた。
「承太郎?」
「顔色が優れないような気がして。頬も冷たいが大丈夫なのか」
 そういえば、と思えば、甘いものが好きだという彼が今日に限ってクッキーを受け取らなかった。そしてよく見れば見るほどに白い顔色が体調不良のそれに見えてしまった。
そんな心配を余所に花京院は俺の手に自身の手を重ねると苦笑した。
「少し体がだるいだけです、大丈夫」
「だるいのなら、風邪のひき始めかもしれないぞ」
「用心します。だから心配しないで。」
 まるでこちらを宥めるように手の甲を擦りながら花京院は目を細めた。こいつのことだから余計に無理はしないだろうが、今日は早く帰宅を促すか。ここ最近春めいてきたとはいえ、潮風吹く港はまだ肌寒い。
「徐倫と話するのもいいが、今日は大事にしろよ。体調不良になればあいつも心配する」
 そこに俺もいるのだが、そこまで言ってしまうと彼のことだから余計に気にしてしまうので言わないでおこう。
「ええ、きりのいいところで帰りますんで、」
 言いかけて、急に驚いたように花京院は目を見開いた。体調不良を心配した流れでの反応だったので何事かとよく窺おうとすると彼は勢いよく起立した。
「あの、帰ります」
「具合、悪いのか」
「ええ、まあ……だから悪化しない内に帰宅します」
「それなら送ろう。先日降ろした場所なら覚えている。」
 体調不良を覚える者をそのまま帰すほど鬼ではない。途中で動けなくなっても問題なので自宅まで送っていこうと提案するが、俺の申し出に花京院は首を横に振った。
「いえ、結構です」
 明らかな断りは珍しい。というより初めてで一瞬呆気にとられていると俺の手に添えられていた彼の手が離れていってしまう。このまま離れて、きっと一人で帰るつもりだ。それはさせたくなくて俺は離れようとする手を掴んだ。
「遠慮をするな。酷くならないよう車で帰ろう」
「あの、遠慮とかではなく、僕はひとりで、」
 再び不自然に途切れる言葉と共に、俺の手中に違和感を覚えた。確か俺は花京院の手を掴んでいたはずでは……ごわりとした手触りに彼の手を確認すると、それはまるで獣の手のように毛むくじゃらになっていた。
 これは一体? 思わず花京院を見上げると白かった顔色を真っ青にさせ、次の瞬間に彼の耳が犬猫のような尖った形状に変わってしまった。
「花京院?」
「あ、……や、やだ、見ないでっ!」
 彼の変化に驚いている間に手が振り払われ、花京院が身を翻す。再び彼を掴もうと立ち上がり手を伸ばしたが、まるで小動物のような身のこなしで船から飛び降りてあっという間に姿を消してしまった。
 あまりの展開に俺は立ち尽くし、甲板近くにいた徐倫も状況が掴めていないようで、呆然と陸地を眺めていた。
「あの、ダディ……なにがあったの?」
「私にも何がなんだか」
 毛むくじゃらになった手、犬猫のように尖った耳、まるで満月を見て狼に変身する狼男を彷彿とさせた。推測だが、あのまま変化が続けば花京院は獣に姿を変えてしまうのではないだろうか。
 獣……スタンド使いの攻撃か? だが、どこかに本体がいる気配もないし、第一に何故花京院を狙ったんだ。彼は先日スタンドを発生させたばかりで、彼がスタンド使いであると知っている者も限られているだろう。それにスタンド使いである以前にごく普通の高校生である花京院のみを狙うだろうか、すぐそばに俺もいたのだから俺も狙ってもいいはずだ。それに……
「見ないで、といったか」
 ここを去る際、花京院は俺にそう言った。もしスタンド攻撃を受けて獣になってしまう状況ならまずは『助けて』などという言葉が先立つのではないか? それが『見ないで』と言った、それはどういうことか。
「ねえ。かきょーいんだいじょぶかな」
 徐倫から見ても尋常ではなかった花京院の様子であった以外、事実は未だわからないがスタンド能力によって獣のようになったのとも違うように思える。
「徐倫、私は少し離れるが船で待ってろ」
