▼ 白の記憶
(あの人、また違う女の子連れてる。よくやるなぁ。)
世界各国旅をして数ヶ月ぶりに戻ってきた日本。そのバーに立ち寄ったのはたまたまだった。そろそろ旅も限界だったからこの街がきっと最後になるだろうってそう思っていて。そんなときに出会ったいつも違う女の子と一緒の彼。モテるんだろうなって思いながら眺めていただけだったのに、気がつけばその瞳を追いかけるようになっていた。ここにいるのにどこか遠くを見てるような、何かを探してるような深く吸い込まれそうな黒い瞳。なぜだかとても引きつけられて思わず話しかけたのが最初。
「電話、でないの?」
きっと初めから私は鉄朗君に惹かれていた。
それでも深く関わるつもりなんてなかったの。ただ旅の終わり、通り過ぎるだけの人のはずだったのに。この人に’私’のことを覚えていてほしいと、どうしようもなく思ってしまったのは私の弱さ。
俺はずっとこうやって一緒にいたいと思ってるよ。
その言葉が涙が出るくらい嬉しかったなんて今さら言っても信じてもらえないよね。分かったような事言って1人になるのが怖くて寂しかったのは私の方だ。
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当時は俗に言うキャリアウーマンだった。時間に追われ、仕事に追われ、プライベートを犠牲にしていたけれど日々張り合いがあって充実感はあったから漠然とこんな毎日が続いていくんだと疑問に思うことはなかった。スーツを着て高めのヒールを履き、早足で高層ビル群の中を通勤する。後から思うとあの頃はそんな自分に酔っていたのかもしれないな。彼氏という人はいなかったけど時々1人の夜を紛らわせるくらいの人はいたから特別寂しいなんて思うことはなくてそれでいいって思ってた。
きっかけは毎年恒例の健康診断。再検査とハンコが押されたその紙を持って軽い気持ちで病院へ行った。
「手術、ですか…?」
思いがけず聞かされた言葉。足元からガラガラと何かが崩れていくみたいで力が入らず立っていられなくなった。それからその日の先生の話はよく覚えていない。まるで現実味がなく、どうしていいのか分からず逃げるように何日も遊び歩いたような気がする。考えないようにすればするほど考えてしまうなんていうのはありがちな話で。しばらく経って私は結論を出すこととなる。
「少し時間をください。」
ある日ふとつけたテレビ。普通の旅番組だったんだけれど画面の向こうには壮大な景色が写っていた。そういえば旅なんてしたことないなぁなんて思ったのと行きたいと強く思ったのは同時。
その1ヶ月後には親や主治医の反対を押し切って荷物をかかえて飛行機に飛び乗っていた。不幸を嘆くことはいつだって出来る。だからどうせなら笑って今は前を向こうと決めた。
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「寒いと思ったら雪かぁ。」
何年振りかに帰ってきた故郷は昔となにも変わらなくてちょっと安心した。昔よく通ったコンビニを出たところで空を見上げれば夜の空に白い雪が舞っている。はぁと息を吐けば白い煙が空へ伸びていき、その先を目で追うと大きな月が浮かんでいて暗い田舎道を明るく照らしてくれていた。
鉄朗君と初めて話した夜もこんな月だったなぁ。
目を閉じれば思い出す。その手の感触も、大きな背中も、意地悪そうに笑った顔も、私の名前を呼ぶ低くて優しい声だって。自分から手放した暖かいぬくもりはたぶんこれから時間とともに褪せていくのだろう。
「もしかして七海?」
この辺は都会と違い夜に出歩く人なんていないから正面から人が来てしかも話しかけられて驚いて肩が跳ねる。
「あ…えっ、澤村君?」
「久しぶりだな。高校卒業以来?東京で就職したって聞いてたけどこっち戻ってきたのか?」
「本当に久しぶり。そうなの。ちょっと前に仕事辞めて、旅人して、先週実家に戻ってきたところ。」
「旅人?」
目を丸くして驚いているのは高校の同級生の澤村大地。地元に残ってる人なんてまだいたんだなと思いながら久しぶりの話に花が咲く。
なんていうか、変わってんね 。
今だから言うけど最初はどんな不思議ちゃんかと思ったからね。こんなに好きになるとも思わなかったけど。それでもこんな瞬間にも思い出すのは君の顔で。
「どうかした?」
「…ううん。そんな感じで旅はもう終わったから今は色々準備中ってところかな。」
「はは、そういう不思議なとこ変わんないな。しばらくこっちいるんだったら今度飯でも行かない?」
新しい携帯で澤村君と連絡先を交換して律儀な彼に送ってもらい家に帰る。リビングに行けばお母さんがお茶をすすりながら雪積もるみたいよと窓の外を眺めていた。
深く傷つけてしまった私が心配するのは間違っている。それでもどうか鉄朗君が早く私のことを忘れてくれますようにと白い雪に祈った。
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