「……気づいて、欲しかった…からかな?まあ最初に言えなかったから、それを今さら言うのもなっていうのもあったし…でも君の口からあの時のことを聞いて、やっぱり君からも気づいて欲しくなった」
「…手…」
「え?」
「手だよ…俺、あの時の手だけは忘れたことなかったのに。ピアノは、今初めて聞いたけど、ちゃんと気づけた。…でもそれ以上に、手はもっとよく覚えてたのに」
絡めた手が、園村によって解かれる。
「それは…君の手が、大きくなったからじゃないかな」
「…は?」
「ほら、こんなに大きくなってるんだもの」
掌と掌がぴたりと合わさり、俺の手に園村の手はすっぽりと隠された。
「あの小さかった手が覚えているものに、僕の手は小さすぎるだろうから」
「っ…」
彼の、言う通りだ。
あの時俺より大きかった手が、今は俺より小さいなんて、考えもしなかった。というより、あの光景が映像として残っていて、触れた瞬間もワンシーンで、変わっているなんて思いもしなかった。
「僕だって、この手があの小さな手だとは思えないよ。知っていても、気づけない。…もちろん、今はちゃんと、この手が君の…愛嬌くんの手だって分かるけどね」
ゆるゆると園村の指が俺の指を撫で、再び絡んだ。
紛れもない、あの手だ。俺が、恋い焦がれ続けた、あの手。
「……ギター…園村、もうギターは弾いてないのか」
「へ?あ、ああ…さすがにエレキはね、もうほとんど…最近はピアノの方が多いかな。それに、ここにギターを持ち込むのはね…」
「そうか」
ギターを選んでも、ピアノを選んでいても、“音楽”では出会えなかったのかもしれない。それでも、俺はギターを始めて…結果として彼に会えた。
「ふふっミュージシャンじゃなくて、教師になって良かった。…結局、僕は音楽を趣味にしか選ばなかったんだ。メンバーと違う考えじゃダメだったしね。でも、音楽をずっと好きでいられて、それで君と再会できたとき一緒に演奏できたらいいなって思った」
「…馬鹿かよ」
「大人に馬鹿って言わないの」
「そんなに変わらないだろ」
「一回り…以上。愛嬌くんなにしてみたらおじさんでしょ」
「は?」
にこにこと俺を見上げる彼に、思わず間抜けな声が出た。
一回り…あれは11年前、園村は大学生で…
「今年32になるんだよ」
「……」
そうか、そのくらいだ。
普通に考えてそれは分かる。分かるけれど…
「詐欺だ」
見えない。 30越えてるようには見えないのだ。
せいぜい24、5。まだ大学出たばかりの青年にしか見えない。確かに、たった今彼がピアノを弾く姿を見て、あの時の園村とだぶって見えた。疑いようもないほどそのままだった。
「見えない?」
「全然、全く見えない」
14も年上には到底見えないし思えない。
童顔と言うわけではないのに…
「さて、そろそろ退散しようかな」
椅子から腰をあげた園村は、繋がれた手を困ったように見つめた。
「…愛嬌くん、手を─」
「もう少し…ピアノ、弾いてくれない?」
「え?あ、うん…いい、けど」
「あの、時の…」
「ふふっ弾けるかなあ」
椅子に座り直し、離れた手を鍵盤に置くのを確認して、俺も隣へ腰をおろした。二人くらいなら座れる椅子だが、大人の男二人は少しだけ窮屈だった。それでも、間近でその手を見たくて、体を寄せた。触れる肩の暖かさにひどく安堵したのは、きっとこれが夢じゃないと思えたから。
それから園村はひとつ息をついて、綺麗な指を滑らせた。
奏でられたのは、たしかに俺の記憶の中にあるものだった。上手い下手など分からないくせに、聞き惚れてしまったあの音色。俺の人生を変えたもの。俺に与えられた唯一。渇望し続けた人。
そして、それは俺が心を許す数少ない人で。触れたくてしかない人で。
ぴったり重なったことより、俺は人生で二度、同じ人を好きになっていたのだと気づいたことに、心臓が高鳴った。
「園村…」
終わってしまう。まだずっと聞いていたい。見ていたい。触れていたい。
音色が途切れ、余韻が消える直前、俺は園村の腰に手を回して抱き寄せた。
「っ、あ、愛嬌…くん?」
やっぱり暖かい彼に、胸が一杯になる。
「俺、あの日からあんたが好きだった」
「っ…!」
勝手に口から出た言葉に、自分でも驚いた。でも…
「けど、保健室の“園村”のことを好きになった」
それは本当のこと。紛れもない真実。
ゆっくりと体を離せば、ほんのりと頬を染めた園村が困惑の表情を浮かべて俺を見た。綺麗な瞳に、吸い込まれそうになる。
「好き。園村」
「っ、愛嬌くん…だ、だめ、待って」
自然と重ねにいった唇を、園村の指が止めた。
「あの…ちょっと、待って」
すぐそこに、園村の顔…
まだ白衣を着ていない所為か、初めて抱き寄せたからから、彼の体のラインを感じて、ぞくりとした。男の体。なのに、欲情した自分がいる。
「えっと…」
そうだ、彼は男で、教師。
園村は真面目で誠実な人間…つまり、生徒である俺を受け入れることはない…
「僕は男だし、おじさんだし、何より先生だから」
「…ふっ、想像通りのこと、言った」
「こ、こら…顔…」
「別に、今すぐどうこうしない。…ただ…園村が距離縮めてきたんだからな?」
キスはしない。
というか、手は出さないでおくべきだ、まだ。
「喋り方。いつもより大分砕けてる」
「あっ…」
「…コーヒー淹れてくれてたのも、俺だったから?」
「え、あ、うん…初めは…」
慌てて口調を直そうとしたのか、しどろもどろになりながら園村は頷いた。
「でも、愛嬌くんと一休みするの、楽しみになってたんですよ」
「別に、直さなくていいけど」
「せめて、です」
「せめて?」
「出来るだけ、教師らしくしてたいので」
確かにこの方がしっくりくるけれど。俺としては砕けた喋り方のほうがいい。俺だけにそうしてくれたら嬉しい。なんて、女々しいことを思った。
「…まあ、なんでもいいんだけど…俺が園村のこと好きって事は、頭に置いといて。卒業するまでは俺も我慢するし」
「っ愛嬌くん…」
「でも、今だけはちょっと抱き締めさせて」
園村の首元に顔を埋め、香水の匂いだかシャンプーの匂いだかに鼻腔を擽られた。園村の匂いだ。
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