ローズドームの作り方

 日本最大の犯罪組織として君臨する梵天にはかつて六本木のカリスマ兄弟と持て囃されていた二人の男が幹部として所属している。
 兄の灰谷蘭は黒と金で編んだこだわりの三つ編みをばっさり切ってしまう。どこか愛らしさを残していた彼はすっかり色気が漂う大人の男性に変わった。外見が変わっただけなので中身は相変わらずのゴーイングマイウェイに突き進む。止められるのは梵天の首領という椅子に腰掛ける濃い隈を瞳に飼う男だけだろう。
 弟の灰谷竜胆は伊達かどうかは分からないが眼鏡を外して幼さの残る顔を曝け出す。某知育菓子を思わせる髪色は落ち着きのある紫色に変わって髪形もウルフカットに。兄に振り回されるのはいつも通りなので反社会的勢力にいるとは思えない貴重な常識人と言える。だが仕事になれば返り血を浴びようとお構いなしに相手を痛め付けるのである意味で兄より面倒。
 梵天の幹部の中で女の噂が最も絶えそうにない兄弟だが彼らは女遊びを一切していない。厳密に言うと天竺という暴走族に所属していた時は多少遊んでいたと言えよう。だが情事に到達することなく相手がその気になってしまえば飽きて捨てるだけ。どんなに可愛らしい美少女であろうと。どんなに色気が溢れる美女であろうと。灰谷兄弟の心を射止める女は現れず。一時期は男色の噂も流れたがすぐに消えた。
 出所は不明だが灰谷兄弟は一輪の薔薇を大事に囲っていると蜜を滴らせるように広がる。誰もが笑い話にしようとしていたが件の兄弟は笑みを浮かべるだけでそれを否定しない。
 その様子を見るだけで分かる者は分かるだろう。蘭と竜胆は身に覚えのない噂を無視するほど優しくない。例の男色の噂については徹底的に原因を血祭りにあげて病院送りにした。兄である蘭が過激なのは周知の事実であるが弟の竜胆がそれはもう大暴れしたことで。彼らの根も葉もない噂をするということは死を招くことであると暗黙の了解が流れた。
 一輪の薔薇の正体を知るのは梵天の幹部だけ。首領は情報として認識するも興味は持たない。仕事の妨げにならないなら好きにしろ精神だ。顔合わせしたことがある面々に薔薇のことを問えば「あれはクローバーだ」と答えた。クローバーはクローバーでもその辺にある三つ葉のように平凡という意味で使われる。可愛くはない。美しくはない。醜悪ではない。普通を体現した平々凡々。
 どこにでもいる存在を薔薇に例えて囲む意味が分からない。特別な繋がりがあるのかと思えば他人だと言われてしまう。ますます理解できなくなり頭を抱えるが考えるだけ無駄だ。無意味に時間を奪われるだけなのだから思考を放棄するべし。頭の片隅にそういう存在がいると残しておけば文句はないだろう。裏切ることなく仕事を完璧にこなすのであれば自由にすればいい。
 兎にも角にも。灰谷兄弟が育てている一輪の薔薇。例えるならば開けてはならないパンドラの箱。興味をそそられるも災いが降り掛かるのを恐れて詮索しないよう口を閉じる。触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに一輪の薔薇は七不思議のように語られた。
 今日も血生臭い案件を片付けた蘭と竜胆は急いで自宅へ向かう。到着すれば電気が点いていない真っ暗な玄関が二人をお出迎え。それを気にすることなく蘭は靴を脱ぎ捨てて奥へと足を動かす。竜胆は靴をきちんと揃えてから追い掛けるようにその背に続く。電気も点けずに進んでいけば光が見えてきたのでそこに向かう。
 ノックもせずに扉を開けば広がるのは一輪の薔薇なんて表現は似合わない普通の光景。緩やかに口角を上げた蘭は本を読んでいる後ろ姿を見て背後から伸し掛かるように乗る。正面に回って顔を覗き込んだ竜胆は呻いているのに気付いて兄に手加減するよう言った。

