Jack | ナノ


Zerbino


マリウス・ゼルヴィーノは戦争の焼け跡から生まれた怪物であると人は言う。全てを焼き払われた地に現れ、瞬く間にその存在を世に知らしめた男。彼こそ大企業ゼルヴィーノ社の頂点であり、現在この国を二分している派閥の一つ、ゼルヴィーノ派の中枢にいる人物だ。

二年前、ゼルヴィーノは世界最大の研究機関アカデミアにおいて『平和思想教育』について論じた。多額の融資者であり、創立者の一人でもあるマリウス・ゼルヴィーノは会場につめかけた各国の報道陣やアカデミアの学士たちの前で高らかに宣言した。


「あらゆる人種、種族、民族、国家を問わず、ある教育を統一することを推進する。これからは世界中の全ての人間に『平和思想教育』を義務づける。我が国のように、全ての国家に平和思想を義務教育として取り入れるのだ」


人々は驚愕に目を剥き、言葉を失った。だが、すぐに会場は大きくざわめいた。波のように動揺が広がる。その中の一人が叫んだ。


「それはつまり、戦争をなくすためですか?」


その発言に、ざわめきはぴたりと止んだが、あちこちで冷笑がもれた。ゼルヴィーノは目をくるりと回してから、前列に座っていたその若者に対して笑いかけた。


「勉強不足のようだな。ちゃんと予習をしてここに来たかね」


クスクスと笑い声が起こった。若者は顔を真っ赤にした。


「戦争はなくならないだろう。人が己の豊かさを求める限りは。そもそも平和思想教育は戦争をなくすことを目的にしたものではない」


ゼルヴィーノは人々の顔を見渡した。


「私は何も独裁国家が悪いだとか、民主主義が素晴らしいだとか、そんな話をしているわけじゃない。全ての国で、政教分離をすべきだとも思わない。ただ、平和思想を教育として、誰もに義務付けたいだけなんだ。さて、では、ここに我が国の体制が最良だと思う者はいるか?」


ちらほらと手が挙がった。ゼルヴィーノは頷く。


「確かに。ある国に比べたら、そうかもしれない。しかし、だ。現に、今、挙手をしたのは、この場で数人ほどだ。残りの数百名は、自国の体制を最良だとは認めていない。そして、私自身も」

「では、あなたの考える理想の体制とは?」


ある女学士が声を張り上げて問うた。ゼルヴィーノはその瞳をきらりとさせた。


「さあね。まだ辿り着いていないよ。結論を出すには、私はまだ若すぎる」


彼がにやりとすると、会場に和やかな笑いが起こった。


「だが、我が国の法や教育の中には素晴らしいと思わせるものがある。それこそ平和に関する教育だ。君たちのほとんどは、戦争に反対だろう。この中で、血の流れる争いが国民に望まれていると思う者はいるかな?」


今度は一つも手が挙がらなかった。「望まれているはずがない」と誰かが答えた。


「戦いで死ぬのは兵です。戦場に駆り出されるのも国民です。戦争なんて、本当は誰も望んでなんかいません。戦争は権力者のエゴだ」


ゼルヴィーノは頷いてみせた。


「そう、国民は戦争を望んでなどいない。平和が一番だと知っている。ところで、皆さん、ご存知かな。ある国では、異教徒を殺すことを正しいと教えている。また、ある国では他民族を根絶やしにすることを推奨すらしている。そして、殺戮が行われ、大勢が虐殺される。人々は憎しみ合う。武器をとる。そうして、人を殺しただけ英雄になる。なぜだ?君たちはこれが間違っていると思うか?」


ゼルヴィーノは続けた。


「こうした考えを悪しきものと、どうして君たちは一蹴できる?どうして我々はその線引きができる?」


沈黙が訪れた。全ての眼差しが、ゼルヴィーノへと注がれている。


「私たちは、知っているからだ。教わってきたからだ。悲劇を、学んできたからだ。そして、憎しみの連鎖を断ち切るために必要なものも、学んだはずだ。それは、多くの理性と、多くの慈悲だ。理性を働かせるには、戦争を、平和を、知っていなければならない。慈悲の心を持つには、痛みを、人間を知っていなければならない。」


人々は、ゼルヴィーノがこのアカデミアを演壇に選んだ本当の理由を理解した。知ること。学ぶこと。教育は全てを変える力を持っている。戦争と平和を結びつけることができる唯一のものだ。今では当然のことのようだが、ある場所では、我々の常識にも近いことが、まるで未開の地のごとく、知られていない。否、教えられていないのだ。


「戦争は、残念だが、なくならないだろう。戦争は外交の手段だ。しかし、最悪の外交手段であっても、感情の爆発ではない。それは個人と個人の争いではない。そして、それを世界中の人間に教えてやることが、この私の果たさねばならぬ使命だ」


ゼルヴィーノはその理想論を容易く口にした。言うは易い。けれど、彼の言葉は、理想を掲げ、死んでいった偉人たちの光と陰を帯びていた。それを成し遂げるために、どれだけの血が流れることになるのか。決して楽な道程ではない。血と涙の大きな川が横たわるだろう。そして、彼自身が、死よりも重いリスクを負うことになる。


「この教育こそが、平和への第一歩だ」


この日のスピーチは約三十分。たった数分間のことだった。それが彼の人生を大きく変えた。そして、彼を取り巻く全ての人間の人生をも。あの日、あの時、あの場所から、新たな歴史がはじまったのである。






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