「……それで?」
「っ、だから…」
「興味本位じゃないなら、お前は拒否しないのか」
「それは…」
「もし…」
俺の胸を押す白い手を握り、その目を覗く。
「俺が本気で、お前とどうにかなりたいと言ったら、お前は俺を、受け入れるのか」
「っ」
また、返事はなかった。いや…見逃しただけかもしれない。彼の言葉を聞く前に、唇を塞いでしまったから。
「は、っん…ぅ、あ…」
こんなに夢中になってキスしたのも初めてだった。そう、何もかも、この男は俺の“初めて”を持っていった。初恋、一目惚れ、興奮、愛情。本当に多くの、初めてを。
それから、どれだけ時間が経ったか分からないほど長くキスを落とした。このまま永遠に、していられたらいいのに。理性を保ちながら、そんなことを思って、一秒でも長く唇を重ねようとしていた。
その日から、俺の世界は色を変えた。
「……蓮」
───…
「ねぇ、どうしたの」
「……」
「虎ぁ?」
「…離せ」
それまで適当に出来ていたはずのセックスができなくなった。誰のことも抱けなくなってしまった。その気になれば出来るのだろうか…まずその“その気”にならない時点で答え合わせもできないのだから仕方がない。
「え、ちょ…」
好きだった、というわけではない。ただ、自分とは違う華奢で柔らかい体と肌を重ねる、その行為に快楽を得ていた。
「悪いけど、勃ちそうにないから」
「はぁ!?」と、腕に絡み付いていた細い指が離れていった。そのまま歩き出した俺の背に、怒鳴りに似た悲鳴が響いた気がしたけれど、振り返ることはしなかった。
可愛い、綺麗 、スタイルが良い、今はどんな異性を見ても、誘われても、靡かないんだと思う。そんな彼女達よりも美しく魅惑的な生き物に、俺は触れてしまったから。
「園村ー。ノートありがとなー」
「あ、うん」
「ほんと、園村のノート見易いよ」
自分の席に着くなり、斜め前に座るその声が聞こえ、思わず眉を寄せてしまった。
三日前、俺だけに向けられていた彼の声が甦る。あの日から、園村蓮は俺を見ない。見ないようにしているのか、相変わらず気配を消すように、そこに存在していた。
「そんなことないよ」
相変わらず白い顔だ。
けれど、三日前まではもっと白く、そして青く、病的に窶れているように見えていた。それが今は色白の美少年に戻り、儚げに微笑んでいる。俺だけが知っている、その理由。触れようと思えば触れられる距離に居ながら、手を伸ばすことが出来ない。唇にはまだ、彼の熱が残っているというのに。
「いや、まじまじ。ほんとサンキューな」
「…どういたしまして」
嫌でも目に入るところで、クラスメイトが園村に笑顔を向けている。
「あ、虎〜」
その目が俺を見つけ、園村から離れた。珍しく五限までに戻ってきたんだな、とヘラヘラ笑いながら言われ、別になんてことない言葉のはずなのに無性に苛ついた。
「まあ」
「昼休みは毎日、違う子とヤッてるんだろ」
ああ、なんだこれ。何を言われても大して気にしない、そう、気にならないはずなのに。園村にも聞こえてると思うと妙にそわそわする。もちろん、俺はもう園村に惚れてるって認めてるし自覚もしてる。ただ、それと今のこの感覚と何が関係しているのかは分からない。
「そんな睨むなよー」
「……どけ」
「え、おい」
「触るな」と、背を向けたところで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。男が言ったことは事実だけど、やっぱりムカついた。
「あ、おい、愛嬌。授業始めるぞ」
ドアですれ違った教師に声をかけたものの俺の意識には届かなかった。そのまま屋上に行こうかと思い、けれど今日は雨だったと気づく。三日前梅雨入りしたんだった。いつもは解放されている窓も、今は雨の侵入を防ぐ為にぴったりと閉められている。その所為で雨独特の湿気臭い匂いが充満していて、うんざりしてしまう。
既に階段を登り始めてしまったため、そのまま上の階へ向かった。使われていない相談室で少し眠ろう、そう考えながら。
授業の始まった校内は、不気味な静けさに包まれていた。雨が地面や窓を打つザーザーという音だけが響いている。俺は埃っぽい相談室へ体を滑り込ませ長椅子に寝転んだ。そのまま目を閉じ、すべての思考をシャットダウンした。
『ガラガラッ』
どれだけ眠っていたのかは分からないが、不意にドアを開ける音が聞こえ、反射的に目を開けてしまった。
「っ……」
「…誰」
瞼は上げたものの、視界は霞んでいる。ドアのところに黒いシルエットが浮かんでいるのは確かで、でも形は分からない。
「あ…すいません……」
俺の存在に気づき、慌てた声が聞こえた。
聞き覚えのある、あの震えた声だ。
「……園村?」
「っ、あ…」
上半身を起こし、滲む視界をクリアにさせるために目元を擦る。ドアの前にはやっぱり、園村蓮の姿。
「ご、ごめ…出てく、から…」
「サボりか」
恐らく、誰も居ないと思ってここへ来たのだろう。ここに足を運ぶ奴なんてほとんどいないだろうから。俺だってそうだ。雨でなければ屋上か、もっと綺麗な空き教室へ行く。ここに来るのは稀なことのだ。きっと、みんな同じだろう。こんな埃っぽい場所を、好んで選びはしないはず。
「……」
「そんなに、警戒するなよ」
立ち上がった俺に怯えるように、園村は肩を震わせた。ゆっくり歩み寄れば、一歩下がってしまう。
「……蓮」
手を伸ばし、やっと園村の頬に触れた指先。
白くて、滑らかな、頬。
「愛嬌く…」
三日前の感触が蘇る。
「ご、ごめ…も、行くから、離し…」
「俺、本気なんだけど」
「っあ、の…」
雨の所為だろうか、園村の匂いが濃い。
顔を寄せて、焦げ茶色の瞳を覗くと思い切り胸を押された。
「ダメッ…」
一歩後退した俺と園村の間に僅かな距離が出来た。園村は綺麗な瞳に涙を浮かべながら、息をつく。
「ほんとに…やめて……僕は、もう…誰も、殺したくない」
「お前になら、殺されてもいいよ」
「っ、だから…」
本当にそう思った。この男に血を吸われながら、そのまま死ぬなんて、それほど美しい死に方は他にないかもしれない、と。俺は相当彼に惹かれている 。そうでなければそんなこと、思うはずない。そうだ、俺にとって園村蓮を好きになったのは“初恋”。だから、さっき教室で見た光景に苛ついた正体は、“嫉妬”。今こうして触れたくて堪らないのは、“愛情”。誰にも触れてほしくないと思うのは、“独占欲”。
そんな感情を、俺は今まで抱いたことが無かったのだ。だから分からなかった。
「殺したくなったら、先にお前を殺してやる」
「何、言って…」
「俺の血を吸いながら、死なせてやる」
体の距離を縮めるために、ドアを閉めてその板に園村の肩を押し付けた。
「その代わり」
頬に触れたままだった手は、顔を背けられないようにしっかりと固定させて。
「俺のものになって」
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