酔っぱらった人間など見たことがなかった。
「あー……」
さっきから唸るだけで、ぐったりとして、ふにゃふにゃしている。泥酔した人間を見たことがなかった。おそらくジャックも見せるつもりはなかったのだろう。飲まないと言っていたわりに、次々と酒瓶をあけていったのをティーはそばで見ていた。真っ赤になる様子がおかしくて、止めようともしなかった。今はもう首まで赤い。少し触れて、その熱に動じた。気がつくのが遅すぎた。出来上がってしまっている男は最早まともに話すこともままならない。
帰路につくことも困難なほどに酔って、ふらふら歩く。それでも家に辿り着けたのは、自宅が店のすぐ上の階にあったからだ。
ジャックは頭を壁に擦り付けながら、さっきからもたもたとズボンのポケットを探っている。
「ジャック、早く鍵出して」
「あー……これだ……」
ティーは半ば強引にそれを奪って、鍵穴にさしこんだ。握りを引いて中へ入る。ティーは安堵の息をもらした。
「ほら、ジャックも……」
しかし、ジャックは中に入ろうとしない。彼は、腕を組んで立ったまま眠りの態勢に入っていた。
「もうっ」
太い腕をティーは両手で掴んだ。
「んー……」
大きな体は案外簡単に傾いた。
「ううう……」
おぼつかない足取りの男を、ようやくソファまで連れていった。なんとか座らせる。ティーは額に滲んだ汗を拭って、はあと息を吐いた。隣に座り込んで、ジャックに体を預ける。
「ティー……?」
「なに」
ジャックは眠い瞳をこすりこすり、ぼんやりとティーを見つめた。真っ赤な顔が、にへらと笑う。
「はは、おまえ、かわいいな」
「えっ」
「かわいい」
いつにない締まりのない口元。とろりと潤んだ瞳。このような様は見たことがない。
「かわいいって……?」
おそるおそる訊ねると、ジャックはティーに手を伸ばした。
「好みってことだ。わかるか?」
顔を赤らめて目を潤ませるのは、ティーの番だった。瞳に星が散って、きらめく。
「ジャック……」
女心をときめかせるのは、案外単純な言葉であるらしい。二人の距離が危ういほどに近づいた。男が引き寄せたのではない。少女から。その不埒を働く唇へ。浅く。深く。影は重なった。
彼の頭が正常に動き出すころには、その全てを忘れてしまっているとしても。
「かわいい」は魔法の言葉。
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