不幸中の不幸

 私は幸運という言葉に縁遠い人生を送ってきた。
 出かけようと思った日や大切な行事ごとの日には必ず雨または雪が降り、旅行の日には風邪をひくことが多い。おまけに初めてできた彼氏には浮気されて理不尽な理由でこっぴどく振られる。
 そんな私の就活も散々なものだった。不運という言葉がお似合いな私。予想通りの結果、五〇社受けて連敗続き、やっと内定をもらったかと思えば、いきなりの内定取り消し。友人やゼミの同期たちが内定を次々にもらっていく中、私だけが取り残されていた。
 もうこれでダメだったら院に進もう。そう決めて最後の一社を受けた。そうして難なく受かった。
 専門とは関係ない業務内容の会社の秘書という仕事。だがその待遇は良く、試用期間にも満額給与あり、有給は就職した日から即日付与。土日祝日は休みだし、賞与もある。これで残業もないのだから最高だ。会社の雰囲気もいいし、面接に同席していた上司も優しそうだった。
 不運のレッテルを貼られ続けた私だったが、ついに幸運を手にしたのだ。欣喜雀躍した。もちろん家族からはうるさいと言われた。
 そうして私はなんとか大学を無事卒業し、その会社に就職することになった。まあやっぱり卒業式の日には風邪をひいたのだが。
「ほんといいとこに就職できてよかったです」
「そこまで不運続きだと人生嫌になるわ〜。よく生きてきたよほんと」
「そんなこと言わないでくださいよ。こっちは必死で生きてるんですから」
 先輩は優しくていい人だ。美人だし、スタイルいいし完璧。こういう人が秘書やってるとかっこいいなあと思う。本当に憧れる。大学での専門とは全く関係ない仕事だけれど、頑張ろうと思える。そんな素敵な職場だ。
 雑談を交えていると社長室が開く。手を止めて私たちは立ち上がり、一礼する。
「お疲れ様です、社長」
「お疲れ様です」
「そんな固くならなくていいよ。世間話でもしていたんだろう」
「そうなんですよ。ほんとこの子、運がないって」
「で、でも、ここに就職できて本当によかったです」
「ふむふむ。そう思ってくれるとは嬉しいね」
 そう言って社長はニコニコしながらひとしきり会話を終えると、去って行った。
 社長も本当にいい人で、人当たりがいい。だが、いまだに社長を前にすると緊張してしまう。仕方ない。相手はこの会社で一番えらい人なのだ。先輩みたいにフレンドリーに接するなんてもってのほかだ。
「そう言えば今日私昼から休みだから」
「確か午後二時から社長のお客様がいらっしゃる予定でしたよね?」
「そうそう」
「一人で来客対応……」
「大丈夫。仕事の話っていうか、ほんと顔出しに来てるだけだから。今回いらっしゃる、灰谷様……お得意様なんだけど」
「え、もし不敬があったら大変じゃないですか」
「大丈夫だって。大抵のことは笑って許してくれるから」
 先輩はこう簡単に言うが、私とそのお客様は初対面、しかもお得意様。緊張しないほうがおかしい。もしへましたら……なんて考えればゾッとする。運がないを地で行く私だ。何が起こるかなんてわからない。それこそ最悪の事態を考えなければ。
 そうしてお昼ご飯が喉を通らないまま、アポが入っている午後二時を迎えた。受付から内線が入り、慌てて出る。それは来客があったことを知らせる電話であった。そのまま真っ直ぐお客様はいらっしゃるらしい。私はそわそわしながら、受付へと向かった。
 受付に寄りかかりながら受付嬢と親しそうに話す長身の男性とその後ろで様子を見守る襟足の髪が長い男性。どちらも容姿が整っており、つい見とれてしまう。社長と懇意とのことだったから、もう少しお年の召した方だろうと思っていたが若く見える。私よりも年上だが、若くも落ち着いた雰囲気から三〇代だろうと予想がついた。
「えっと、灰谷様でしょうか」
「迎えが来たみたいだぜ、兄貴」
「おー、そうか」
 なんだろう。ちゃらい感じがする。口調や耳元のピアスを見るに、怖い印象を受ける。
「何? ビビってんの?」
「え、あ、えっと」
「竜胆、いじめんなって。ごめんな、ビビらせちまって」
「えっと、こ、こちらこそ申し訳ございません!」
「それじゃあ、ビビってますって言ってるのとおんなじじゃん」
「も、申し訳ありません!」
 私は必死でペコペコと頭を下げ続ける。取引のある先方に不快な気分にさせてもし打ち切られたらそれは問題だ。私は必死だった。叱責が飛んでくると思った。けれど返って来たのは笑い声だった。
「はー、真面目ちゃん。おもしれ」
「兄貴こそ、からかうなって」
「へ?」
 どうやら機嫌を損ねたわけではないらしく、むしろ私のことをからかっていたらしい。私の頬は恥ずかしさでカッと熱が灯る。その様を見て、灰谷様らしきお二方は「かわいい」と口にするものだから、さらに頬は熱くなる。
「それでは社長室にご案内します」
 私は逃げ出したい気持ちを押し隠しながら、二人を社長室まで案内した。
 なんとか社長室までの案内は済んだ。けれど、その後が問題だった。なんとお茶だしまでしないといけないのだ。もしお茶をひっくり返したら、大惨事だ。治ってくれ、手の震え。そう念じれば念じるほどに震えは激しくなって行く。先輩、戻って来てくれないかな。無理だろうな。どうにかしなきゃ。
 私は必死になりながら、お茶を出した。そう。一生懸命だった。けれどその頑張りが報われることがないことを知る。宙を舞う茶器。ひっくり返った湯のみからは摂氏八〇度のお茶がこぼれ出す。まさかこんなタイミングで何もないところでつまづくなんて思わない。
 がしゃん。そう音を立てて、私は盛大に転んだ。
 痛い。いいや痛いなんて言ってるどころではない。私は慌てて状況を確認する。そこには散らばった茶器と、目をまんまるくして驚く、社長と灰谷様のお二人。そして、湯のみがひっくり返り、溢れたお茶はお客様お二人の足元を濡らしていた。
 終わった。さよなら。優良企業。さよなら私の人生。私は覚悟した。

 

「なんてこともあったよな」
「いやほんとアレは今思い出しても爆笑すんわ」
 私のデスクに寄りかかりその長い脚を意のままにする蘭さんと、仕事中の私を覗き込む竜胆さん。
「地面がえぐれるぐらい額擦り付けて土下座するし、泣いて顔ぐしゃぐしゃだし」
「そう言えばあの時の写真まだあんわ」
「えっ、いつの間にそんな写真とってたんですか 消してください!!」
「やだ♡」
「蘭さんの鬼! 悪魔!」
「そんな、口、兄貴に聞いていいのか?」
「うっ、竜胆さんの意地悪……」
 灰谷さんたちとの出会いから半年近くが経ったが、いまだにあの時の失敗を掘り返される。確かに盛大にやらかしたからいじられるのは仕方ないけれど、もうそろそろやめて欲しい。未だにお二人に頭が上がらないのは確かだ。





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