「かきょーいんさがすならじょりーんもさがす!」
「もし花京院が戻ってきて、ここに誰もいなければ困ってしまうかもしれない。だから徐倫はここで待ち、花京院が戻ってきた時には助けてやるんだぞ」
「そっか! じゃあおふねはじょりーんばっちりいるからね!」
「どうか頼む」
 花京院の様子からここに戻ってくる可能性は低いと踏んでいる。だから徐倫を下手に同行させるより勝手知ったる船で待機してもらった方が安全だと判断した。うそも方便である、どうか許しておくれよ。
 船から降りた俺は車に乗り込んである場所へと向かう。花京院が行くあてはひとつくらいしか知らないが、彼の体に異変が出始めた頃に帰宅すると言っていた。獣になってしまうなんて自宅に帰って解決できることではないが、一目見ても人間ではないとわかる容姿でいける場所は限られている。自宅をあたってみる価値はあると思う。
 港からそう離れてない場所に花京院が住まうという山の入り口があり、間もなく到着すると俺は奥へ続く獣道を駆け上がる。先日は暗がりだから道がわからなかったがこれは人が通る道なのか。そう思うほどに悪路が続き、見上げる先にも建物は一切見えてこない。花京院の住まいは結構奥の方なのか、駆け上がる脚が少し疲れを覚えていると小さな屋根が見えてきた。
 住宅か? いや、それにしてもあまりに小さい。
 とりあえずその屋根を目指して移動するとこれまでの道とは違う、少し拓けたスペースに出た。そしてその先に小さな社が見え、手前に緑色の布の塊を発見した。あれは花京院の学生服によく似ているが本人はいないようだ。
 それでも何か彼への手掛かりがあるかもしれないと思い、布を引き上げると中から赤毛の塊がころりと転がり落ちてきた。

   ◆◆◆

 どういう訳かいきなり僕の意思と関係なく変化の術が解けてしまった。そのため、慌てて承太郎と徐倫から逃げてきたというのに。
「……きゃう…」
「お前……」
 なんで承太郎が住まいにしている神社まで来てるんだ。驚きに転がり落ちた体制のまま窺っていると承太郎は大きな体を目一杯屈ませて僕の顔を覗き込んできた。確か完全に変化が解ける前に船から降りたから狐の僕を見てもわからないはずだ。
 ただ、承太郎は変に勘が良いから何か気付いてしまうかもしれない。
「前に魚を貰いに通っていた狐だな」
「!」
 どうやら僕が花京院というのはバレてないけど、いつか来ていた狐である事は覚えていたらしい。人間になって会うようになって話題になかったからてっきり忘れているかと思ったが、見ただけでわかってしまうとは。
 とりあえず、何故か人間に化けられないから承太郎が去るまでどこかでやり過ごそうとすると彼の大きな手が僕の尻尾を掴んだ。
「きゃん!」
「尾が枝分かれしたよう、二本ある……前はこんな尾はなかっただろう」
 そいつもよくご存知で……その手を離してくれないだろうか。これでは変化できなくなった理由をジョナサンに確認しにいけないじゃあないか。
 そんなやきもきした気持ちでいると不意に承太郎以外の気配を感じた。ここは人間だけでなく他の生き物も滅多に寄り付かない場所で、尚且つ今は承太郎のような人間がいるから余計に来ないはずだ。
 一体何が、と思っているところに金色の何かがこちらに飛び込んできた。思わず飛び退く僕と、大柄ながらひらりと軽い動きで飛来物を避けた承太郎の前には久々に見る存在が座っていた。
「人間が何の用だ」
「狐が……喋った?」
 そこにいたのは最近では静かに石像として過ごす姿ばかりだったディオだった。どうやら感じていた気配は彼のようだが、ただでさえ現れるのが珍しいのに一体どうしたのか。そう思っているとディオは爪を剥きだしにして承太郎に飛び掛っていった。
 登場も突然だが攻撃も突然で僕は唖然とするが、またしても承太郎は慣れてるとばかりに身軽な動きでディオから距離を置いた。
「穏やかじゃあないな」
