「と、」
「頭では分かってる。本当は、一回だって抱くことは許されない。その気持ちを伝えるのだって、蓮を苦しめるだけだってことも。今もこうやって勝手にお前を連れまわして」
虎の腕にきつく抱きしめられ、その心地よい圧迫感に滲んだ涙が目から零れ落ちた。
「それでも…俺はあんたを愛してしまったから。生涯、唯一」
いつだったか、彼は言った。「女なら何人もいる。必要ならば抱くし、いつかは子供だって作らなければならない。けれど、彼女たちを愛したことなんてない。むしろ肌と肌の触れ合いに嫌悪感を抱く。それでもそれも仕事だから。俺は誰も愛さないし、愛せない人間だから」と。
そんな彼が…
「ずるい…」
「悪い」
「…して…どうして、そんなこと…どうせ離れてしまうなら、こんなこと、しない方がいいのに…」
余計に忘れられなくなるから。だからだろうか。お互いに。
でも、それでも考えていることがわからない。もちろん、彼の生きる道に僕が邪魔なのも不必要なのもわかってる。それでも、こんな風に求められてしまったら…期待してしまう。
「蓮」
耳元で囁かれた名前。その重厚感を帯びた低音に、巡っていた思考は一瞬で停止してしまった。
「ごめんな、」
顔が、近づく。
「っ、ん…」
ねえ、どうして…
「は、ぁ…ん、んっ」
なんでそんな顔をするんだろう。
「蓮、れ…ん」
離れない、離れることを拒否するように何度も何度も唇が重なり、吸い付き、舌が絡められる。
肌蹴てぐしゃぐしゃになった浴衣が、完全に腕から抜かれ自分の上半身が露わになってしまった。虎の体は見たことがあるし、触れもした。けれど僕が晒すのは初めてで。彼よりずっと薄い胸板や病的に白い肌を見られてしまい、羞恥で顔が熱くなった。
執拗に唇を重ねてきていたくせに、今はそんな僕の体を凝視しているから、余計に。
「あの、」
「綺麗な、体だな」
「へっ、いや…」
見ないで、と言おうとした僕を遮ったのは、とても切なそうに目を細めた虎の声で。
「傷一つない、綺麗な体だ」
「っ、と…」
傷一つない…虎も浴衣から腕を抜き、僕と同じように腰で絞められた帯によって辛うじて下半身だけを隠すような格好になった。
彼は、まだ塞がったばかりの生々しい傷を晒して。僕にはない、刃物で刺された痕だ。よく見れば似たような傷跡が腕にもある。そういうもののない、綺麗な体ということならば、虎は汚いというのだろうか。
「違うよ…」
自らのばし、彼を抱き寄せた腕は、少しだけ震えていた。
「綺麗なんかじゃないよ」
ぶつかった胸と胸が、お互いの心音を合わせようとしているみたいに追いかけっこしている。まるで、ちゃんと生きてるんだって、主張しているみたいだと思った。
「僕には、何もないだけだよ。…生きてきた証とか、勲章とか。傷がないんじゃない、傷つくことを避けてきたから。自分の意志もなく、誰かの為だけに。貴方みたいに…堂々としていられないから…」
黒い髪は想像していたよりずっと柔らかくて、初めて会ったとき体の奥に残って消えなかった匂いが鼻いっぱいに広がる。
「…それも、違う」
「違わないよ…僕は臆病で、弱い」
「違う。蓮は、他の人間の何倍も優しいだけだ。優しすぎて、自分のことなんて見えてないだけだ」
ゆっくり離れた体、虎の目は細められたままだったけれど、それは確かに微笑んでいた。そっと触れた唇は、喉仏をなぞって降下した。
「え、あ…」
「さすがに男は抱いたことないから、辛かったらすぐ言え」
言い終わるのとほぼ同時に、その口は僕の胸へと吸い付いた。くすぐったくて身を攀じれば、逃げるなというようにしっかり押さえつけられてしまう。
「ふ、ぅ…」
生暖かい舌が、胸を這う。
空調管理された部屋は快適で、上半身には何も纏っていない、肌寒さを感じてもおかしくはないのに…体が熱を帯びていく。熱くて、暑くて…頭がぼーっとして、けれど時折僕を上目使いで見つめてくる彼の瞳に、意識は引き戻される。
「…蓮」
「っ、」
彼の舌が下へいくほど、肩まで伸びた刺青がちらつく。こんなものいらないと、口には出さない虎。口に出さないのは、背負わなければならないものの重さも、それが宿命だということも理解しているからなのか。それを恨むほど、親を恨んではいないからか。ヤクザの組長である父親を、ちゃんと“父親”として慕っているからか。すべて投げ出してしまえるほど、自由の身ではないとわかっているからか。
ただひたすらに、何処へも逃がさないと言うように白虎は彼の背中に住み、虎が死ぬまで同じように生き続ける。
「そんな、泣きそうな顔…するな」
それは彼の父親も、その父親も同じ。そして、彼の子供も同じ。その血を受け継ぐということは、命が宿ったその瞬間から、いろんなものを背負うということ。
「ご、め…」
目の前にやってきた彼の顔。無表情に見せかけたその奥、いつだって感情は滲んでいる。誰にも気づかれてはいけないから、貼り続けたそれ。今はそんなものなくて、いや、もしかしたらあるのかもしれない…どちらにしても僕には彼の表情が読めて。僕だけが分かっていたらいい、僕にだけささらけ出してくれたらいい、それが、僕は嬉しい。
「…泣いて、いいんだよ…」
返事の代わりのような、触れるだけのキス。
そして虎の手が、帯を緩めた。薄い布を割って腿を撫でたその手は、男らしく硬くて、暖かかった。
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