31 | ナノ

 そして演奏もすごいものだ。自分たちの演奏がお粗末なお遊戯レベルの演奏だったのではないかと思わせてしまうほどの演奏だ。コンクールでもそうでないイベントでも彼らは本気で演奏しているのが伝わってくる。さすが彩嘉、と誰かが言う声がした。僕もその言葉にうなずきたくなるくらい、そのくらい圧倒的なものだった。

 演奏の後半に入ったと思われるところでクラリネットの一人が立ち上がった。そしてマイクの前へと歩いていく。紫苑先輩だ。
 ソロパートを吹く前のわずかな時間、ぐるりと彼は客席を見た。そして勘違いであってほしいけれど紫苑先輩がこちらを見ている気がしたのだ。ヒュッと息を飲む。見ていろと言われているような、逃げるなと言われているようなそんな
 多くの観客から視線を向けられているのにも関わらず、彼はとても堂々とそして会場を圧倒するような演奏をした。
 聴いているだけでも難しいものだとわかるそれを先輩はやってのけた。
 ソロパートを演奏し終えると大きな拍手が起こった。先輩は一礼をして椅子に戻っていく。やってのけたと喜ぶ様子もなくこれくらいできて当然といった表情で、中学時代の先輩と変わらないなと思いながらもどこか遠い存在になってしまったような気がした。

 彩嘉の演奏が終わった後拍手が鳴りやまずホールに響いていた。
 暗転しステージ上にいた演奏者が退場していくなか客席に小さく手を振っている人がいた。顔ははっきり見えないがあれは妹だろう。妹はよくイベントの最後にあんなことをやっている。
 一種のファンサービスのようなものなのだろうか。妹の行動にどんな意味があるのか僕にはさっぱりわからないが、あんな難しい演奏をした後でも余裕があることに実力の違いを見せつけられたような気がした。

 帰りのバスは皆疲れ切っているのか朝よりも話し声が聞こえない。高校に戻ると楽器を音楽室に戻す作業が待っている。学校に戻るまでのわずかな時間、少しでも疲れを取ろうと眠ってしまったのだろう。
 窓の外、学校までの道のりをぼんやりと眺めながら時間が過ぎるのを待っていると先輩、と隣から声をかけられた。
「吹祭お疲れさまでした」
「尚哉君こそお疲れさま。一年生は楽器の搬入とか積極的に動いてくれて助かったよ」
 隣の座席に座っていた尚哉君は寝ていなかったらしく背もたれにもたれていた体を起こし僕に話しかけた。
「今日の彩嘉の演奏はすごかったね。まさか紫苑先輩のソロを見られるなんて思ってもいなかったし」
「そうですね。でもまあ、あの人ならそれくらい造作もないことなんでしょう」
「やっぱり才能と努力の差なのかな。やっぱりレベルが違うね」
「あの、先輩。部活辞めないでくださいね」
「何? いきなり。辞めないよ」
 いきなりどうしたのと笑いかける。
「昔の先輩は同じ顔していましたから。いつかふらっといなくなるようなそんな感じがしたので」
 確かにそんな考えも浮かんだことはある。逃げてしまえば、吹奏楽を辞めてしまえばそんなことをつい考えてしまうのだ。けれど結局は吹奏楽を辞める決心はつかなかった。
「先輩が吹奏楽を辞めていなくて俺は嬉しかったんです。初めて演奏を聴いた時から先輩は俺の憧れで、まだまだ先輩と演奏したかったので」
 僕は彼にそんなことを言ってもらえるほどの何かをしたわけではなかった。それなのにこうして慕ってくれているのが嬉しくて、そんな彼がいるのなら案外悪くない部活動になりそうだ。という予感がするのだ。



   もくじ   エピローグ
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -