「にんじん食べたい」
横に転がっているティーが呟いた。
「食べたい」
ジャックは本から顔をあげて、時計を見た。夕食から、もう六時間以上が経っている。眠る時間だと言ったが、ティーは首を振って、やだやだとぐずっている。
「あまい、にんじん」
何も言わないでいるとティーがむくりと起きあがった。不機嫌に眉根を寄せている。
「ハンバーグのとなりの」
「……にんじんのグラッセだろ」
「グラッセ……」と呟いた唇は薄く引き結ばれた。じっと見つめ合う。ティーは、わがままを言う方ではない。大人しくて、手の掛からない『良い子』だ。
むくれ面と向き合い、ややしてジャックは静かに腰を上げた。
ティーのひとくちに合わせて、にんじんを小さく切っていく。オレンジ色をごろごろ転がして、鍋の中へ。すっかり浸るくらいまで水を張って、バターをひとかけ沈ませる。ブイヨンと塩こしょうを少々。めらめら弱い火でコトコトいうまで煮て、つやつやの橙(だいだい)にフォークがすんなり刺さったら、完成。
ティーは目を潤ませて、もくもくと白い湯気を出す鍋の底のお宝をのぞきこんだ。ちらと見えた薄い肌は桃色に染まって、うきうきしていた。
「もう食べられる?」
「いま食べるのか。お前、さっき歯磨きしてなかったか?」
「もう一回するから大丈夫」
どうしても食べたいそうだ。行儀良く机に座って、お気に入りの匙を握って待っている。
「はい、どうぞ」
「ありがと。いただきます」
「ああ、熱いから気をつけろ」
「ん」
ほくほくのにんじんが、ティーの唇に運ばれていく。「ふうふう」と冷ましてから、ぱくりと一口。
「おいしい……!」
「そうか」
瞳がきらっとする。
そうか。
嬉しいのか。
ジャックは向かいの席に腰を下ろした。もぐもぐとおいしそうに頬を膨らませているティーを眺めやってから、そっと目を伏せた。
ティーのわがままなら、なんだって聞いてやりたいとも思う。『良い子』じゃなくても、良かった。面倒でも気まぐれでも構わなかった。
なんだって付き合ってやるのに。
そう思っていることを自覚して、ジャックは机に額をつけた。何を考えているのだろう。気恥ずかしさを感じて、顔を上げることもできずにいた。
「……明日はハンバーグにするか」
顔を手で覆ったまま、体を起こした。小さな頭がこくこくと頷いたのを横目で認める。ふふふと少女は笑った。
甘えるのが上手で、わがままを言うのが苦手な少女との、ささやかな時間。日付は変わって、また明日がはじまる。
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