「俺は人間が好かないのでね、早く立ち去らなければ八つ裂きにしてくれる」
「やれやれ、だが私も用があるのだ。それを済ませない限りここから立ち退くことはできん」
 承太郎とディオ、出会い頭に睨み合いだなんて急展開が過ぎると、どうすればいいのか判断しかねているとジョナサンがこちらへ駆けて来た。
「花京院! さっき中途半端に変化が解けた状態で帰ってきたけど……どこか具合わるいのかい?」
「花京院?」
 ジョナサンの声掛けに承太郎が横目でこちらを窺ってきた。やばい、どうにかバレずに済みそうだったのにまたこちらに関心がくるのは困る。こちらには関わらないで、という代わりにジョナサンの影に隠れると承太郎は再びディオの方に視線を戻した。
「……彼が承太郎かい? どうしてこんなところへ。君が案内したのか」
 承太郎たちには僕が稲荷狐であることを秘密にしていると知っているジョナサンは今度は小声で僕に窺い入れる。
「いえ、違うんです……先ほど、何故か急に自分の意思とは関係なく変化が解けてしまって、元の姿を見られたくなくてここに避難したら彼が追いかけて来てしまったようです」
「変化が解けたの、自分の意思じゃあないのかい?」
「はい。一体何故……」
「それは、稲荷狐としての力が衰えてるせいだ」
 何度か聞かされている話題が今まさに僕に降りかかっていることにどきりとする。ここ最近だるかったり、今日の顔色の悪さも前兆だったのだろうか、こんなにいきなり来るだなんて。
 もし主が見つからず消滅の一途になるようなら、承太郎と徐倫とはしっかり別れと感謝の言葉を述べてからと思っていたのに。これではそれもできないじゃあないか。
「人間、こんな場所に用事とは酔狂なことを言ってくれる」
「酔狂だろうと用が済んだらすぐに去る、争う気はない」
「人間がここに用があること自体俺は不愉快なんだ!」
 またディオが飛び掛り、承太郎は最小限の動きでかわすと次の瞬間には僕とジョナサンのすぐ近くに立っていた。彼のスタンド能力を使うと瞬間移動できる、なんて話を聞いていたけど予告なくそれを実践させられて驚きについ毛を逆立つ。
「驚かせてすまない。ジョナサンとやら、私は結構な地獄耳で先ほどの話を聞かせてもらった」
 先ほどの話? なら密やかながらジョナサンと会話した僕の声も聞いてしまったかもしれない。そんな悪い予感に逆立つ毛は一向に落ち着かない。すると何を思ったのか承太郎は僕の首の後ろを掴んで抱え上げた。
「ぎ、ぎゃあうっ!」
「こら、暴れるんじゃあねえぞ……こいつは何故、力が衰えてるんだ」
 ジョナサンに対して訊ねた質問に僕はまた固まる。その内容からして会話はほぼ全部聞いているのが知れてしまった。
「それは、彼に主がいないから」
「主?」
「そう。僕らは主がいないと力が衰えてしまうんだ」
「それが続くと、どうなるんだ。普通の狐にでも戻るのか?」
「いや、力が完全になくなると同時に消滅してしまう」
「ほう」
 承太郎は顎を擦りながら僕を見下ろしては頭をわしわしと撫でてきた。容赦ないその動きに僕の毛はぼさぼさに乱れてしまう。
「なら、主となる奴がいれば力は元に戻って元気になるのか」
「まあ、そうだね」
「主になる条件はあるか」
「彼を必要としている者であること。僕らは必要とされて、そして存在する事ができる」
「なるほど」
 ジョナサンがこれまで僕に説明してくれたことを承太郎に話すと、何故か僕らから離れてディオのもとへ行ってしまう。心細くなるんだが、まさかもう石像に戻るなんてことはないよな。
「彼はもう帰るから、僕らも戻るよディオ」
「だが、ジョジョ」
「争って、おんぼろ神社が壊れても僕は知らないよ」
「……チッ」
 そんなジョナサンの言葉にディオは舌打ちをひとつしては石台までひとっとびして石像に戻ってしまった。それを見届けるとジョナサンも同様に石像に戻ってゆく。二匹が沈黙することでただでさえ静かな周囲がいよいよ草が擦れる音しか聞こえなくなってしまった。そんな空間が気まずい気持ちに拍車をかける。
