冷たい空を見上げていた。ひどく目眩がする。きっと脳がぐちゃぐちゃに溶けて、流転しているのだろう。右も左もあべこべになって、上下がなくなる。背中に感じる地面の感触が傾いていく。
帰りたい。あたたかい布団に入り込んで。ほっと息を吐いて。目を閉じて。いつも隣には−−−−。
となりには。
何かがいた。
霞がかかった不透明な記憶を思い起こす。再生する。この名を呼ぶ人がいる。柔らかい声を抱いて眠る。あたたかい温もりを包んだ朝を他に知らない。夢か。現(うつつ)か。
「起きて」
無理だ。起きあがることができない。地に転がったまま、静かに呼吸を繰り返す。目が働いてくる。瞬く。空には何もない。曇った鈍い色が広がっている。
「ジャック」
声がする。薄い膜の向こうから女の子の声がした。光帯びた寝台に浸って、共にいた。細い輪郭が横たわっている。頬を撫でる手の感触。深みのある青色。潤んだ青から、水がこぼれる。
ずっと このまま
心が震えた。いとしくって、涙がこぼれる。消えないでほしい。そばにいてほしい。手を離したくない。いつまでも抱いていたい。それができるなら、もう目を覚まさなくたってかまわない。
「ジャック」
意識が遠のいていく中で、彼女の言葉をきいた。
ずっと
このままだったらいいのに
まぶたの裏側で巡る。大きな瞳が美しく染まっていた。睫の先の露が光っていた。深い青が、鮮やかによみがえってくる。触れて、頬を寄せていた。よすがにした。何度も何度も引き出して、やさしい記憶を愛でた。
「ティー……」
美しい少女の名前を紡いだ。唇からあふれた。想いが、たくさん折り重なって、胸を締めつける。
「起きて」
急速な浮上。見たものは確かな輪郭を持ちはじめる。
「ジャック、やっと、起きた」
涙を浮かべたティーが視界を埋めていた。起きあがろうとすると、骨が軋んで、言うことをきかなかった。痛みに呻いて、身を捩った。
「けがしてるの、動いちゃだめ」
整わない息を巻いて、ティーの濡れた目元に指をやった。
「あんまり、泣くなよ。慰める余裕、ねえから」
体中が鞭打ちにあったみたいに痛む。
「泣いてないで、救急車呼ぶとか……」
「きゅう、きゅう?」
ティーは鼻をすすりながら、首を傾げている。世間知らずもここまでくると致命的だ。
「ジャック、死なないよね」
「お前に殺されるかもな」
「えっ」
まあるくなる目。
乾いた笑いがもれた。
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