相思相愛狂依存症候群

 淹れたてのコーヒーの香りを楽しみながら、湯立つマグカップに口を付ける。ほうっと息を吐き、デスクの上にマグカップを戻す。
 三人お揃いで、と揃えてくれたウエッジウッドのマグカップは私のお気に入り。
 気を取り直して目の前のパソコンと向き合い、カタカタと資料整理を進めていく。
 その矢先、グンッと左肩が重くなり、ウッディな香りが鼻腔を刺激した。そのせいで作業が強制的に制限され、私は手を止める。
「……重いんだけど」
「んー……」
 耳元で眠そうな唸り声をあげながら、こてんとそのまま頭にもたれ掛かってくる大きなクラゲ。
 髪がくすぐったいんだけどなぁ、と思いながらも、微睡んでいる頬をフニフニとつつく。
 すると、私よりも一回り以上大きな手が私の手を掴んだ。
 なにをするのかと様子を見ていれば、甘えるように頬に手を寄せるものだから、退いてなんていよいよ言えなくなってしまう。
「竜胆、眠いならベッド戻りなよ」
「眠くないしぃ〜……」
「説得力の欠片もないな」
 反対の手で少し乱暴に頭を撫でれば、ぐりぐりと頭を振りながら私にじゃれついてきた。
 首や耳に竜胆の髪がぱさぱさと当たってくすぐったい。
「やだぁ〜! あははっ!」
「うりゃあ〜!」
 傍から見れば大きな子どものじゃれ合い。
 静かだったリビングにケラケラと二つの笑い声が響く。
 そこにピシャリと水を差すように低い声が短く突き刺さる。
「うるせぇ……」
 春の陽気のような空気から一変、雪山の頂上にでも放り出されたような空気に変わる。
 振り返る事すら許されず、私も竜胆もたった一言で身動きが取れなくなる。
 続いて右肩がズンッと重くなり、甘すぎないフルーティーなホワイトムスクの香りが鼻腔を刺激するが、耳元で吐かれた大きなため息によって、私も竜胆も息を止める他なかった。
「朝から二人だけでイチャついてんじゃねぇよ」
 少し掠れた声が不機嫌を孕んで耳に吹き込まれる。
「蘭ちゃんも混ぜろ〜」
 寂しん坊だったんかーい! と、思わず心の中で突っ込んでしまったが、竜胆と同じように頬を撫でれば嬉しそうに笑う声が聞こえた。
「ほら、二人ともそろそろ退いて。ご飯食べるでしょ?」
「食べる」
 真っ先に答えた竜胆に反し、マイペースを決め込んでいる蘭は私を独り占めするように抱きしめ直すと「それよりもさぁ〜」と続けた。
「おはようのキスはいつくれるわけ?」
「あー、はいはい」
 さっきまで寝ぼけてたのに、そこだけは覚えてるんだなぁ〜なんて思いながら、後頭部に回された手に合わせるようにして蘭とキスを交わす。
 ちゅっと唇が触れ、離れると、ロイヤルパープルの瞳がじとりと私を捉えていた。
 あ、ヤバイ。と思っても後の祭り。
「あっ! 兄ちゃんズルい!」とすぐそばで騒ぐ竜胆の声が聞こえてくるが、蘭はお構いなしに私の唇をこじ開け、舌をねじ込んできた。
 自由気ままに動き回るそれにまんまと翻弄され、解放された時にはコーヒーの味など忘れてしまっていた。
「もう、ら、んんぅ!」
 自由になったと思えば今度は俺と言わんばかりの勢いで竜胆が私の唇を塞いだ。
 マイペースな蘭のキスとは違い、少し焦っているような竜胆のキスに思わず内心でほくそ笑む。
 そんなにがっつかなくても、私が二人を思う気持ちに変わりはないし、どちらも私にとってはかけがえのない唯一無二だ。
 スッと唇が離れる間際に竜胆の髪を耳に掛ければ、ムッとした顔の竜胆が私を見下ろした。
「なんか俺ン時だけ反応違くね?」
「気のせいだよ。ほら、ご飯の準備して」
 蘭譲りのアルカイックスマイルを浮かべて話を逸らし、私は仕事用の机から離れる。
 車椅子のタイヤがフローリングの上でキュルキュルと鳴りながら、方向が変わる。
 後ろを向けば、すました顔の蘭が車椅子を後ろから動かしてくれていた。
「なに?」
「んーん、ありがと」
 こういうこと、サラッと先にやってくれる辺りがお兄ちゃんなんだよなぁ。
 リビングに行くと、先に行った竜胆がキッチンでパンを切っていた。
「兄ちゃん何枚食う?」
「あっ、冷蔵庫の中にたまごのペースト作って置いてあるから、良ければホットサンド作るよ?」
「マジ? やった!」
「俺のはチーズ入れて〜」
「俺二つ食べる!」
「じゃあハムも入れよっか」
 大人三人が入っても広々と使えるキッチンで、ホットサンドで大喜びしてくれる二人と共に朝食の準備を進めていく。
