Jack | ナノ


Zerbino


レンガの引き敷かれた街並みが夕焼けに染まっている。遠くで、ヴァイオリンの音色がしていた。良し悪しなど、ニケの知るところではない。ニケにとって、ヴァイオリンは馬の尻尾で猫の腸をこすって人の耳をくすぐる、一つの道具に過ぎなかった。が、隣の男にとっては違うであった。彼は調子外れのハミングをして、左手を指揮棒のようにゆらゆらと振っている。


「社長」


夢中になっているのか、呼びかけにも応じない。演奏が終わるのを待つほど、ニケは辛抱強くなかったし、そのような気を利かせる質(たち)でもなかった。


「ゼルヴィーノ社長」


ゼルヴィーノは指揮をする手でニケを制した。気持ち良さそうに指先を踊らせる。部下の顔が苛立ちで露骨に歪んでも、気にした様子もない。慣れた風である。


ニケのもとに頼んでもいない紅茶が運ばれてきた。向こうの空と同じような色をした液体を見下ろしながら、ニケは雇い主である男の気が済むのを待った。


齢六十にもなろうという男が、喫茶店のテラス席で、町に流れる音色に酔って、規則性のない、わけのわからぬ指揮を振っている。


目元に隠しきれぬ皺を持つのに、ゼルヴィーノは若者のような明るさと輝きを保っていた。彼は未だその年に見合わぬ愚かさを持ち続けている。愚かさとは、時に、創造的、支配的エネルギーによって、人の心を鼓舞し、行動に導き、人生に彩りを添える「天賦の才」だ。その意味で、このマリウス・ゼルヴィーノのいう男は事実その才能を持つ人間だった。






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