Tiger x Lotus parallel | ナノ


怪我をした日から数日。
あれから保健室に足を運んでいない。と言っても1週間ほどなのだが。

けれどその日の経つ遅さは恐ろしいほどだった。そう思うなら、行けばいいだけのこと。何故行かないのか。

「虎ー。おーい?」

行けない理由なんて、ない。
ないのに、何故か園村に会いたくなかった。会ったら、またこの胸に聞きたいこと知りたいこと解りたいことが増えてしまいそうで。彼の苦しさを隠した微笑みを直視するのが怖くて。

「とーらちゃーん」

「…んだよ、うるさいな」

「いや、じゃあ返事して。で、お前最近どうしたわけ?」

器用にドラムスティックを手で回す天城達郎は、さして興味無さげに問うてきた。

「別に」

「別にってこぁねぇだろ」

「タツには関係ねえ」

「じゃあ頼むからギター弾いてくれよ」

自分とタツしかいない狭いそこで、俺はアンプに腰を下ろしたままぼーっとしていたらしかった。肩からかけたギターの重みに、やっと気づいた。


「…今日は帰る」

「はぁ!?あ、おい!」

ギターケースへとそれを押し込み、第2音楽準備室を出た。戸締まりをするし、ここを使うのは自分達だけだから置いていっても問題はない。練習する気分でもないから置いていく。


「虎!」

ため息をひとつ、つこうとして後ろから肩を掴まれ息が止まった。タツの、でかくてゴツい手だ。綺麗の欠片もない、男の手。そして馬鹿力。

「っんだよ」

「明日、7時半前に学校来い」

「…は?」

「いいもの見せてやるから、な?」

「無理」

むかつく。俺よりでかいのもいちいちキラキラして見えるのも、とにかくうるさいのも嫌いだ。なのに、彼のリズムだけはどうしようもなく心地いいと思える。それが余計にむかつくのだ。

「じゃあ明日迎えにいくから」

「だから、む─」

「7時な!絶対行くから」

「タツ、お前な…」

「今の虎ちゃんをどうにかできるかもなんだ」

満面の笑みを浮かべて俺を見下ろすタツ。やっぱりムカつく。

「って、俺は賭けてんの!じゃあ明日な!絶対起きろよ!!」

「っ…」

俺の何を、どうにかできるというのだ。
俺自身よくわからないこの心境を、達郎がどうして手を差し伸べようとする。


イライラは消えず、眠りにつくまでそれは変わらなかった。
そして翌日の早朝、俺はタツの鬼電で目を覚ますことはなく、代わりに思い切り布団をめくられることとなった。


「虎!!」

「っ、」

枕元に置いていた目覚まし時計の音は、まだ一度も響いていない。つまり、いつも起きる時間ではない。けれど誰かに名前を呼ばれ、それは確実に母親のものではなく。

「起きろ、迎えに来たぞ」

「……」

「お袋さんに許可はもらったぞ、ほらさっさと起きろ」

逞しい腕に無理矢理起こされ、状況をのみ込めない混乱した頭の隅で昨日のタツとの別れ際のことを思い出した。

“虎ちゃんをどうにかできるかもなんだ”
“迎えに行く”


「……んとに…来たのかよ…」

ハンガーにかけてあった制服に着替えさせられ、ネクタイをしめられ、強引に部屋を出れば、リビングでは母親が弁当と朝食らしいおにぎりを袋に入れて待っていた。
タツはそんな母親に馬鹿みたいにでかい声で挨拶をして家を出た。
もうすぐ衣替えの季節。日の登りきっていない空の下、夏を迎えるというのにシャツ一枚はまだ肌寒かった。


「おらっ乗れ乗れ」

「……は」

「後ろ!こ・こ!」

学校までは徒歩20分。8時に出れば余裕で間に合う距離に学校はある。だが、只今時刻は7時10分。タツは自分の自転車に跨がり、荷台を乱暴に叩いて俺を見ている。

「何…」

1時間も睡眠を奪われ、訳もわからず後ろに乗れと言うのか。

「早くしろ、見せたいものがあるんだって!」

「だから─」

「いいからさっさと乗れ!」

近所迷惑だと言いたくなるほどの大きな声。腕を引かれて強制的にそこへ跨がらせられ、自転車は発進した。広い背中と自分より高い位置にある頭を眺めるのさえ億劫で目を閉じた。全く意味がわからない。眠たい。帰りたい。
でかい男がこんなに朝早く自転車を二人乗りして…一体何が待っているっていうんだ。目を閉じてそんなことを考えている間、タツは徒歩20分の道を自転車をかっ飛ばして5分ほどで通りすぎた。

「よし、降りろ、行くぞ」

学校の校門をくぐり、自転車置き場で停車したそれから引きずり下ろされ、またも腕を引かれて校舎内へと駆け込んだ。昇降口に靴を脱ぎ捨て、そのまま階段を上がる。
まだ目の覚めきらない体にはものすごく苦痛で、けれど開け放された窓からは何も聞こえず、野球部でさえもまだ朝練を開始していないことに気づいた。なのに俺は大男に手を引かれて階段を駆け上がっているなんて。

「……黙ってろって、言われてんだけど…」

のぼりながら、タツはぽつりと呟いた。そしてまた言葉を足していく。

「結構前なんだけど、学校に宿題忘れた時朝早く来てさ、その時、こっちの棟の廊下歩いてるのが見えて、後追ってみたら…」

それでも引っ張られるままに上階を目指し、不意に足は止められた。タツが足を止めたのは、3階と4階を繋ぐ階段の踊り場。

その先にあるのは、自分たちが放課後足を運ぶ場所だった。まさか朝から練習すると言うのか、他の誰かと演奏するのか、面倒だ、そんな考えがめぐる。

しかし、立ち止まったことで聞こえてきたピアノの音色に、すべての思考がシャットアウトされた。えっと思うより先に、タツは階段を上がれと俺を促す。階段を上って、正面に見える“第2音楽準備室”こそ俺たちの部活の活動場所で…けれどそこにピアノはない。あるのはその隣“第2音楽室”。ほとんど使われることのない特別教室。


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