「お待たせ致しました。ご注文はお決まりですか」
「あー…ミルクティーのホットを。蓮は?」
「…っ、ホット、コーヒーを」
「かしこまりました」
それから数分で注文したものは目の前に現れ、「ごゆっくり」なんて気遣いの言葉を残され、タツロウは変わらず上機嫌に笑っていた。
「で、蓮、どうしたんだ」
「…いや、特に話があるわけじゃ、ないんだけど…」
「なのに連絡欲しいって?どうしたんだよ、本当に。何かあったのか」
「……そういうわけでもなくて…ただ、やっと貴方に会えるかも、って思っただけで」
僕とタツロウの話に、槙さんは口を挟もうとしない。静かにミルクティーを啜るだけで、話に耳を傾けている様子もない。
「そんなに、俺には会いたくなかったか?」
「はい、出来れば一生」
きっぱりと即答した僕に、タツロウの顔は一瞬で曇ってしまった。もちろん、僕が悪いという自覚もあるし、言ってはいけないことを言ってしまったということも分かっている。
「本当は、もう会わないままでいようと思ってたんだ。でも、それじゃ貴方が納得しない。それじゃダメだって思ったから…最後に、最後くらいはちゃんと、話をしてみようかな、って」
「蓮、」
「そう決断できたの、ここ何日かなんだよ。だから、まだ整理できてなくて」
温かいコーヒーを一口飲み下し、鼻から抜けた苦味と酸味を味わい、見れないでいたタツロウの目へと、視線を移す。
「っ、」
真っ直ぐに、射抜くように、その瞳は僕を見ていた。無理矢理抑え込んでいた心臓のうるささに目眩がする。酸素が足りない、逃げ出して、虎の瞳を覗き込みたい、そればかりが脳内を支配していく。
「俺の目…見れるようになったのか」
「、見たくないよ、今も」
「でも見てくれてる。それだけで、俺は結構幸せなんだけど」
「そう…でももう、見ないよ。僕はもう、貴方とは会わない」
知らないんだろう。
もうタツロウの部屋に僕の荷物がないこと、まだ僕がギターを弾いていること、僕が病気だということ、そして…僕はもう、タツロウとは何の関係もない人間だということ。きっとタツロウは、何も知らない。
「蓮、頼むから─」
「もう、遅いよ。僕がほしかったものは、もう一生手には入れられない。代わりのものを与えると言われても、タツロウから欲しいものなんてもうないんだ」
「っ、」
「ごめんなさい。でも、これが僕の考え。今までありがとう。本当に、そう思ってる」
全身が心臓になったみたいだ。
どくんどくんと信じられない早さで脈打ち、熱を帯びていく。
「幸せだと思ったことは一度もないけど、タツロウが傍に居てくれた少しの時間は、それでも今の僕の糧になってる。それもまた恨めしく思うけど、でも今は、素直に感謝したい」
“ありがとう”
こんなにも残酷な終わり。
「れ…」
“蓮のギター、これからも楽しみにしてる。頑張れよ、ステージは違うけれど俺はちゃんと見てるから”
タツロウが飲み込んだその言葉を、僕がタツロウ本人から聞くことはない。本当は何もかも知っていて、それでも黙秘したタツロウ。それが答えだった。答えだったということを知るのは、もっとあとになってから。あと何年もして、不意に目についた雑誌か何かのインタビューで、目にする。まだ誰も知らない先の話だけれど。だから、今の僕は知らない。
残りのコーヒーを一気に嚥下し、立ち上がる。
「じゃあ、僕帰るね」
「……」
「蓮、子供じゃないんだから、勝手なこと言わないで」
「ごめんなさい槙さん。僕は、貴女が思ってるよりずっとずっと子供です。だから、僕のこと、貴女からタツロウに話すことも許しません。何も、言わないでください」
もう少し。
もう少しだけ、我慢。
「失礼します。さようなら」
“タツロウさん”
僕は最後の最後まで、彼をそう呼んだ。
カフェを出たのはまだ昼で、けれど一人になりたくて久しぶりの都内をさ迷った。何も考えないで、ただ建物と人を、散歩する犬を、空を鳥を、眺めていた。
また、彼に会えるだろうか。
何でもない顔をして、笑えるだろうか。ただひとつ言えるのは、彼のおかげでタツロウと縁を切れたということ。やっと、面と向かって話ができた。もう何年も、避け続けてきたことだった。
世界はまた少し、鮮やかさを増した。
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