「おい、その姿でも人の言葉は話せるのか」
「……はい」
「お前が花京院か」
「はい。その、騙してしまい申し訳ありません」
「全く……素直に正体を明かせば良かっただろう」
「だって、」
「だって?」
 だって、嫌われるようなことをしてしまった気がしていたから、本来の僕なんて明かせないと思ってしまったんだ。そんな思いは言葉にならず、閉口してしまう。
「まあ、いい。本題に入る」
「本題?」
「お前、船守をしてみないか」
「ふなもり? それは何ですか?」
「船……特に調査船のように長期に渡って食糧や財産を乗せたものになると、鼠や強盗から狙われやすくなる。鼠なんかは小さいくせに厄介でな、食い物を漁ると同時に病原体を撒き散らしたりするんだ」
「は、はあ」
 それは大変だな。でもなんで急に船守になる提案をしてきたんだ。何度も僕は承太郎の船に乗ったけど、鼠もいなかったというのに。
 いまいち話が見えなくて気のない返事をすると何故か承太郎はがしがしと後頭部を掻いた。
「その、あれだ……お前さえ良ければ、俺を主にしてくれないか」
「え?」
「狩りの得意な狐が船守をしてくれたら、助かるんだが。どうだ、必要としているから条件は満たしていると思うんだ」
 でも先ほども思ったけど、承太郎の船は鼠なんていないけど……それでも船守が必要なのか?
「それとも、俺が主では嫌か」
「そ、そんなことない!」
 それは断じてない。むしろそうであればいいと思った事があったくらいなのに。でも僕なんかの主になってくれていいのだろうか。
「なら、どうすれば俺を主と選んでくれる?」
 言いながら頬を撫でる指先はいつ見ても大きくて、僕を必要とする理由がわからないくらい逞しい。稲荷狐になり、スタンドも使えるようにはなったけど僕はまだまだ未熟だ。
 そんな僕の主にどうして? ついに承太郎を見上げればいつもはきらきらと輝く緑に影を落として僕を見つめる瞳とぶつかった。僕はそんな寂しげな眼差しより、徐倫を見つめる時のような愛しみある瞳が好きなんだ。
「……それは、承太郎がしっかり徐倫を守れると約束してくれるなら、僕は貴方を主として選びます」
「私は徐倫を常日頃から守っているが」
「僕の記憶が確かなら、僕は二回ほど徐倫を助けました」
「……、…善処しよう」
 徐倫については僕も今の承太郎はしっかり彼女を守っていると思っている。だからこれは、僕なりの意表返しのようなものだった。だって、こんな望まれた形で僕の主が決まるだなんて全く思ってなかったから。
「では、これから改めてよろしくお願い、」
 ざわり、と体の変化を感じる。これは今ではすっかり馴染みある感覚で。徐々に大きくなる体に、毛がなく空気に曝された肌は狐では有り得ないものだ。どうやら僕は再び人間へと変化できたようだ。
「どうやら、力は復活してきたようだな」
「ええ……繰り返してしまいますけど、よろしくお願いします承太郎」
 感謝の気持ちを込めて承太郎を抱き締める。それでも僕よりずっと大きい承太郎を抱き締めるとなんだかしがみ付いているように思えて体を離すと、何故か彼は着ていたジャケットを僕に羽織らせた。
「その、目の毒だ」
「どく?」
「先ほどあった花京院の制服、どこにやったろうか」
「ああ」
 そうだ、やっと習慣づいたと思えばまた服を着忘れてしまって。それを実感すると裸であることに寒さを覚えて僕は羽織っていたジャケットを胸元に寄せた。


「船守になる前に、もう少し人間らしさを学ばないといけないかもな。犯罪を呼びそうだ」
「犯罪って、そんな物騒な」
「人間について、私と徐倫がみっちり教えてやろう。覚悟するように」
 そう言う承太郎の顔は言葉とは裏腹に穏やかな笑顔を湛えていて、僕は釣られるように破顔した。

「望むところです」






2023.12.11 06:42