物語のはじまり

莇にメイクをしてもらって鏡に向かっている最中。こちらをチラチラ見てる気配と背中から聞こえてくる声。

「いい子ですよね〜。なんでよりによって先輩なのか。」
「茅ヶ崎聞こえてるぞ。」
「チカゲ女ったらしネ!いつもはオンナノコに興味ないふりしてるのにズルイヨ〜。マリたぶらかされてるネ!」
「まじでクソハレンチメガネだな…」
「俺がいつたぶらかしたんだ。」

言いたい放題の莇と春組のメンバーに何度目かわからないため息をついてそれからは聞こえないふりで押し通すことにした。

このめんどくさい事態。
きっかけは少し前に遡る。

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なんの前触れもなく出会った彼女。ひとめぼれだと言われたのは冬組の再演をやっていたある日の公演終わりだった。

「聞きましたよ。女子大生の告白イベあったみたいじゃないですか。そこんとこ詳しく。」
「…万里だな。」

部屋に帰るとなぜかさっきのことを茅ヶ崎が知っていてゲームを一時中止させて口角をあげながらこちらを向いた。

万里の友達だという彼女、七海マリ。だいぶ突拍子もないことを言ってきた。ひとめぼれ?意味がわからない。

もちろん考える間もなく反射的に断ろうとした。メンタルが強いのかなんなのか、それでも食い下がってきた彼女になぜか万里も加勢してきた結果なし崩し的にこれから関わることを了承することとなってしまった。付き合う訳ではないもののかなりめんどくさい展開だ。

そもそも女が嫌いだし彼女なんて作る気はさらさらない。下手に期待をさせるくらいならバッサリ断った方が相手のためでもあるんじゃないだろうか。まぁきっと相手にされないと分かったらそのうち諦めてくれるだろうとは思うけど。

「分かんないですよ。何かがきっかけでほだされちゃうことだってあるかもしれないし。」
「ありえない。」
「厳しい。」

どうしてあそこで拒否しきれなかったのか。

その理由は自分でも実ははっきり分からない。

だけど、しいていうなら人なつこい彼女の笑顔がお人好ししかいないこの劇団の皆がもつ雰囲気に似てたのかもしれない。つくづく俺も甘くなったものだ。

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仕事熱心な彼女はあっという間にカンパニーの皆に溶け込んでいて、その結果俺はいつもあることないこと散々な言われようだ。今度は先に準備を終えた綴が立ち上がった。

「て言っても千景さんマリちゃんに外ヅラ作ってないっすよね。」
「そう?」
「だから余計に冷たく感じるとか。」
「それはフォローしてるつもりなのかな?」

初対面であまりにも突拍子がなかったせいでしかないと思うけど。冷たくしてるつもりはない。でもむやみに優しくしたって相手のためにはならないという俺の言い分はこの場ではなかなか聞いてもらえないらしい。

**

それから数日後。
珍しく楽屋に忘れ物をして取りに戻ったときのこと。

帰り際、劇場から聞こえてきた物音。こんな時間に支配人でも残っているのかとドアを開けると舞台の上にいたのは彼女だった。

思わず息を飲んで足がとまる。踊っているその場所だけ不思議とスポットライトが当たっているようにみえるたから。

ゆっくりとした動きなのに、その姿から目を離せず声をかけることを忘れてしまうほどの。普段とは違い見た瞬間は彼女だとは分からなかいくらいの雰囲気をまとっていた。遠目でも分かるくらい楽しそうに踊っていたというのもあるかもしれないが、滑らかな指先と軽いステップは素人目にも洗練されたものを感じさせた。そういえば万里が彼女はバレエをやっていて専攻の中でも頭ひとつ抜けているから実は大学の中で有名人なのだと言っていたことを思い出した。

そんなことを考えて少し経って我に返り、特別話しかける理由もないしこのまま退散しようとしたとき、突然彼女の身体がかくんと傾いた。

「危ない!」

反射的に声を出し階段を駆け下り、間一髪のところで落ちてきた体を受け止める。幸い華奢な体だったため二次災害的にこちらが怪我をすることはなく思わず大きく息を吐いた。

「死んじゃった…?」
「死んでない。」
「っ!?」

なんとも間の抜けたセリフから腕の中でゆっくり目を開けて俺のことを認識すると視線が交差する。するのその青い顔はみるみる内に赤くなっていった。

「っ、ちちちちかげさん…!」
「何やってるんだ。舞台から落ちるなんて最悪打ち所悪くて死んでたぞ。」
「すいません…!」

勢いよく立ち上がり頭を下げる様子をみるにどこも怪我をしていないようだ。そして何かに気づいた彼女は顔をあげて俺のことを力強く両手で掴むと泣きそうな顔で見上げた。

「怪我してないですか!?腕とか腰やっちゃったとか…」
「それはこっちの台詞。怪我は?」
「わ、私は全然!それより千景さんは本当にどこもなんともないですか?」
「俺は大丈夫だよ。」

これじゃどっちが落ちたんだか分からない。よかったと顔がゆるんだ彼女は今度は安心したように笑っている。あの瞬間はどうなるかと思ったけど、あまりにも彼女の表情があまりに目まぐるしくて一気に力が抜けた気がした。