    ◇ ◆ ◇

「何度も言うけどさ……物で釣らないでよ……」
 手土産を頬張っている私は、新作の化粧品を持つ蘭と、私好みの服を持つ竜胆に、両側から迫られながらも睨み付ける。パーソナルスペースの狭さに戸惑う過去の純粋な自分がなんだか懐かしい。今はごり押しをする兄弟が鬱陶しいとしか思えなくなったので成長を感じる。
 今の私と六本木のカリスマ兄弟こと蘭と竜胆の関係を表すのならヒモとヒモ付き。一般的にヒモは男を表してヒモ付きは女を表すのだけど私たちの場合は違う。なにせヒモの立場にいるのは女の私で。ヒモ付きなのは男である灰谷兄弟なのだ。一般的に知られる肉体関係は一切ない。私は蘭と竜胆の帰りを待つだけなのだ。家事は適当なので家政婦とは自称できない。
 馴れ初めはと聞かれれば私は灰谷兄弟のご近所に住んでいた少し歳上のお姉さんだっただけ。親同士が親しいわけではない。ただ偶然すれ違うだけの関係。さりげなく挨拶をするくらい。時々目が合ったりするだけだ。それ以上でも。それ以下でも。もはや顔見知りとも言えない。なんとも曖昧な距離感と言えるだろう。
 徐々に悪い方向へ進んでいく二人を遠くから眺める一般市民でしかなかったのに。ある日に社会の歯車として日夜働き続けるボロボロの私はお持ち帰りされていた。
 私だけが知っていると思っていたら蘭と竜胆も私を認知していたと言う。まさかの答えに驚きはしたけどそうでなかったら私に関わるわけがない。鈍感ではないので二人が向けている感情の名前は一応分かっているつもりだ。けれど私はそういう意味で見たことがないため互いに口には出さないでいる。
 ずるい関係を引き摺りながら私と蘭と竜胆の三人は円満を保つ。綻びがあれば解けそうに見えるけど意外と強固に結ばれている。関係を結ぶということは長所も短所も見てしまう。最初の印象が大きく変わる可能性だってあるのだ。好きが嫌いになったり。嫌いが好きになったり。はたまた無関心になったり。最終的に残った感情がこのまま関係を維持するかどうかに繋がっていく。
 蘭と竜胆の自宅に居候してから結構な日が流れているけれど嫌とは思わない。むしろこんな快適な暮らしをして良いのだろうか不安が募ってしまうばかりだ。だけど限界をとうに超えている体は布団に沈んでしまうのでこれが現実である。
 蓄積された疲労は取れたけど体が働きたくないと駄々を捏ねて動けない。誰かに「働け」と言われてもすぐ底を突いて倒れてしまうのが落ちだろう。よくあんな職場で働けていたなと感心する。劣悪な雰囲気だったのに何故なのだろうか。周囲が鏡に映る自分と同じ疲れきった顔をしていたからだろう。仕事ってこんなものだと私は納得できる理由を付けたかった。
 あの職場はどうなったのだろうかと気にはなるけど私にはもう関係のないこと。蘭と竜胆のおかげで退職できたのだから考えたくないと頭の中から追い出した。私と同じような状況に置かれている同僚に負担がかからないことを祈るしかない。周りとの交流なんて仕事以外でなかったから確認しようにもできないのである。
「なあ、オレらとデートしようぜ。デ・エ・ト・な?」
「区切らなくても聞こえてるってば……」
「兄ちゃん。無理に誘っても意味がないのは分かってんだろ。コイツはちょっとやそっとじゃ頷かねぇし。意見も曲げてくれねぇ頑固者なんだから」
「そこまで分かってるなら止めてほしいんだけど……」
「それは無理。オレだってデートしたい。オレが選んだ服でオマエを飾りたい」
「化粧は蘭ちゃんが直々にしてやる。オマエをとびっきり可愛いオレらの女にしてやるから安心しろよ♡」
「私の意見って必要だった?」
 逃げ出したいけど左右から迫られているせいで逃げ道を完全に失ってしまう。こうなった蘭と竜胆の気が済むまで付き合うのが一番だが外に出るのは憂鬱。
 仕事を辞めた直後は気付かなかったけど私は人間不信に陥っている。自由になれたのだから出掛けたらどうかと二人に勧められたのだが。人の波が大きくなればなるほど冷や汗が流れて足が竦む。周りが私を邪魔だと言わんばかりに視線を向けてくる。接点がない他人の視線なのに呼吸ができなくて逃げ出した。
 ほんの数分で家へと戻った私は誰もいない空間に息を吐き出す。何もしていないのに重すぎる体を休ませるようソファーに横たわる。服を着替えず化粧もそのままなのだが一歩も動けない。他人の視線が脳裏に過ぎただけで私の体は震え上がる。身を縮めるように丸くなって耳を塞ぐしかできなかった。
 塞ぎ込む私にそっと声を掛けてきたのは一足先に帰宅してきた蘭。自分の世界に閉じ籠ろうとすれば両手を広げて抱き締めてくれる。すりすりと甘えれば蘭は嬉しそうに口角を上げてさらに抱き締める力を強めていく。少し苦しかったけど数多の脅威から私を守ろうとする優しさに思わず縋ってしまう。
 瞳の奥が熱くなってぽろぽろと涙を流せば頭を撫でつつも支離滅裂な私の言葉に耳を傾けてくれる。蘭は口を挟まずにただ相槌を打つだけで嫌なものを全て吐き出させようと私の傍にずっと寄り添った。
 溜め込んでいたものを発散させたのでうとうとと眠気が襲ってくるのだが。いつの間にか帰ってきていた竜胆に抱き上げられてお風呂に直行させられてしまう。隅々まで綺麗にされた私は寝衣を着せられて幼子のように抱き上げられる。普段の私なら暴れるほど嫌がるけれど竜胆の甘やかしに抗うことができずに眠った。
 人間不信になったのは職場でのあれこれが今になって重荷になってきたからだろう。あの時は仕事をしなければ生きていけないと言い聞かせてなんとか奮い立たせていた。雁字搦めに絡み付く鎖から解き放たれたので抑圧されていた恐怖が湧き上がってきたのだ。
 気付かない振りをして無視をしていた人間の視線を向けられるだけで怖くなってしまう。赤の他人が私のことをどう思おうとどうでもいいだろうに。職場でいつも言われていた言葉が脳裏でリピートされる。仕事を完遂できない私は存在する価値がないのだ、と。
 朝から晩まで仕事場にいるのは私がぐずぐずしているせいで仕事が終わらないから。やっと終わったと思ったら朝になっていて家に帰れなくなったなんてよくあることだ。同じような同僚は他にもいるのに私は彼ら以上に仕事ができないから上司に怒られてばかり。褒められたことなんて一度もない。できるようになるまで働くのが当たり前のように言われる。
 誰も助けてくれない毎日に身も心も壊れかけていたところを蘭と竜胆が手を差し伸ばしてくれた。深夜にふらふら歩いていた私が倒れそうになったのを支えてくれたのが始まり。二人は近所に住んでいるよしみで私を放っておけずに自宅へと連れ帰ったのだ。





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