32 | ナノ
「緊張している?」
隣にいた尚哉君にこっそり声をかけた。出番を待っている舞台裏でふと隣を見ると緊張しているように見えたからだ。僕の言葉を聞いて少し驚きながらも頷いた。
聞こえてくる音楽に少し耳を傾けながら待つ。この時間は少し緊張するものの演奏が間近で聞ける楽しい時間だ。けれども、彼にとってはそうでないらしい。
「なんかさ緊張はするけれど楽しくない? こんな間近で音楽が聴けるってコンクールとか以外だとないから。得した気分にならない?」
「よく本番前にそんなことを思えますね。こっちは手が震えているのに」
呆れたように尚也君は言った。
「去年、急に先輩にそんなこと言われていたのを思い出してさ、僕も同じようなことを言ったよ。そしたら賞を気にするより楽しめって言われて。中学の時だとこんなこと考えることさえできなかった。その言葉で心に少し余裕ができたから」
尚哉君も昔のように考えているのならそうではないと言いたかったのだ。
しばらくすると演奏が止み暗転する。やれることはやってきた。後は本番だけ。ガラガラと楽器を運搬する音が聞こえ、皆がステージに向かって歩き始めた。
「楽しめるかはわかりませんがまあやってみますよ」
すれ違いざまに尚哉君はそう言ってステージへと向かった。
譜面台の楽譜のページを開き椅子に座る。相変わらずクラリネットは一番前の席、暗闇の中でもうっすらと人の顔が見えた。ステージ上に集まる客席からの視線が集まってくるのを感じる。
どこかの席で妹や紫苑先輩が見ているだろう。けれどもそんなことは気にならなかった。
指揮棒が上がると同時に楽器を構え、すうっと息を吸った。
END
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