そのとき後ろからバタバタと足音が聞こえて聞き慣れた声が耳に届き振り返ると支配人が手をあげながらようやくやってきたところだった。

「遅くなってすいません〜。あれ?2人だったんですねぇ。」
「遅い。」
「何か怒ってます!?」

**

いきさつを説明するとなぜか支配人が慌て始めたりしてなだめるのが大変だった。しつこいくらいに無傷であることを確認してなんとか収まり3人で劇場を後にする。

「七海さんこんな時間までありがとうございました!じゃ、駅までよろしくお願いしますね〜!」
「…おつかれさま。」
「おつかれさまでした!」

最初彼女はかたくなに一人で帰ろうとしていたけど遅いから心配だという支配人が、送っていって欲しいとなぜか俺に頼んできた結果断りきれずに駅まで一緒に行くことになってしまった。これからまだ買い出しがあると言っていたけど怪しいものだ。

そういえばこうして2人になるのはもしかしたら初めてかもしれない。初対面の時の勢いとは違い普段は話しかけてくることは案外少ない。バイト中はあちらこちらで雑用を引き受けて仕事しているのをよく見かける。あまり関わることはなかったけど仕事ができるという皆の評価は間違っていないのだと思う。

「今日は本当にありがとうございました。久しぶりでなんだか楽しくなっちゃって…」
「突然落ちるから驚いたよ。もともと怪我してるんだろ?無理しないほうがいい。」
「…怪我してるって言いました?」
「膝かばってるみたいだったからね。」

こちらをのぞいた彼女は目を丸くして少し驚いたような顔をしてからだいぶよくなったので調子乗りましたと苦笑いをもらした。

それからの帰り道、彼女が話し始めたことは主にバレエのことで治ったらやりたい演目がたくさんあることや小さい頃衣装に惹かれて始めたこと。話の間はみるからに嬉しそうというか楽しそうにしていた。歩き始めは緊張しているのか少しぎこちなかったのにバレエの話を始めるとそれはすっかりなくなっていくようだった。その姿を見てると監督さんを彷彿とされる熱量で演劇バカならぬバレエバカなんだと伝わってくる。どこか世間知らずに見えるところも幼い頃からずっとバレエに打ち込んできたからなのかもしれないと少し納得できる部分があった。

「復帰したらみんなでぜひ見に来てくださいね。」
「そうだね。」
「はい!あ、でも千景さんきたらライバル増えちゃう…でもでもそこはみんなで来てもらえば木の中に森を隠す的なあれで…」
「木を隠すなら森の中かな。」

独り言みたいな言葉に思わず突っ込むとそうとも言いますねとゴニョゴニョ誤魔化して何かを思い出したようにわざとらしく手を叩いた。

「聞きたいなって思ってたことがあって!千景さんはなんで演劇始めたんですか?」
「…知りたい?」
「はい!」

突然聞かれたその質問。いやな思いが蘇るというかあのときのことは人に話したくない。周りを振り回して大きな迷惑をかけた。後悔していることも多い。思い出すと瞬間に色んな感情が身体を巡っていく。

「…復讐。」
「え?」
「って言ったらどうする?」

真実ではある。だからこそ誤魔化してしまおうとあえてそう言って口角をあげた。

「…。」
「嘘だよ。」

少し戸惑い、言葉を探す彼女にそう言って少し前を歩いた。これで、これ以上深くは聞いてこないだろうと思った。

「それでも、」

話を終わらせたはずなのに後ろから声が聞こえ、思わず立ち止まって振り返る。そこには予想に反して柔らかい笑顔を浮かべた彼女がこちらを見ていた。

「それでもお芝居好きなんですよね。みんなのことも。」
「…。」
「舞台見てれば分かります。真剣に、信頼し合って心から楽しんでやってるんだなぁって空気。じゃなきゃ見ててこんなにドキドキしないですから。もちろん千景さんだけじゃないですけどね!なにが言いたいかっていうと、その…きっかけなんてなんだっていいんです。」

その瞳は淀みなく澄んでいて真っ直ぐに俺を捉えている。なぜだか視線が逸らせず、通り抜けたゆるやかな風が彼女の長い髪をゆらした。

「じ、冗談ななのになんか真面目に答えちゃってすいません…!」

ハッとしたように焦った彼女は髪を抑えながら小走りでとなりに追いつき、帰りましょう!と先を歩いていた俺を追い越して進んでいく。

出会ってほとんど初めてちゃんと話したような奴に、何も知らないくせにと思うのに、いつもなら一笑するとろなのに、どうしてだか彼女の言葉は嫌な気持ちにさせなかった。裏がなく、思ったことを素直に言葉にしただけなんだろうと分かるからか。

でも認めたくないけど、そのおかげでほんの少しだけ心が軽くなった、なんておかしな話だ。

「…変なやつだな。」
「もしかして私のことですか?」
「他に誰がいるんだ。」
「えー!」

自分の感情の揺れに気づかれないようにこほんと咳払いをした。隣を見ると眉間にしわを寄せて変なこと言ったかなとぶつぶつ言っているからそんな心配は杞憂のようだ。さっきから考えが全部口に出てるっていうことをそろそろ教えたい。

今日話してみてわかったけど仕事柄いろんな人間を見てきた中でも感情が本当にかなり分かりやすいタイプだと思う。心配していれば眉を下げて、驚けば目を大きく見開きなんなら口にも出してしまう。好意があるからってわざとらしくアピールするわけでもない。探るような会話をしなくていい分話していて楽な部分があるのかもしれない。いろいろ想定外だから取り繕う暇がないというのもある。だからどうこうということではないんだけど。

「本当はなんだったんですか?」
「寮に入って心置きなくゲームするためかな。」
「へ〜千景さんも好きなんで…ってそれは至さんの理由ですよね!?」
「なんだ知ってたのか。いいノリツッコミだね。」
「教える気ないですね!?」

そんな話をしているうちにいつのまにか駅まで辿り着いていて、そのままありがとうございましたと慌ただしく発車ベルの鳴っている電車に駆け込む姿を見送った。




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