 竜胆が食パンをカットし、蘭が三人分の飲み物を淹れる。
 初めて二人と合った時は、こんなことを自分たちで率先してやるようなタイプの人種ではなかった。
 食べ物は椅子に座っていれば勝手に運ばれてくるようなもの。空になった皿は勝手に下げてくれるもの。好き嫌いは把握してくれてるもの。と、天竜人かよ! と思わずツッコミそうになるようなところがあった。
 だから私は一生この人たちと分かり合えないと思っていたし、別世界の人々なのだと割り切っていた。
 元々と私は梵天の金庫番こと、九井さんの事務秘書……ではなく、梵天が率いる殺戮部隊という名の下端構成員の一人だった。
 幹部がわざわざ出向くまでもない殲滅処理や、その後の後始末、その他雑用など諸々。
 自由気ままな幹部様たちのおかげで、下っ端は下っ端なりに働きアリのように使われていた。
 そう、働きアリと同じ。いくらでも替えがいる。
 その中でも戦闘特化、銃器乱用、血生臭い部隊の一つに私は属していた。
 米国仕込みの兵役能力を買われ、隊の長を任されていた。
 女だとバカにしてくる奴を片っ端から捻り潰し、血が騒ぐまま猛獣のように敵を肉塊にしていた。
 その頃までは、幹部である蘭と竜胆とは顔見知り程度で、会話をしたと言っても上司と部下らしい会話のみ。むしろ私はこの灰谷兄弟をあまり好いては居なかった。
 今とはまるで大違い……?
 それもそう。あの頃は敵を地の果てまで追いかけ、顔がひじゃげて首が落っこちるまで敵を蹴り殺せるような足があった。
 勿論今も足は身体にくっついている。けれど、くっ付いているだけで何の機能も成していない。
 そしてこの二人とも、私の足が機能しなくなった時からの仲なのだ。不思議に思われても仕方がない。
 突いても、叩いても、痛みも触られた感覚さえ拾ってくれなくなった足の膝を懐かしく思いながら摩れば、隣に座っていた蘭が「痛むのか?」と聞いてきたが、生憎何も感じないので「うんん」と首を振る。
 蘭が少しだけ不安を瞳に滲ませながらも、それを拭うように私の頭をクシャリと撫でた。
 失うものも大きかったけれど、その分大きなものを得られたと私は思っている。
 それに、蘭と竜胆が私の身柄を保護すると言い出さなければ、私は役立たずとしてスクラップ行きだっただろう。
 最初こそ壊れてもいい人間のオモチャにされるのだと警戒していたが、二人は思いの外私に優しくしてくれた。と言いたいが、最初は監禁されたと思っていた。
 梵天が部下の管理をするための名目として、能力が買われている者たちにはそれなりの衣食住が完備されているマンションがあり、私はそこを根城にしていたのだが、この二人が私を引き取ると言ってからは一度も帰っていない。
 多分、私を引き取った時点であの部屋は引き払われていたのだろう。
 元々身バレするようなものは置いていなかったし、あの部屋にも執着なんてものはなかったからいいものの、こちらの意思なんて無関係で強制的に同居を始められたときは流石に白目を剥きたくなった。
 だって、それまでは蘭と竜胆とは顔見知り程度の仲の上司と部下だったのに、役立たずになった瞬間同居って、手順が諸々可笑しい。
 そんな疑問を直接蘭に聞いたことがあった。
「どうして役立たずの私を引き取ったのですか?」
「お前が役立たずかどうかは、お前じゃなくて俺らが決める」
 とまぁ、何とも蘭らしい回答に私は当時心底頭を抱えた。何かの隠語か、それとも言葉通りの意味なのか、考え尽くした結果、脳筋には理解できないものだと諦めた。
 こうしてシレっと三人での同居が始まったのがきっかけなのだが、監禁しているにしても、私が何の役に立たないとしても、二人から何も要求されないことに私は暫し居心地の悪さを覚えていた。
 なにかしようにも人の家だし、ハウスキーパーを雇っているので家事なんてする隙が無かった。
 だから、今度は竜胆にたいして蘭と同じような質問をしたら、蘭とはまた別の返答が返ってきた。
「居心地悪い?」
「……いえ。ただ、なにも出来ないので」
 質問を質問で返され、心底困ったのは今でも覚えている。
 それに、竜胆に図星を突かれ、上司の手前、口籠る他なかったことの歯痒さがあった。
 そんな私の気持ちを汲んでくれたのか、竜胆は少し大袈裟に溜息を吐きながら後ろ髪を掻くと、もしかしてさぁ……と言葉を続け、こう言った。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -